第29話 遙かなる ”タイベリアル”

 一瞬、襤褸ボロをまとったその少女が、パトリシアに見えた。

 でも違った。

 パトリシアは明るいブロンドだったが、少女の髪は栗色なうえに酷く汚れていて、瞳の色も違っていた。

 年齢は同じくらいだろうが、みすぼらしい外見のためにさらに幼く見えた。


 それでも――生存者がいた。


「君――」


 喜びが声となって零れかけたとき、少女が緩慢な動作で足下の石を拾った。

 襤褸から覗いた腕は痩せ衰えていて、肌はすすと土埃と垢にまみれている。

 瞳には色がなく、表情には感情がなかった。


 少女が俺につぶてを投げつけた。

 力なく俺の足下に落下して、転がる小石。

 もう一度ノロノロと小石を拾い、投げつける少女。

 礫はやはり届かなかった。


 いつの間にか少女の周りには、同じような身なりをした一〇人あまりの老若男女が集まっていた。

 やはり痩せ細り、髪はパサパサに乾き乱れ、肌は垢じみていた。

 そして全員が少女と同様に、瞳に色がなかった。


 マキシマムの記憶にある顔がいくつかある。

 もう間違いない。

 この人たちがタイベリアルの生き残りだ。

 住人の遺体が見当たらないのは、彼らが葬ったのだろう。


 少女の動作が伝染したのか、男が、女が、老人が、子供が、石を拾い投じ始めた。

 どの礫にも力がなかったが、それでも大人の投じたいくつかが俺に向かってきた。


 即座にディーヴァが前に出て、叩き落とす。


「おまえたちに警告する。いかなる理由があろうともマスターナイトに危害を加えることは許さない。二度目の警告はないと思え」


「ディーヴァ、よせ!」


 威迫するディーヴァを制すと、投石を続ける住人に語りかけた。


「俺たちは敵じゃない! 皆に危害を加えるつもりはない! 俺に見覚えはないか? この顔に見覚えはないか? 俺はマキシマム・サークだ! この土地の領主だ!」


 飛んでくる礫をはたき落としながら訴える。


「頼む、タイベリアルに何が起こったのか教えてくれ!」


 投じられる石には、憎悪すら枯れていた。

 怒りも憎しみも感じられない。

 飢えと寒さに震える、疲れ切った諦観ていかんがあるだけだった。

 それでも壊れた発条ぜんまい人形のように石を投じるのは、自分らに降りかかった絶望を、少しでも俺に伝えたいからだろうか。


 枯れ木のように痩せた老人が、住人たちの間から進み出た。

 投石が止む。


「……お戻りになられたか、御領主さま」


「ええ、戻りました――教えてください! 誰がこんな真似をしたのです!?」


「……すべてあなたのせいですよ」


「俺の?」


「……あなたがイゼルマを裏切りヒューベルムに寝返ったせいで、怒った皇帝が他の騎士たちへの見せしめとして焼き払ったのです」


 ちょ、ちょっとまて。

 この老人はいったい何を言ってるんだ?


「まってください! 俺は裏切ったりしていない! ヒューベルムに寝返ったなんてデタラメです! これは何かの間違いだ!」


「……あなた様にはこの光景が間違いに見えますのか? 男は殺され、女は犯され、子供は奴隷にして売るため連れ去れた。金も食料も家畜も何もかもすべて奪われた。逃れられたのはここにいる者だけで……それも今にして思えば運が良かったのか」


 落ち着け。

 落ち着け。

 これはおかしい。

 絶対におかしい。


 俺は陥れられたのか?

 遠征失敗の責任を負わされたのか?

 しかし俺は――マキシマム・サークはただの下級騎士だぞ?

 捨て石にしても惜しくない程度の存在だ。

 責任をかぶせるなら、もっと身分の高い騎士や貴族だろう。

 

 それにこんな片田舎とはいえ、歴とした属領じゃないか。

 たとえ領主が裏切ったからって、焼き払うなんて常軌を逸している。

 俺を領主から追放して、別の騎士を任じれば済む話じゃないのか。


 まるで辻褄が合わない。


「……俺は……裏切ってはいません」


「……仰るとおりなのかもしれませんな。陰謀か、単なる間違いか、あるいは新皇帝ルシウス様のお戯れか」


 新皇帝……ルシウス。


「……いずれにせよ、あなた様に原因があることに変わりはない。すべては御領主、マキシマム様の悪名が招いた結果です」


 淡々と領主であり鬼畜騎士である俺を糾弾する老人。

 怒った俺に殺されることなど恐れていない。

 むしろ、それを望んでいるかのようだ。


「……パティは……妹のパトリシアはどうなったのです?」


「……姫様は……わしらの子供たちと共に連れ去られました」


 老人の声が微かに揺らいだ。

 裏切り者の……それも下級騎士の妹だ。

 幼いからといって寛大な措置が取られるとは思えず、過酷な未来しか想像できない……。

 老人は身をかがめて小石を拾い、そして俺に向かって投げつけた。


 バシッ、


「二度目の警告はないといったはずだぞ」


「いいんだ、ディーヴァ」


「しかし、マスターナイト!」


「……いいんだ」


 老人に続いて、他の住人たちも投石を再開した。

 分厚い旅用のマントはほとんどの礫を弾いたが、それでもひとつが額を割った。

 投石と流れる血を無視して、俺は懐から取り出した皮袋を地面に置いた。

 ここまで傭兵や大道芸人の真似事をして稼いできた路銀だ。

 決して十分とはいえないが、今の俺に出来ることはこれぐらいしかない。


「……行こう」


 背中に礫を受けながら、俺は故郷タイベリアルを去った。

 苦い痛みばかりが残る帰郷だった。

 廃墟を走る街道を抜け城下を出たところで、ディーヴァが俺の行く手を遮った。


「わたしは納得できない、マスターナイト!」


 ディーヴァが俺を詰る。

 その表情は憤っているようであり、悲しんでいるようであり、傷ついているようでもあった。


「あれはマスターナイトの責任ではない! マスターナイトがあの者たちから石もて追われるいわれなどない! まったくない!」


「そうだね、瀬名岳斗のせいじゃないね」


「ではなぜだ!」


「あの人たちから見たら、俺がマキシマム・サークだからさ。それに――」


 ふざけた返答なら許さない!

 そんな瞳を向けるディーヴァに、真摯な眼差しを返す。


「俺は今までマキシマム・サークの名前と力で沢山の人をあやめてきた。中身は瀬名岳斗なのにね。それなのに過去にマキシマムが犯した罪や誤ちから逃げるのは筋が通らないよ――そうは思わない?」


 このは生まれたばかりの、純粋で穢れのない魂。

 間違った色に染めちゃいけない。

 ディーヴァに納得してもらうのは、彼女の主である俺の義務であり責任だ。


「……わからない。今のわたしにはマスターナイトの言っていることがわからない」


 俺は微笑み、歩き出した。


「ど、どこへ行く気だ、マスターナイト」


「帝都 ”ヴェルトマーグ”」


「え?」


「パトリシアを助ける」


 決然と言い切る。

 それで殺されたタイベリアルの人々が報われるとは思っていない。

 それで過去のマキシマム・サークの悪行が許されるとも思っていない。


 でも行く。

 行かなければならない。

 パトリシアは――俺の妹だ。


「一緒に来てくれる?」


 面映ゆい気持ちで訊ねた。

 答えはわかっていたし、聞く必要のないことだった。

 でも聞いておきたかった。

 きっとこれから臨む戦いの、支えになってくれる言葉だから。


「マスターナイトとわたしは一心同体だ。マスターナイトが行くというのなら事象の地平面の先へだろうと喜んで同行しよう。立ち塞がる者がいるなら、わたしが残らず駆逐してやる」


 ディーヴァはディーヴァらしい表現で、聞きたかった言葉をすべて語ってくれた。


「行こう、マスターナイト。パトリシアを助けに」


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