第6話 君は木星

 風子から電話がかかってきた。

「あ、良かった。起きてた」とスマホから聞こえてくる声は、どこか機械的に歪んでいる以外は聞き慣れた風子のもので、特に気負いのない口調も相まって普段からよく電話で話していたかのように錯覚する。

「どうしたの、風子。電話なんて珍しい」

「なに、私からの電話は嬉しくないって?」

「いや、そうは言ってないけど」

「けど?」

「……で、なんの用?」

「あーひどい、用がなきゃ電話しちゃダメなんだ?」

「そうは言ってないけど」

「けど?」

「しつこいな!」

「あはは、まぁ用はあるんだけどさ。……ねぇ知ってる? 今日って土星と木星がめちゃくちゃ近づく日らしいよ」

「はぁ……」

 突然の天文トークにわたしは思い切り気のない声を上げてしまう。風子はどうしたのだろう。別に星が好きとか、そういうことは全然なかったように思うのだけど。

「なんかね、だいたい二十年周期で近づくらしいんだけど、今回はすっごくレアな超大接近なんだよ! 徳川の時代以来だって、ヤバくない⁉︎」

 電話口から風子の興奮した声がまくし立てる。わたしも「お、すごいね」とか相槌を打つけれど、内心は「やべー、全然興奮を共有できねー……」となっている。徳川誰の時代かによっても割と変わってくるでしょ、と全然関係ない部分の方が気になる。

それにしても土星と木星か。月とかならわかりやすいんだけど。土星ってなんか輪のあるやつで、木星はえっと……木星はマジで何もイメージがないな。無だ。

「てか、全然興味なさそうだね」

 あまりにも身の入らない相槌を打っていたせいか、電話の向こうで風子が苦笑する。

「ごめん、他のことが気になってて」

「他のことって?」

「徳川は誰のことかなー、とか」

「え、そこ? 誰でもよくない?」

「…………ごめん嘘」

 何その嘘、と少しくぐもった風子の笑い声が聞こえて、わたしはふいに胸がきゅ、となる。

 その笑い声は、本当は電話越しなんかじゃなくて、隣で聞きたいのに。

「あのね、本当は違うこと考えてた。……風子は、なんで今日電話してきたんだろう、って」

 続けて口から転がり出ようとする「ずっと連絡してこなかったくせに」という言葉はなんとか呑み込む。

 沈黙が落ち、わたしはそわそわとスマホを持ち替える。

「だって、」

 ざらり、とした耳触りと共に、どこか遠くの場所から風子の声が届く。割と大ボリュームで。

「だって全然連絡くれないんだもん! なんで⁉︎ 引っ越したら友達関係リセットなの⁉︎ ひどくない⁉︎」

 向こうで急に爆発した風子にわたしは戸惑った。え、何、ビッグバン? キーンと痛む鼓膜が破れていないか心配しながらも、わたしは言い返す。

「え、だって風子こそ連絡してこないから、わたしもしない方がいいのかなぁ、って……」

「いやいや、そこはそっちから『引っ越しても元気にやってる?』みたいな連絡をしてくるのが筋じゃないの⁉︎」

「そんな筋知るか! だいたい、便りがないのが無事の便り、みたいなこと言うじゃん!」

「はぁー⁉︎ そんな昔のメンタル持ち出されても困るんですけどー⁉︎ 今時連絡するのなんてスマホで一秒じゃん! 生きた化石かなんかですかぁ?」

「はぁ⁉︎ ぴちぴちの女子高生ですけど⁉︎」

「ビキビキの女子高生? 何、キレてんの⁉︎」

「キレてんのはそっちじゃん⁉︎」

 なんかもう二人して叫び合ってて収拾がつかなかった。なんだこれ。

 それからなおも互いをディスりまくること数分、わたしたちはようやく沈黙した。息が続かん……。

 荒い息遣いを互いに聞かせ合うという謎の時間が過ぎ、やがて向こうから風子の声がぽつりと届いた。

「……だからさ、きっかけがほしかったんだよ」

「……それが、土星と木星?」

「うん。いつもは離れてるのに、近くに行けるんだなぁ、って思って。いいな、私も近くに行きたいな、って」

 さっきまで荒ぶっていたくせに急にしおらしくなる風子に、わたしも気づいたら泣きそうな声で「うん……」なんて言っていた。

 多分、きっかけを探していたのはわたしも同じで。

 風子が引っ越してしまって、わたしたちの物理的な距離は遠ざかって。今まですぐ隣にいた姿が見えなくなった途端お互いのことがわからなくなって。わからなくなったら、連絡するのがどんどん怖くなって。見えない内に変わってしまっていたら――もうわたしのことなんて、どうでも良くなっていたとしたら、って。

 そんなふうに臆病な色々が邪魔をしていた。

 だから、本当は嬉しかったのだ。風子が電話をかけてきてくれて。でも、わたしばっかりが色々うじうじ悩んでいたのだとしたらバカみたいだって、素直にもなれなくて。

 同じように悩んでいた風子は、こうして全てを飛び越えてわたしに近づこうとしてくれたというのに。

 それならば、わたしは――

「ねぇ、風子」

「ん、なに?」

「次、土星と木星がめっちゃ接近する時はわたしから電話するよ」

「え、でも……」

「本当は今日、風子が電話くれて嬉しかった。だから、今度はわたしの番」

「あー……それはすごく嬉しいんだけど、その……」

 決意を込めたわたしの言葉にも、風子はなんだか歯切れ悪い。え、わたしから電話するのは迷惑とか?

「あのね、言いにくいんだけど……土星と木星が今日くらい大接近するのって、六十年後……」

「ろっ……」

 実に言いにくそうな風子の声に、わたしは言葉を失う。いや、めっちゃいい感じで宣言したのに、六十年後って……。

「バ……」

「バ?」

「ババアじゃん⁉︎」

 わたしは絶叫した。そんな頃にはもう忘れてるわ!

「あっはは、確かにババアだわ!」

 電話の向こうでは風子が爆笑している。やかましい! その頃にはお前もババアだ!

 はぁー、と大きく息を吐いていると、風子が笑いながら言う。

「大接近じゃなくてもさ、二十年周期では近づくから。その時でもいいよ」

「それでも長いな……」

「んー、……じゃあ来週?」

「急に近い。え、なんで?」

「いや、別に土星と木星に合わせなくてもいいかなって。いいじゃん、私たちは私たちの周期でさ。ということで、来週はそっちから電話かけてよ」

「そっちが土星と木星に合わせてきたんじゃん!」

 笑って言い返しながら、それもそうだ、と思う。わたしたちはわたしたちの、丁度いい周期で近づいていこう。

「そうだね。風子はわたしだけの木星だよ」

「えっ何それきもっ」

「…………もう電話しない」

「嘘うそ、ごめん! でも私は土星がいいな」

「なんで?」

「だって木星って特にイメージなくない? 土星は輪! だけどさ」

「確かに、木星は無だよね」

「あっはは、無て!」

 そう言って笑う風子の声は、なぜだろう、さっきよりもずっと近くに聞こえるように感じた。

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