第43話 人形と ”主”

「ならば……少しわたしと話をしてくれないか?」


 決戦を前に眠れない俺を気遣ってくれたのか、それとも彼女自身が感傷的になっているのか。

 ディーヴァがいつになくしおらしい声で頼んだ。


「いいよ。それじゃ外に出よう」


 例のイヤリングを光学透過モードにして万が一にも姿を見られないようにすると、 彼女を誘って潜伏場所にしている廃農場の母屋を出た。

 俺たちは少し歩き、朽ちた厩舎の横にある大きな切り株に腰を下ろした。

 数日前には満ちていた月はやや欠けてしまっていたが、それでも煌々こうこうと蒼かった。


「月がきれいだね、ディーヴァ」


「ああいう月を ”きれい” というのか?」


「そうだよ。蒼い月はきれい。赤い月は不気味」


「赤い月は不気味なのか?」


「うん、ハイセリアでも、俺がいた元の世界でも、そう言われることが多いね」


 マキシマムの記憶でも瀬名岳斗の記憶でも、赤い月は不気味とされていた。


「難しいかい?」


「…………うん」


 ねえ、ディーヴァ。気づいている?

 最近の君はたまに、とても人間らしい横顔表情をするんだよ。


「……マスターナイトは、自己犠牲サクリファイスの傾向が強すぎる」


 いきなり踏み込んできたな。

 どうやらそれが、今夜の本題らしい。


「そうかな?」


「……そうだとも。パトリシアにしろ、他の四人の騎士にしろ、本来マスターナイトには関係のないことではないか。それを自らの危険を冒してまで……これを自己犠牲と言わずしてなんというのだ」


 月ではなく目前の地面を見つめながら、ディーヴァがつぶやく。


「……マスターナイトは英雄願望ヒーロー・コンプレックスなのか? 救世主症候群メサイア・シンドロームなのか? そうなら、わたしはマスターナイトを守るために精神的治療を勧めなければならない」


 俺は微笑した。


「そんな格好いいものじゃないよ」


 そしてこう続けた。


「ただ、そういう人の気持ちはわからなくはないかな」


「自己犠牲を行う者の気持ちがか?」


 月を見上げる俺の横顔を、ディーヴァが見た。


「そういう人はきっと、自分の人生に何かしらの意味を与えたかったんだと思う」


「……意味」


「そう。意味とか意義とか価値とか、言葉はいろいろあるけどそういうものをね」


「……」


「俺がいた元の世界の国はね、何もかもが衰えてしまっていたんだ」


 衰弱した国。

 退嬰たいえいした社会。

 政治家は気概をなくし、大人は壊れ、若者は覇気を失い、子供は夢を見られない。


 誠実であれ、勤勉であれ、人に優しくあれと育てられた挙げ句、そういった美徳がかせとなって自らを苦しめる。

 誠実であろうとするほどそうではない人間の後塵を拝し、勤勉であろうとするほど利用される。

 日々をそうして過ごすうち、いつしか人に優しくなれなくなり、やがて壊れた大人になる。


 息苦しい。息苦しい。息苦しい。


 自分はなぜ生まれてきたんだろう。

 何のために生きているんだろう。

 自問を繰り返すうちに、人生への執着が薄れてくれる。


 でもだからこそ、意味が欲しい。

 生まれてきた意味が、生きてきた意義が、人生の価値が――欲しい。


「だからもし自分の生と引き換えにそれらが得られるなら、俺のような人間にとってそのは強力だと思う。人生の意義とに人生をなら、その魅力は計り知れないと思う」


「馬鹿な! そんなものは危険な妄想だ! 人間は伝説の救世主ではないのだぞ! 復活など出来ないのだぞ!」


「うん……そうだね」


 俺はうなずくしかない。


「でもね、ディーヴァ。復活とはいかないまでも輪廻リーインカーネーションはあるかもしれない」


「……輪廻……生まれ変わり転生のことか?」


「うん、初めてあったときにディーヴァも言っただろう。”想い” は不滅だって。仮の生命が滅びても ”想い” は――魂は新たなに命に引き継がれる。不死鳥のようにね」


 不死鳥フェニックス

 火の鳥。

 鳳凰。


 滅びと再生を繰り返す、永遠の象徴。

 驚いたことにこのハイセリアにも、類似の伝承・伝説があった。

 イゼルマ帝国の国章からして、モチーフはフェニックスだった。


「国でも人でも新しくやり直すには、一度完全に燃え尽きなければならないんだよ。そのために今のこの命を使う――使いたい。……そういう願望なんだと思う」


「それは無責任なリセットに、後付けの理由をつけているに過ぎない!」


 これが今の時点での、俺とディーヴァの距離だった。

 俺には理解できる ”想い” が、ディーヴァには理解できない。


「……わたしには理解できない」


 再びうつむく、ディーヴァ。


「……マスターナイトと一心同体のわたしが、マスターナイトの想いを理解できないなんて、矛盾している」


「焦る必要はないよ。人はね、人は自分の気持ちだってわからないことが多いんだ。自分以外の誰かの気持ちなんて、早々理解できるもんじゃない。だから……」


「……だから?」


「明日があって、明後日があって、その次の日がある」


「?」


「お互いに理解を深める時間はまだまだ沢山あるってことさ」


「それはつまり、マスターナイトは自己犠牲をするつもりはないという理解でいいのだな?」


「あれ? そういうことになるのかな?」


 ディーヴァの鋭いツッコミに、虚を衝かれる俺。


「そういうことになるだろう!」


「うん、そうだね、そういうことになる」


 なにやら言質を取られてしまった気がしないでもないけど……。

 まあ、それならそれで構わない。


「ならばよし! マスターナイト、明日はわたしたちにとって重大な日だ。そろそろ睡眠を摂れ」


 スクッと立ち上がると、ディーヴァが俺に命じた。

 大事な戦いを前にナイーヴになっていたが、どうやら普段の彼女に戻ったらしい。

 めでたし、めでたし。


「そうさせてもらうよ」


 俺も素直に立ち上がり、片手を上げて母屋に向かった。


 ボスン、


 その背中に何の前触れもなくディーヴァが抱きつき、顔を埋める。


「……ディーヴァ」


「……マスターナイトはわたしが守る。絶対に絶対に守る。だからマスターナイトに自己犠牲の必要はない。絶対に、絶対に必要ないっ」


「…………………………ありがとう」


 蒼月は重なるふたりを優しく照らし、虫の音が祝福するように響いている。

 決戦の前夜。

 運命は確かに、俺たちに優しかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る