「狐と鬼 白」ー久賀典十真

序章


 その者は怒りで黒く、燃えていた。

 許さないと、自分から全てを奪ったあいつが許せないと、この思考が数年の間、ただ脳内を渦巻いていた。

 この者は次第に黒ずんでいく。

 罪を償わない人間には生きている価値なんてものがあるのだろうか、と。

 己の罪に向き合うことなく、逃げ続ける人間には、価値などないのではないか。

 この者は遂に黒く染まった。

 裁きという結論に。

 法が裁けないのならば、神が裁けないのならば、私自身が裁きを与えようと。

 手元の招待状を見る。仮面館という漆黒の檻に黙っていても、奴はやってくる。

 全てを奪った者が、裁きという名の地獄を見るのを、想像し、顔の傷痕を触る。

 8月15日。

 黒き悲願が降り注ぎ、全てを塗りつぶす。



 黒沢深雪様

 ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか。

 最後に会ったのは深雪さんの卒業式の時でしたね。あれから私も忙しくなり、なかなか顔を見せることが出来なくてすみません。今では小説家として活躍されているのをよくテレビや雑誌などで拝見させていただいています。深雪さんの本はすべて読ませてもらっています。

 久しぶりにご連絡差し上げたのは、この度、私の父が活動を始めてから40年ということで、それを記念して仮面館新館・旧館それぞれで記念の催しを致すことになりました。父が私の知り合いも呼んでいいとのことだったので、私と一緒に七龍建築物について研究していた深雪さんを招待させていただこうと思い、ご連絡させていただきました。

 日時については後述させていただきますが、都合がよろしかったら、私までご連絡していただけると幸いです。

                                  東雲千紘

 日時 8月15日から31日

 場所 仮面館旧館

 注意事項 

 電子機器の持ち込みを禁止。入り口で全て回収させていただき、期間中こちらで厳重に保管させていただきます。

 仮面館に入場される際は、仮面をつけていただきます。参加の意思表明をしてくださった方から順にこちらから送らせていただきますので、個人でご用意していただく必要はありません。送られてきた仮面をつけて入場の程よろしくお願いいたします。そして、ご自身の部屋の中以外では仮面を決して外さないよう、よろしくお願い致します。

 また、この催しの間、仮面館の外には一切出ることが出来ないことを予めご了承ください。

 

 こんな招待状兼手紙が黒沢深雪のもとに届いたのは4月の上旬のことだった。時期はまだ少し先だったが、深雪は、この仮面館の催しへの参加を即決した。先輩と久しぶりに会えるというのもそうだったが、それに加えて開催場所が仮面館であるというのも深雪を乗り気にさせた要因の一つだった。

 この仮面館というのは東雲千紘の父親であり、世界的仮面職人である東雲雄一郎と建築家で、機巧技師である黒金龍鵬によって作られた、からくり館のことである。この仮面館には10以上のからくりが仕掛けられていて、それを全部を網羅できているのは先の二人だけである。大工たちですら全ては把握できないように、それぞれの仕掛けを別々の大工に作らせるという徹底ぶりであった。

 深雪は大学時代、彼の建築物についていろいろ調べていて、黒金龍鵬の建築物全てに訪れることが一つの夢のようになっていた。

 黒金龍鵬の建築物の中でも、最高クラスの出来であるとされる建築物を総称して七天と言った。そして、今回の仮面館もその一つであり、ほかに螺旋時計塔、からくり人形屋敷、迷宮塔、天上の館、ドラゴンパーク、地中館の6つがある。

 本来七天はドラゴンパークを除いて一般人が簡単に入れる場所ではない。そのため、そんな場所に行けるというのは深雪からすれば願ってもないことであった。

 それにしても、と深雪は思った。彼女が知る東雲千紘という人間はこんなにかしこまった人間ではなかった。深雪は肘を机につけながら、はぁと軽く息を吐き、懐かしき過去に思いを馳せた。

 千紘との出会いは大学でのことだった。深雪が入学したときに千紘は3年生で、サークルの新歓で出会ったのが最初だった。サークルは文化会という地球上の文化という文化について研究するサークルであり、そこの会長をやっていたのが千紘だった。

 深雪は優柔不断だったため、迷っているうちに、口車に乗せられながら、なんとなく文化会に入ってしまった。入ったものの深雪はしばらくやりたいことも見つからなかったため、千紘にくっついて一緒に研究していた。千紘が調べていたのは建築物、それも主に七天についてだった。

 とある出来事をきっかけに深雪自身も黒金龍鵬の建築物について興味を持つようになり、とある出来事がきっかけとなり、深雪にはやりたいことが見つかった。

 それが小説を書くこと。執筆であった。

 大学2年の内にはいくつか小説も書きあげるようになっていた。小説の中でも、推理小説というものに彼女ははまってしまい、2年のときから3年間でいくつもの作品を書き上げるようになっていた。そのうちの一つがとある賞に引っかかり、そのまま作家になっていた。

 千紘の方も卒業後、父親である雄一郎のもとで仮面作りの修行を本格的に受け始めていたので、二人は自然と疎遠となっていった。

 深雪は過去を思い出し、少しばかり懐かしい気持ちになった。そして腕を組んで悩む。今現在深雪はとある作品を執筆中なのだが、締め切りが冬なのだ。そろそろ追い込みに入らなければ作品が間に合わないため、どうしたものかと、はぁと今度はため息をつく。

 悩んだ挙句、深雪は眠ることにした。彼女は悩んだら眠ることにしていた。なぜなら、眠れば大抵のことは解決する、というのがモットーであったからだ。

 翌日、しっかりと眠った深雪は千紘の誘いを受け、仮面館に赴くことに決めた。取材という大義名分のもと彼女は正々堂々仮面をつけることにした。

 千紘は承諾の連絡を非常に喜び、数日のうちに仮面などが届いた。この仮面はどうやら千紘が作成したものであった。深雪は素晴らしい出来であった仮面を見て、自分の先輩がさらに遠くに行ってしまったような気持ちになり、素晴らしい作品を作っていることを誇らしく思うのと同時に、あの頃とはもう違うのだということを実感し、少し寂しさを感じた。

 仮面は全体的に白く、ところどころが赤く染められている、目と鼻を覆う狐の面であった。深雪は面なんてものを手にするのは初めてであったが、それらが高価なものであるということは知っていた。そのため、仮面を持つための手は若干震え、落とさないように慎重に取り出した。

 そして緊張しながらも、自分の顔につけてみることにした。つけてみると大きさは深雪の顔の大きさにぴったりであった。鏡の前に立ち、自分の姿を見る。鏡に映る深雪は部屋着に仮面という何ともアンバランスな格好であり、そんな恰好をしている自分に深雪は少し笑いが込み上げてきた。当日はドレスの着用が求められているため、押し入れの中から引っ張り出す必要があるなぁなんてことを深雪は考えた。


1 8月15日


 すぐに時間は過ぎ去り、とうとう仮面館に行く当日となった。改めて送られてきた正式な招待状には、18時に集合と書いてあったため、深雪は早めに家を出ることに決めていた。仮面館までは車で行くのだが、なかなかにめんどくさがり屋な一面がある深雪はドレスを着替え直すのがめんどくさいという理由で、着たままで運転することにした。運転の際はドレスがしわにならないように慎重な運転を心がけるようにはしていたが。

 深雪の自宅から仮面館までは車でおよそ1時間ちょっとといったところであり、T県はずれの山の上に立っていた。車を走らせ1時間。山のふもとあたりまで辿り着き、後は山を登れば仮面館であった。

 山道を入ろうと車を進めると、ライトが路肩に止められた車と一人の青年を照らし出した。

 青年は20代前半といったところで、タキシードを着ていた。深雪は瞬時にこの青年も仮面館に呼ばれた招待客の一人であろうと思った。

「あのぉ。どうかしましたか?」

 深雪は青年の横に車を止め、中から声をかけた。

「えっ。いや、あぁはい。ちょっと車が機嫌を悪くしたみたいで、あぁ目的地は目の前なのになぁ」

 青年は視線を山の上に向ける。

「あなたも仮面館に招待された方ですか」

「も、ということはあなたも?」

「はい。仮面館に行くなら一緒に乗っていきますか。どうせ目的地が一緒なら」

「本当ですか。ぜひご一緒させていただいてもいいですか。このまま歩いていくんじゃ到底間に合わなそうで、どうしようかと思っていたんですよ」

 青年はほっとした表情を見せた。深雪は青年と一緒に荷物を自身の車に載せ、車の修理依頼だけ出して、青年は深雪の車に乗り込んだ。

 車の中で、二人はお互いに自己紹介をした。青年は大学生で、相沢総司と名乗った。大学生ではあったが、彼は年齢は深雪と同じく24歳だった。相沢は一度大学を卒業した後、また別の大学に入り直したため、未だ大学生というわけだった。

「へぇ、小説家なんですね。黒沢さんは。いやぁ僕と同い年でもう小説家として活動されているなんて。いやはや僕も頑張らないとですね」

「いえ。小説家と言ってもまだまだ駆け出しですから。自分でもまだ小説家っていう実感は湧いていないんですよ」

 深雪は相沢に不審感を抱いていなかったわけでは無かったが、この青年にはどこか不思議な雰囲気があった。乗ってから五分もすると二人は自然と話すようになっていた。

 車は暗い山道を照らしながら、走っていく。山道は綺麗に舗装されており、ただ仮面館までの一本道を進んでいく。

「相沢さんはどなたに招待されたんですか」

「いや。本来今日招待されたのは僕の父でしてね。父が東雲雄一郎氏と旧知の仲でして。それで今日からの催し父が行く予定だったんですが、体調を崩してしまいましてね。急遽僕が行くことになったというわけなんです。黒沢さんはどなたに?」

「私は雄一郎氏の娘さんが大学の先輩で、大学時代仲良くさせてもらっていたんです。私自身大学時代からその人と七天について調べていたんです。その縁もあって、今回の催しに招待してもらったというわけなんですよ」

 なるほど。七天ですか。仮面館もその内の一つですよね。恥ずかしながら、僕は仮面館についてあまり詳しくないのですが、よろしければ教えていただいてもよろしいですか」

 深雪は詳しく説明を始めた。

「仮面館は今から20年前、東雲雄一郎氏の活動20周年の記念に、雄一郎氏と建築家で機巧技師である黒金龍鵬氏によって作られたからくり館のことです。館の中には10以上のからくりが仕掛けられているそうです。それらを全部把握しているのはその二人だけみたいです。全部で3階建てになっていて、2階3階には客室や仮面の展示や保管をしている部屋なんかがあるみたいです。食堂や応接室なんかは全部1階にあるようですよ。まぁこれくらいはちょっと調べれば出てくる情報で、これらは全部旧館の話ですけどね。新館については私もほとんど知らないんです。こちらも旧館と同じくあの二人が作ったんですが、こちらの情報はほとんどないんですよね。新館が出来たのは去年のことですし、外部から人を入れるのもたぶん今回が初めてなんじゃないでしょうか」

「確か、今回の催しは新館と旧館両方で行われるんですよね」

「えぇ。最初の1週間は旧館。残りの期間は新館で行われるみたいです。招待されたのが確か全部で10人でしたかね。名前までは知らないですけど」

「6人ですか。記念の催しというには少ないですね。」

「まぁそもそも仮面館にはそこまで多い客室がないですからね。これくらいが限界だったんでしょう。そんな中に私がいるというのもなかなか変な感じがしますが」

「いやいや。黒沢さんは小説家ですけど、僕なんて一介の大学生ですからね。僕よりはましですよ」

 ははっと笑いながら相沢は言った。深雪はそんな青年の励ましの言葉に微笑みながら頷いた。

「そうですね。あっ見えてきましたね。あれが仮面館ですよ」

 深雪は前方へと視線を促し言う。

「ほう。あれが仮面館ですか。何とも立派な館ですね」

「えぇ。あれが私たちが1週間過ごす仮面館の旧館です。なかなか雰囲気があるでしょう」

 夜の闇に溶け込むような真っ黒な館が庭園の奥にそびえたっていた。

 深雪たちは先立って車内で仮面をつけた。相沢の仮面は黒い鬼の面で、深雪のものとは違い、顔全体を覆う仮面であった。

 狐と鬼の二人は車を出て、旧館の大きな門の前に立った。その門だけでも厳かな雰囲気を醸し出していた。

「実物を見るのは初めてですが」

「迷路塔に似てるなぁ」

 小声で呟く深雪に、相沢は食いついた。

「迷路塔というのは、七つの建築物のうちの1つだという迷路塔ですか」

「えぇ。以前そちらに訪れたことがありまして、そちらもこういう厳かな雰囲気が漂っていましたね」

 深雪は迷路塔に行った五年前のことを少し思い出して、頭を振った。あんなことはさすがに起こらないだろうと、そう心に言い聞かせて、門の前で受付を済ませた。

 使用人によって門が開かれ、二人は歩みを進める。深雪が緊張しているのとは裏腹に、相沢は周りを見渡し、感嘆の声を一人あげていた。彼が見ているのはどうやら庭の芸術、園庭であった。深雪は園芸術方面に疎かったが、それでもそれらが素晴らしい出来であることが、仮面の内からでも理解ができた。

 庭園に魅了されているうちに、二人は館の扉の前までたどり着いた。門の前には警備員が二人、左右に立っており、招待状を確認すると扉を開けてくれた。

 二人はついに仮面館へと足を踏み入れた。

 館の中に入り、二人は驚愕した。

「これは何とも」

「えぇ。これが噂に聞いていた仮面館…」

 二人の視界には無数の仮面が映りこんでいた。入り口を入ってすぐが大広間となっており、その壁一面に仮面が飾られていた。その仮面の種類は深雪たちがつけるヴェネチアンマスクから般若の仮面まで様々であった。

「こんなに仮面が壁一面にあるとちょっと怖いですね」

「えぇ。見られている感じがして何とも」

 無機質な表情の仮面が静かに二人を見ていた。素顔を隠すための仮面がただじっとこちらを見ているということが、得体のしれない恐怖を深雪に与える。

 しかしそんな恐怖は束の間、深雪の正面から深雪とおなじ白い狐の面をつけた女が一人、コツコツとハイヒールを鳴らしながら近づいてきた。深雪は一瞬不審がるが、発せられた聞き覚えのある声に、力を緩めた。

「来てくれてありがとぉ。深雪さんの卒業式ぶりだから何年かしら」

「お久しぶりです。先輩。二年ぶりくらいでしょうか。私も会いたかったです」

 深雪の前に現れたのは、招待者である東雲千紘であった。

 手紙での丁寧な口調ではなく、ラフで、聞き馴染みのある口調で深雪に近づいてきた。

「二年かぁ。時間が流れるのは早いわねぇ。それでそちらの方は」

 白い仮面が深雪から相沢の方へ向く。

「初めまして。今回急病の父に代わって急遽参加させていただくことになった相沢総司と申します。本日はお招きいただきありがとうございます」

「あぁ相沢さんのところの。こちらこそ来ていただきありがとうございます。私は深雪さんの先輩で、東雲雄一郎の娘、東雲千紘と申します。よろしくお願いしますね。ところでお二人はお知り合いなんですか?」

「いえ。黒沢さんには先ほど、山の入り口で車が壊れてしまってどうしたものかと困っていたところを親切もに車に乗せていただいたおかげで、何とか時間に間に合いまして。そのまま一緒にいる感じです」

「そうだったんですね。深雪さんは昔から変わりませんね…。食事の時、父が来て、私と二人で挨拶をさせてもらうので、それが終わったらまたお話しましょ」

 そう言って千紘は二人に三枚の紙をそれぞれに渡した。その紙にはこの仮面館旧館のマップが印刷されていた。

「これはこの館のものですね」

「えぇ三階のところを見てくださいますか。お二人は三階に部屋があります。七時ごろから挨拶を兼ねた夕食会を始めるので、六時五〇分くらいに食堂に集まってください。それまでは部屋に荷物を置いて、ごゆっくりしていてください」

 深雪と相沢は三階まで登る。階段は異常に長く、この館の広さを二人に感じさせていた。

「階段長くないですか。三階建ての館にしては各階の間が長い気が」

「そうですね。からくり館ですから、何か理由があるんじゃないでしょうか」

「からくり館……。どんな仕掛けがあるんでしょうかねぇ。僕はさっきから気になってしょうがないんですが。黒沢さんは気になりませんか?」

「えぇ。私も小説家ですから、当然ありますよ。全てのからくりを解き明かしたいなんて好奇心がね」

「僕たちは同類ですね」

 ふふっと藁しながら相沢は言った。深雪には仮面の下の相沢の顔が容易に想像ができた。

 3階の通路の壁にも、和風な面が様々飾られており、それぞれ部屋の扉の上にも仮面が飾られていた。

 深雪の部屋の上には狐の面が置いてある「狐の部屋」であった。そして相沢の部屋は般若の面が置いてある「鬼の部屋」であった。

「じゃあ。また後で」

 そう言って相沢は自分の部屋に歩いて行った。深雪も自分の部屋に入る。部屋と扉の間には少し間が開いていた。そのまま部屋の奥まで持っていき、荷物を置く。深雪は指を組み悩んだ。彼女は現在ドレスを着ている。そのためゆっくりするとは言ってもどうしたものかと悩んでいた。

 悩んだ挙句、深雪は部屋の探索を始めることにした。相沢の言った通り、この機会を最大限享受することにしたのだった。

 深雪の部屋はオーソドックスな立方体の部屋であった。置いてあるものはベッドと机が壁に張り付いて置かれており、トイレや洗面所なんかは部屋の中には無く、それぞれの部屋の前に設置してある。

「なんで外に」

 深雪は思わずつぶやく。そしてすぐに思いついた。

「そっか。からくりに邪魔ってことか。水道管とかが」

 自問自答して一人で納得し、部屋に戻る。

「この部屋にからくりがあるってことだよね。水道管が邪魔になるってことはそれなりに大規模なからくりってことかな。うーん」

 深雪はベッドに座り込んで、指を組み、考える。電子機器が持ち込めなかったため、ノートとペンを出し、思いついたことを書き出していく。

 張り付いた家具。

 扉と部屋の謎の間。

 水道管などの排除。

 からくり。

 異常に長い階段。

「もしかして、この部屋動くとか。からくりとしては鉄板なところだけれど一番可能性が高いんじゃない」

 一人気分が高揚する深雪。ふと腕時計を見ると、針が6時52分を指していた。

 高揚は一気に焦りへと変わり、急いで仮面をつけ、部屋を出る。階段はやっぱり恨めしいほど長く、自業自得ではあったが、若干のイラつきを覚えながら急いだ。

 深雪が食堂に入ると既に仮面をつけた人間たちが座って、始まりの時を待っていた。仮面の集団が一斉に集まっている光景は何とも形容しがたい雰囲気を漂わせていたが、そんな中、深雪に気づいた相沢が子どものように手を振って、出迎える。

 その誘いのまま相沢の隣の空席に座る。

「遅かったですね。でもまだ主催者の二人は来てないですから大丈夫ですよ」

「ちょっと考え事をしていたら、時間を見てなくて」

「何か発見でもありましたか。この仮面館で」

 相沢は声色を高くし、深雪に顔を近づけた。

「え……えぇ。まだ妄想の段階ですけど」

「ぜひ後でお聞かせ願いたいものです」

「えぇ。ぜひ」

 二人が話していると、先ほど深雪が入ってきた扉とは別の、奥にある扉から仮面をつけた二人が入ってきた。一人は深雪の先輩、千紘であった。もう一人は、少し腰の曲がった男で、黒い鬼の面をつけていた。

「ということはあの人が仮面職人、東雲雄一郎ですか。大御所っていう雰囲気ありますねぇ」

 相沢の言う通り、深雪は雄一郎から有無を言わせぬオーラが感じられた。深雪も小説家の端くれ。大御所の小説家と会う機会もそれなりにあった。その時に感じる、彼らが無意識に出しているであろう威圧感と似たようなものを感じていた。

 しかし、椅子に座ったとたん、雄一郎が放っていたその威圧感はふっと消えた。そして言葉を発し始めた。

「皆さん。本日は私の40周年の記念パーティーに来ていただき誠に感謝しております。今日から一週間は旧館もとい本来の仮面館を十分に楽しんでいただきたい」

 そして豪快に笑いながらグラスを高く掲げ、乾杯の音頭を取った。こういうのは他の人が音頭を取るんじゃないのか、なんて思ったが、深雪は口には出さなかった。それ以上に雄一郎の人柄の方に少々驚いた。

「結構気さくな感じなんですね。雄一郎氏は。雑誌とかの取材では結構堅いイメージがあったんですが」

「そうですね。私もちょっと驚いています。まぁこっちの方が気楽でいいですけど」

 食事が始まり、フルマスクの人たちは少し仮面をずらしながら食べ、深雪はその様子を見てあることに気が付いた。

 今回呼ばれたのは6人。そのうち男性が3人、女性が3人であり、皆が皆そこまでと歳をとっていないようだった。そして、男性の仮面がフルマスク。女性のがアイマスクであることだ。男性陣が若そうだと深雪が思った理由は姿勢と食べる際に見える仮面の裏の肌である。男性陣の姿勢は背がしっかりと伸びており、首などから見える肌にしわなどが一切見えなかったからである。

 深雪はてっきり大御所が開く記念イベントだから歳が上の人たちばっかりだと思っていたため、なんだか拍子抜けしてしまった感じがぬぐえなかった。

 夕食会は1時間ほど続き、食後は自由時間となったため、参加者たちで交流会が行われた。

 各々が自己紹介をし、和やかな雰囲気が漂う。その交流の場には引き続き主催の二人も残って参加していた。

「深雪さん。やっと話せるわね。私今日あなたに会えるのが楽しみで最近全然寝れなかったんだから」

 深雪は懐かしさで胸がいっぱいになったと同時に、嬉しさも同時にこみあげてきた。

 深雪自身はもう二度と、千紘には会えないと思っていたからだ。二人とももはや大学生ではなく、それぞれが全く別の道を歩んでいる。つい最近まで、その道が交わることは今後ないのだろうと諦めの境地に深雪は立っていたのだ。

「でも深雪さんが変わってなくて安心したわ」

「えぇ。私そんな変わってませんか」

「内面の話よ。困っているのを見ると手を差し出したくなっちゃうっていうその性格。そう」

 千紘は虚空を見上げ、少し悲しげに言う。

「迷路塔のことを思い出しちゃうわね。仮面館にいるから余計かもしれないけれど」

「あのぉ」

 暗い雰囲気がしばし流れる二人に話しかけてきたのは相沢だった。

「迷路塔のことって、あの事件のことですか」

「ご存じでしたか。そうです。私たちはその事件の現場にいたんですよ」

 迷路塔事件。

 2017年12月。迷路塔にて殺人事件が発生した。それは迷路塔にて、大御所小説家が自身の弟子である小説家たちを集め、年に一回の談合会の最中に起きた事件だった。その事件の場所には当時大学3年であった千紘と一年であった深雪も同席していた。

「まさか、迷路塔に行けるってなった時はあんな事件に巻き込まれるなんて思ってなかったからねぇ。記憶に深く刻み込まれたわ。特に深雪はね」

「黒沢さんが?」

「その話はまた今度にしてもらえますか。そんなすぐに話しきれることじゃないので」

 深雪は突っぱねるように言い放った。千紘は若干ばつが悪そうな顔をして、深雪に謝り、相沢に言った。

「というわけだから。詳しくは今度この子に直接聞いてね。じゃあ。私は他の人のところにも挨拶行かなきゃいけないから。深雪さんまたね」

 千紘が半ば逃げ出すように立ち去った後、改めて相沢は深雪に謝る。

「いえ。気にしないでください。ただあの事件は色々あったので、軽く話せるようなことじゃないんですよ。今度機会があったらお話しするかもしれません」

「あの。もしかして黒沢深雪さんではないですか。小説家の」

 深雪に声をかけたのは、白い鬼の面をつけた男であった。体格は相沢と同じくらいであり、男の表情が深雪には分からなかったが、何やら嬉しそうにしていることだけは分かった。

「はい。そうですが。もしかして私の本読んでくださってますか」

「もちろんですよ。『古城の檻』、『白い涙』、『紅の雨』。どれも拝見させていただきました。いやぁ作者の方がこんなに若い方と知った時は衝撃を受けましてね。っあ。自己紹介が遅れましたね。私の名前は九条那由他と申します」

 九条那由他。その名前に深雪は見覚えならぬ聞き覚えがあった。

「もしかして。ナイン社長の、あの九条那由他さんですか」

「おや。あの黒沢先生に知っていただけているとは感激です。それなりに有名になるといいこともあるもんだと、初めて感じましたよ」

「すごい有名な会社のナインを知らないわけがないじゃないですか。『ナイン』は私も使ってますし」

 ナインとは『ナイン』というSNSを作った会社である。

 『ナイン』。

 SNSの一種で、身近な人とのやり取りを中心にしたトークアプリであり、現在は様々なサービスとも連携している。日本中で展開している。

「九条君。その方はやっぱり黒沢先生かい」

 九条に絡んだのは、身長がほかの招待客より頭一つとびぬけて高い、黒い狐の面をつけた男であった。

「清峰さん。そうですよ。あなたも読んでるんですよね。黒沢先生の作品」

 清峰と呼ばれた男は深雪の方を見て、近づいていく。

「黒沢深雪先生。私は清峰悟。普段は弁護士をやっているんですが、面についての研究者でもありまして、というのも実家がもともと面職人の」

「清峰さん。癖が出てますよ」

 九条の話を止める。

「いやぁ。すみません。私はいつも話が長いと怒られていて。直そうとは思ってるんですが」

「いえ。気にしないでください。改めまして、黒沢深雪です。私の作品を読んでくださっている方に会えてとてもうれしいです。ぜひ今後ともよろしくお願いします」

「我々も楽しみにしていますよ。先生の作品を」

 そう言って二人は立ち去って行った。

「ほぉ。まさかここまで有名な作家さんだったとはいやはや。勉強不足でした。ぜひ読ませていただきますよ。黒沢さんの本」

「よかったらあげましょうか? 今回サイン本づくりのために十数冊ほど持ってきているので」

「ほんとですか。ぜひ読ませていただきたいですね。後で部屋まで行かせてもらいますね」

 そんな二人に迫りくる新たな仮面。

「失礼。今時間はあるか?」

 深雪たちに話しかけたのは、深雪と同じく白い狐の面をつけた女であった。口調がやや男っぽく、どこか上から目線な感じを深雪たちは感じていた。

「え……えぇ」

「ではこちらに来てくれ。黒沢深雪、君だけでいい。君に紹介したい人がいる」

 そう言って、深雪の手を引き、歩き出す。

「えっとお名前伺っても?」

「あっ私か。忘れてたな。私は西条結城だ。普段は私立探偵をやっている。数年前縁あって雄一郎氏と交流があってね。今回呼んでもらったんだ」

「探偵……ですか。そういえば西條ってどこかで見たことあるような」

「あぁそれはきっと、あの事件、西目京介失踪事件のことかな」

 西目京介失踪事件。

 2年前、仮面職人であり、今回の主催者東雲雄一郎のライバルであり、親友であった西目京介が突如失踪した事件であった。

 その事件の際、西目京介の捜索や事件捜査に協力したのが、西城結城であった。結局行方不明になった西目の発見までは至らなかったが、探偵として、メディアなどへの露出が多かったため、西城は一躍時の人になっていた。

「それで探偵のあなたが何故」

「それについては、あの子に会ってから話す」

 西城に連れられ、深雪は白い鬼の面を着けた女の前まで来た。そしてその女の両手にはソフトボールより少し大きいくらいの水晶玉が置かれていた。

「初めまして。黒沢深雪さん。私は来宮裕子。占い師をやっています。四年ほど前から雄一郎さんの専属占い師として活動させていただいています」

「占い師ですか……。そういえば」

 深雪は七天について調べた際に、雄一郎について調べたことを思い出した。

「雄一郎氏には長年専属の占い師がいたと。確か…名前は来宮裕さんでしたっけ」

「えぇ。来宮裕は私の母です。その母が四年前に亡くなり、私が後を継いで、専属の占い師としてお仕えしてます」

「それで、探偵と占い師の二人が私に話って何ですか」

「えぇ。お話というのは他でもありません。今回この仮面館で人が死にます」

「え?」

 深雪はその言葉を聞いた瞬間、とある情景が頭に浮かんだ。自分の腕の中で息絶える男の姿、自分に最期に語り掛けた言葉。それらが一気に思い出され、震えが止まらなくなった。

「大丈夫ですか?無理もありません。人が死ぬなんていきなり言っても意味が分からないですよね」

「黒沢。残念だが、この子の言っていることは間違ってない。このまま何もしなかったら、この催しの間に誰かが死ぬ。それも狐の面をつけた奴が」

「き……狐の面ですか?」

「あぁ。裕子説明してやってくれ」

「えぇ。こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないですけど、私には未来が見えるんです。朧げな情景が見える程度ですが、眠っている間に夢として、つまり予知夢です」

「予知夢……。それを仮に信じるとして、その夢の中で、狐の面を着けた人間が死んでいたってことですか?」

「えぇ。この夢は何もしなければ必ず現実になります」

「狐の面を着けているのは、あの二人と私たち二人の四人。あの野郎どもは、全く聞く耳を持たなかった。だからこっちだけでも対策をしようって話だ」

「対策って何をすれば?」

「狐の面つけたやつが死んでいたのは、部屋の中だ。つまり、戸締りをしっかりして、誰も部屋に入れないことだ」

「それだけで大丈夫なんですか?」

「それ以上にできることってあるか?単純だが、それが一番効果的だろ」

「そうですね……。分かりました。部屋には誰も居れないようにします」

「よろしくお願いします。誰も死ぬところなんていたくありませんから。あの二人にも念押ししてきますね。あと鬼の面をつけた人には言わないでください。犯人かもしれないので」

 その後、深雪は相沢のもとに戻り、数分話した後、お開きとなった。

 部屋の前まで戻ってきた深雪と相沢。

「ちょっと待っててくださいね。本持ってきます」

 そう言って、深雪は部屋の中に入り、一分も経たないうちに出てきた。その手には数冊の本が抱えられていた。

「すみません。ちょっと多いんですけどどうしますか?」

「全部読ませていただきますよ。いやぁ何も持ってきてなかったんで、ちょうどいいです。徹夜で読ませてもらいますよ」

 そう言って、浮かれた様子で相沢は自分の部屋に戻っていった。

 二人が別れたとき、時計の針は23時30分を指していた。

 予知夢の対策のため、深雪は防犯対策万全に、部屋で待機した。眠れないと思っていたが、身体はよほど疲れているのか、瞼が重力に耐えられず、落ち始める。

 「寝ちゃダメ……なの……に……」

 夢の世界に引きずり込まれる深雪。狐の面が床にずり落ちた。

 

 深夜、仮面館某所。

 白い狐の面が、美しく鮮血によって、紅く染められていた。まるで仮面の模様のように。

 その傍らには一枚の紙が置かれていた。

 漆黒の仮面館は、一人の狐の死と共に、夜に包まれる。


あと三人。面を取り、顏につけられた傷跡を触りながら、微笑む。

「過ちには裁きを」

そんな言葉を呟くとともに、その姿を部屋から消した。

               

 1 8月15日 終

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