ことのはの海 令和四年度前期作品集

國學院大學児童文学会

「同じ世界を旅する後輩へ」ー紫蘭

 しんと静まり返った、懐かしい場所。1歩部屋から出ると聞こえてくる喧騒とは異なり、もの寂しい、でも居心地の良い場所。最後にこの場所を訪れてから季節は2つ巡った。制服を脱ぎ捨て、自分なりの服とメイクを身に纏った以前とは違う私は以前と同じ場所で同じように本棚を眺めた。

 ここはこの学校で唯一の私の居場所だった。


 私の通う高校の図書室は人気がなかった。汚いとか古いというわけではない。それなりに綺麗で、それなりに本も揃っているのに、本当に人がいなかった。いつ訪れても司書さんがカウンターの中で静かに本を読んでいるだけで生徒を見たことがなかった。これ幸いと私は図書室の片隅を陣取り、司書の桜庭さんと仲良くなり、自分の居場所を築き上げた。

 お昼休み、私は毎日図書室へ足尾運ぶ。購買で買ったパンを平らげて向かうこともあれば、時にはお弁当片手に行くこともある。図書室が飲食厳禁なのは言うまでもない。しかし、そこには一つ例外がある。カウンターの奥カーテンのそのまた奥。桜庭さんの休憩スペース。

 入学してたった3カ月。私はずっと前から通っていたかのように当たり前に、誰もいない図書室からカーテンの向こう側へと私は足を踏み入れた。

「いらっしゃい。今日はお弁当?」

「はい! 今日は珍しく早起きできたので自分で作ってきました」

 桜庭さんも当たり前のように私に声をかけてくれる。私は慣れた手つきで壁に立てかけてあるパイプ椅子を開いて座った。

「自分で作るなんて珍しい。なんなら初めてじゃない?」

「持ってくるのは初めてですね」

「どういう風の吹き回し?」

「昨日読んだ本がお弁当屋さんが舞台で、卵焼きとか焼き鮭とかめちゃくちゃおいしそうで作りたくなっちゃいました」

「本の影響ね。通りで」

 ふふっと笑った桜庭さんに私も笑い返してお弁当箱を開く。小説に出てきたお弁当屋さんのお弁当とは似ても似つかない簡単なものだけど、我ながら上手に巻けただし巻き卵と、おいしそうな焼き鮭とウィンナーにプチトマトとお弁当の定番ともいえるおかずが詰まっている。

「そのお弁当屋さんの小説、どんな本?」

「聞かれると思って持ってきましたよ。読みますか?」

 お弁当箱の横に置いておいた文庫本を手渡すと、桜庭さんはパラパラとページをめくりながら言った。

「じゃあ午後にでも、この厚さなら部活が終わるころには読み終わると思うから帰りに取りに来てもらえる?」

「はい!」

「そういえば、入り口に図書のリクエストボックスがあるのって知ってる?」

 図書室の扉を開いたすぐ先、『読みたい本』というラベルの付いたボックスが置かれていることを思い出す。その箱が全くと言っていいほど動かされた形跡もなく、うっすらと埃を被っていることも。

「入口の薄ピンク色の箱ですよね」

「そうそう、毎月図書用に予算が振り分けられているんだけど、せっかく予算があっても読む人もリクエストする人もいなくてね。もし読みたい本があったらどんどんリクエストして頂戴」

「いいんですか?!」

 読みたい本を頭の中で瞬時にピックアップする。いくら本の虫と言えども、欲しい本をすべて買っていたらお財布も自宅の本棚も追いつかない。それでも、毎月新刊は出続ける。

「あっなら今月出た〇〇先生の新刊が読みたいです。さすがにハードカバーの上下巻をそろえるのはお小遣い的に厳しくて買えてないんです」

「もちろん。今月の購入本リストに入れとくわね」

「やった! ありがとうございます」

 それからというもの、私は毎月のように本のリクエストを続けた。私のリクエストした本が20冊を超えたある日、桜庭さんが言った。

「いっそのこと専用の棚作っちゃう?余っている棚もあるし」

 図書室の一番奥。小窓から木漏れ日の差す心地の良い場所にある空っぽの本棚。ただでさえ誰もいない図書室の中で最も人目に付きにくい場所。桜庭さんはその棚を好きにしていいと言ってくれた。

 そこにお気に入りの作家さんの本を一つ一つ並べていく。

 物語の世界に没頭するきっかけとなったシリーズ。小学生の頃に、丸々1ページの文章を暗記するほど繰り返し読んだファンタジー。今後一生愛し、追いかけ続けると誓った作家さんの作品。本屋大賞を受賞した話題作。憧れの詰まった恋愛小説。

進級するころには大半がファンタジーの長編、ちょっぴりライトノベルという私好みの棚が出来上がっていた。

その中でもお気に入りの本に得意な切り絵やイラストを駆使して作り上げたPOPをつけた。誰も読む人はいないけれど、もしも誰かが目にすることがあったならば、その人の心がちょっぴり動くように。私の大好きな本を「読んでみたい」と思ってもらえるように。

少しずつとPOPの数は増え、本の並びも自分なりに工夫しお洒落な書店のようになった一角の横にある小さな椅子が私の定位置となった。

当たり前のようにお昼休みになるとお弁当をもって図書室に向かい、桜庭さんとお気に入りの本について話す。放課後には図書室の片隅で心行くまで本の世界に没頭する。

その本が参考書へと変わり、また本へと戻るころ、自宅の本棚よりも充実した私の青春が詰まった棚に別れを告げて高校を卒業した。

大学に入学して半年がたったころ。母校で文化祭があると聞き、私は久しぶりに高校を訪れた。

賑やかな露店には目もくれずに通り抜け、吹奏楽部やチアリーディングの演技で盛り上がっている体育館とは正反対に位置する図書室に私はまっすぐ向かった。

重たい扉を開いた先にはあの頃と何ら変わらない景色が広がっていた。

唯一変わっていたのは、カウンターの中に桜庭さんがいないこと。四月に他の学校へ移るという報告は受けていたから、驚くことこそなかったがそこに居ないという事実に一抹の寂しさを覚えた。

 カウンターの中にいたのは桜庭さんよりも少し若い女性だった。

 ぺこりと頭を下げてカウンターの前を通り過ぎる。

 もうここには「好きにしていい」と言ってくれた桜庭さんはいない。普通に考えてあの棚がそのまま残っているはずがない。でも、わずかな希望を込めて、ゆっくりと図書室の隅にあったあの思い出の棚へと向かう。

 目に飛び込んできたのは、私が選んだ本の数々、一枚一枚工夫して描いたPOP、木漏れ日の当たる小さな椅子。

 あの頃の私の居場所が今も変わらずにそこに存在していた。

不意に懐かしさがこみあげて、私はそっと本の背表紙を撫でた。

一番好きだったシリーズ。この場所で何十回とこの本の世界を私は旅した。

半年前は綺麗にシリーズ順に並べられていたはずのその本は3巻のところに隙間があった。

「もしかして卒業生?その棚不思議よね、ここだけものすごく綺麗で、POPまであって」

 声をかけてきたのは司書の女性だった。

「この学校の図書室、あまり人が来ないんだけど一年生にファンタジー好きの生徒がいてね。毎週この棚から本を借りていくの。こんなに自分の趣味ばかりが詰まった本棚は初めてだって言ってね」

 あの頃の自分と同じように、たくさんの本の前で目を輝かせ、小さな椅子に腰かけてページを繰る姿がふと目に浮かんだ。

 だれにも読まれることのなかったはずのPOPを見て、もし少しでも「読んでみたい」と思ってくれているとしたら、心が動かされたとしたら。こんなに幸せなことはない。

そしてちょっぴりこうも思うのだ。

同じ世界を旅する後輩へ。今君が楽しんでいるその本は、顔も名も知らぬ先輩の青春の1ページなのだ。

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