第10話 いきなり ”駄女神”

 極彩色の隧道トンネルを、意識だけが駆け抜けていた。

 そこが激しく波打つ量子の世界だということが、なぜか理解できた。

 自分はいま素粒子に分解され、観測が不可能とされていた世界を見ているのだと。

 やがて自我が時空をつなぐ極小のワームホールを抜けて、肉体が再構成された。


 ひとつの身体にふたりの記憶を持つ俺は、読み込みローディングに時間が掛かる。

 だから常人よりも起動が遅い。

 だから――。


 ドスッ! ドスッ! ドスッ! ドスッ! ドスッ!


 全身に強い衝撃と激痛。

 身体の内部に何かが差し込まれた異物感。

 ゴポッ! と口から、大きな血の塊が零れた。


『「馬鹿め、ほうけおって!」』


 ヒューベルムの指揮官が ”騎士の鎧ナイト・メイル” の外部音声と己の口の両方で、あざけると同時に勝ち誇った。


「……マー……サ……」


 自由の利かない顔をゆるゆると向けると、マーサが複数の ”鎧” に群がり寄られ、串刺しにされている姿が見えた。


(……アスタロテ……やっと君の気持ちがわかったよ……騎士が ”鎧” を失うって、こんなに悲しいことだったんだね……)


 マキシマム・タイベリアル・サークは、嗜虐しぎゃく趣味を持った残忍な男でもなければ、血の通わない冷酷漢でもない。

 マキシマムは、他人に男だった。


 マキシマムは、悲しみを抱かない。

 数年前に父親と母親が相次いで急逝したときも、マキシマムの心にはさざ波ひとつ立たなかった。

 隣りでまだ幼いパトリシアが泣きじゃくっていても、煩わしく思っただけだった。

 悲しみという感情が湧かない。

 だから他人の苦痛が理解できずに、実生活でも戦場でも、鬼畜とそしられるほどに無慈悲だった。


 富や名誉、物品や女性への欲望は人並み以上にあったが、一度手に入れてしまえば気味が悪いほど淡泊になった。

 すぐに飽きて捨てるか壊すかした。


 そんなマキシマムが唯一強く執着したのが、サーク家の家伝である ”騎士の鎧” だった。

 ”マーサ” という女性名が付けられていた濃緑の ”鎧” の継承を、マキシマムは切望していた。

 そのために当主である父親の死さえ望んでいた節さえある。

 マキシマムがこの世で唯一愛した――愛せた存在が、マーサなのではないか。


(……この胸の……痛みは……マキシマムの……もの……?)


 この異世界ハイセリアに転生してから、まだ一ヶ月しか経っていない。

 瀬名岳斗には、マーサへの愛着はないはずだ。


(……俺の精神は……マキシマムと……同化しつつある……のか?)


 全身を貫く激痛よりもはるかに強い喪失の痛みに、俺は戸惑った。


『「”鎧” だけでなく本人も仕留めろ! 油断せず遠巻きに射殺せ!」』


 鋭い矢風の音がして、今度こそ本当に身体に異物が突き立った。

 クロスボウから放たれた短矢クォレルが、腹と言わず胸と言わず肩と言わず、次々に突き刺さる。

 マーサに向かって右手を延ばすと彼女も同様の動作で手を伸ばし、その手が途中で落ちた。

 両眼から紅い光が消失する。


(……ご苦労様……今まで……ありがとう……)


 きっとマキシマムだって言葉は違えど、最期には同じことを思っただろう。

 マーサは死んだ。

 俺もすぐに後を追うだろう。

 アスタロテから追っ手の脅威を遠ざけられた今、これ以上悪あがきをする気にはなれなかった。


(……それにしても……ここはいったい……?)


 ぼやけた視線と意識がマーサと俺を殺し、アスタロテを救うことになった不思議な空間に注がれた。

 ガランとした空間。

 床がぼんやりと発光しているので視界はどうにか確保されているが、一〇メートルも先は見通せない。

 おそらくハイセリアで大昔に栄えたという、超古代文明の遺構なのだろう。

 どうやらここが、俺の墓場になるらしい。


(……正直異世界に転生したとわかったときは、かなり期待してたんだけどなぁ……テンプレどおりなら今ごろは可愛い奴隷を助けて懐かれてた辺りで……それがこんな最期だなんて、まったくトホホだね……)


”『奴隷』とはなんだ?”


 心の中で辞世の句ならぬ、辞世のぼやきが漏れたとき、突然声が響いた。


(……やれやれ、いよいよ幻聴まで聞こえてきたか)


”幻聴ではない。わたしは確かに存在している”


(……へえ、それじゃもしかしてようやく ”女神さま” の登場かな?)


 どう考えても天使じゃないよなぁ。

 だって俺、鬼畜騎士だし。

 このタイミングで現れるなら、絶対に悪魔だ。


(……君あれでしょ? 俗にいう駄女神さまでしょ? 出てくるのが一ヶ月遅いよ)


 本来ならあなたの出番は、俺がこの世界に転生する直前か直後でしょうに。 


”『女神』とはなんだ? 『奴隷』とはなんだ? わたしの拡張記憶領域は予期せぬトラブルによって九八.七五八パーセントがアクセス不能になっている。情報の提供をもとめる”


(……つまり記憶喪失の女神さまってわけ? それは気の毒に……)


 皮肉でもなく同情する俺。

 半分 ”仏” になってるからか。

 人間死ぬ間際には鷹揚おうようになれるものらしい。


(……奴隷っていうのは主人と契約してお互いに、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くして守りあう存在だよ……つまり一心同体、雌雄一対、比翼連理ひよくれんり……)


 少なくとも、最近の奴隷はそういうことになっている……。


”では『女神』とはなんだ?”


(……女神っていうのは……)


 女神っていうのは……。

 女神って……いうの……は……。

 駄目だ……言葉が出てこない……考えがまとまらない……。


”どうした? 情報の提供を求める”


(……ごめん、そろそろ……タイムリミット……残りは天国で……)


 でも俺、鬼畜騎士だしなぁ……。

 やっぱり行き先は地獄だろうなぁ……。

 あとで蜘蛛の糸でも垂らして引っ張りあげてよ……女神さま……。

 

”有機情報体の生命活動の著しい低下を確認”


”今後の代替対象の確保は未知数。現在の対象の生存を優先”


”現時点での取得情報は『奴隷』と『女神』のみ”


”『女神』の詳細は不明。よってこれよりアイデンティティーを『奴隷スレイヴ』と定義する”


”奴隷とは主人と契約してお互いに、その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くして守りあう存在”


”自己診断プログラムに問題矛盾は検知されず。定義完了” 

 

”顕現化の母体フレームを機能を停止した旧世代のバトリング・ドールに設定”


”顕現――開始”


 なにやら……どこかで……誰かの……猛烈な独り言が……。

 視界が……光に満たされて……やがて薄らぎ……。

 そして……。


「顕現完了」


 遠のく意識の片隅で……。


「有機情報体――これより、おまえがわたしの主人マスターだ」


 誰かが……誰かに……言っていた。





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