麻衣との出逢い


「桜庭さん、警察です」

 何者かがドアを開け叫ぶと、藤田を踏みつけていた男達は、桜庭を連れフナ蟲のように部屋を後にする。


 残された女たちも一目散に部屋を出てゆくと、突然静寂が訪れたその場所には、失神した藤田と健人の姿だけが残った。テーブルはひっくり返り、床には割れたグラスや皿、菓子などが散乱している。そんな中で、橙色の照明に照らされ大の字になっている二人は、どこか勝ち誇ったような表情をしていた。


「起きて下さい、藤田さん」

 黒い帽子を深く被った人物が、藤田の肩を揺する。


 揺すれど揺すれど目覚める様子がないため、その人物はまだ中身のあるグラスを探し出し、藤田の顔面目け勢いよく残っていた酒をかけた。


「ぶはぁ」

 藤田は地上での溺死を阻止するためか、本能的に意識を取り戻す。


「藤田さんお久しぶりです。私です、麻衣です」

 麻衣というその人物は、帽子を取り自分の胸元に片手を置くと、虚ろな目をした藤田に訴えかけた。


「うん。ああ、麻衣ね、麻衣」

 藤田は、ぼおっとしながら答える。


「本当に分かってますか」

 麻衣は腕を組み、頬を膨らませた。


「麻衣、とにかくこの結束バンドを切ってくれないか」

 藤田は寝ころびながらも体制を横向きにし、間もなく紫色になってしまいそうな親指を見せる。


 驚いた表情をした麻衣は、急いで自身のバッグから小さなハサミを取り出し、結束バンドを切り藤田を座らせた。


「大変でしたね。最近の桜庭先輩にはほとんどの人が愛想を尽かしていたんですよ、やりすぎだってね」

 麻衣は言う。


「そうだったのか、あいつがどこに行ったか知らないか」

 藤田は聞く。


「桜庭先輩達は、私が警察が来たとを吹いたら一目散に逃げていきましたよ」

 麻衣はにこにこしていた。


「そうか、麻衣が助けてくれたのか、ありがとう」

 藤田はぎこちないながらも頭を下げる。


「もう、藤田さんらしくないですよ、さぁ行きましょう」

 麻衣はそう言うと、藤田の肩を担ぎその場に立たせた。


「麻衣。俺は大丈夫だから、あそこにいる男を起こしてあげてくれないか」

 藤田は、未だに失神を続ける健人を指さす。


「藤田さんのお友達ですか。ちょっと待ってて下さい」

 麻衣はそうゆうと、中身の入ったグラスを探し出し、健人の顔面の上に持ってゆく。


「おまえもしかして、俺にも同じことを...」

 藤田が質問しようとした瞬間、麻衣の持つグラスは手から滑り落ち、まっすぐ健人の鼻目掛け落下を始める。


 藤田と麻衣は瞼を大きく見開き、顎が外れんばかりの大口を開けた。まるで時が止まったかのような感覚。グラスは無回転のまま下降し、健人の鼻のてっぺんに直撃した。


「いてっ」

 鈍い音と同時に健人は鼻血を垂らし、なぜか後頭部をさすりながら起き上がる。


「ご、ごめん」

 麻衣はすかさず、健人の鼻にハンカチをあてた。


「え、なに、誰」

 健人は驚き、後ろに仰反る。


「大丈夫だよ、健人。俺の高校時代の後輩だよ」

 藤田は言う。


って、やっぱり藤田さん覚えてなかったんじゃ」

手を健人の鼻にあてていた麻衣は、藤田を睨んだ。


「いや、そうだよな。高校の時の後輩だよな」

 藤田は麻衣を指差すが、麻衣はムスッとした顔をする。


「すまんすまん」

 藤田は頭を掻き謝罪した。


「藤田さん、なにもわかってないじゃん」

 健人が呆れ声で言う。


「う、うるせえな。人間なんだし忘れることもあるだろう、さあ帰るぞ」

 藤田は入口のほうへと、先に歩きだす。


「足元悪いから、肩貸すよ」

 麻衣は、健人の腕を肩に回そうとした。


「大丈夫、大丈夫。一人で大丈夫」

 健人は、麻衣の善意を断り歩きだすが、さっそく一つ目の障害物の『倒れたソファ』でつまずく。


「大丈夫じゃないでしょ」

 麻衣はそうゆうと、無理矢理健人の腕を自分の肩に回した。


「あ...りがとう」

 健人は顔を赤らめる。


 そんな二人の姿を、藤田は優しい顔で見ていたのだった。外に出た三人は、長椅子にこしかけ、夜風に当たりながらタクシーを待っていた。


「なぜ俺たちが、あの部屋にいるとわかったんだ」

 藤田は麻衣に聞く。


「なぜって、私も初めからあの部屋にいましたもん、桜庭先輩が失神した隙に、部屋を飛び出したんです。一度は逃げようかと思ったんですけどね」

 麻衣が遠くを見つめながら言う。


「なんで逃げなかったの」

 健人が横から声をかける。


「藤田さんは覚えてないかもしれないですけど、私、藤田さんに助けて頂いたことがあるんですよ」


「俺に。いつの話だろう」

 腕を組み、空を眺めながら考え込む藤田。


「レストランでのアルバイトの途中でした。夜だったので店内は騒がしく、お店自体もバタバタしてました。そんな中、桜庭先輩と藤田さんがいらしたんです。桜庭先輩はよく知っていましたし、桜庭先輩といる藤田さんも何度か見たことがありました」

 藤田と健人が興味津々に話を聞いている中、麻衣は語り始めた。


「二人をお席に案内し、水をお持ちしようと二人のもとに戻る時でした。突然近くの席のお客さんが立ち上がったせいで、その水をお客さんの頭に被せてしまったんです」

 麻衣は申し訳なさそうに話す。


「麻衣は水をかけるのが好きなんだな」

 藤田は麻衣を小馬鹿にした。


「そういう訳じゃありませんよ。偶然です」

 麻衣は再度頬を膨らませる。


「そうしてどうなったの」

 続きが気になる健人は聞く。


「それで、そのお客さんは...当たり前ですけど、私に怒鳴ってきました。私が悪いので何も言い返せずにずっと黙っていたんです。するとそのお客さん、どんどん酷い言葉を言うようになって、最終的には私の髪の毛を掴んできたんです」

 麻衣は身振り手振りで藤田と健人に伝えている。


 藤田と健人は、食い入るように麻衣の話を聞いていた。


「ああ、殴られるんだなと思った時でした。藤田さんが現れて、そのお客さんの手を、私の頭からそっと離したんです。どうやってやったのかは分かりません。ただあの時の藤田さんは、そのお客さんになにか耳打ちをしていました」

 麻衣が必死に話すも、藤田はまだなにも思い出せずにいる。


「そんなことあったかな。全然覚えてないや」

 藤田はぽかんとしていた。


「麻衣さんがここまで話しているのに、まだ思い出せないなんて、藤田さんは本当に鈍感だよな」

 健人はさらに呆れる。


「たぶんなにか怖い事を言ったのでしょう。当時の藤田さんと桜庭先輩は地元じゃ有名な悪人でしたからね」

 麻衣は微笑した。


「悪人って藤田さんのことでしょ。やっぱり悪い事いっぱいしてたんじゃん」

 健人が言う。


「悪人だなんて失礼だな。少し幅を利かせてただけだろ」

 藤田はそういうと麻衣を見る。


「二人とも、人が嫌がるようなことをする人ではなかったです。ただし仕事に関しては相当な悪人で、別の先輩達も『二人には気を付けろ』と忠告をしてきたほどでした。そんなこともあり、あの時の恩返しになるかなと思い、今回活躍させていただきました」

 麻衣は照れ笑いを浮かべる。


「そんなことがあったんだ。過去に恩を売っておいてよかったね」

 健人が笑いながら藤田の肩を掴んだ。


「そうだな、ほらタクシーが来たぞ」

 藤田が指さす先には、社名表示灯を光らせた黄色いタクシーがやってきた。


 三人の目の前で止まると、タクシーの窓が開く。


「乗るかい」

 運転士が運転席から、こちらに向かって声を出している。


「乗ります、麻衣はどうする」

 健人を先にタクシーに乗せると、藤田は麻衣に聞く。


「いえ、私はお二人と逆方向なので一人で帰ります」

 麻衣はそう言うと、藤田と健人が乗ったタクシーのドアが閉じるのを見守った。


「明日の昼頃、よかったら一度うちに顔を出してくれないか。桜庭の事で聞きたいことが山ほどあるんだ」

 藤田は窓を全開にし、麻衣に福沢諭吉を一枚渡しながら言う。


「ありがとうございます、わかりました。明日のお昼ですね、では藤田さん、健人君おやすみなさい」

 藤田から、連絡先と住所を一緒に受け取った麻衣は、そのあとすぐ後ろに待機していたタクシーに乗り込み、家路へと向かうのだった。

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