第15話 繋がり
その一撃は、国の門すら貫いた。
目の前にいた魔女を消し飛ばし、本来なら国民を守る為の門すら灰に変えた。
それくらい、強力な一撃だったのだ。
誰の目にも分かる程、魔女が魔女を撃退したであろう一撃。
強烈な光が全てを呑み込む、見た事も無い魔法だった。
「お見事です、エレーヌさん」
ニヘラッと気の抜けた緩い笑みを浮かべてみれば、彼女は長剣を取り落として此方に抱き着いて来た。
ガランッ! と重い音を立てて転がる魔剣と、何も言わずにしがみ付いて来る魔女様。
もはや何も考える事は許されず、彼女の暖かさをこの身で感じながらのハッピーエンド。
だと、思っていたのに。
「魔女の厄災……そうだ、これは魔女が呼び寄せた厄災だ!」
どっかの馬鹿が、そんな事を言い始めた。
その声は徐々に広がり、まるで泉に投げた小石が波紋を広げる様に、人から人に伝染していく。
「魔女のせいだ! お前が居るから、こんな厄介事に巻き込まれるんだ!」
「兵士が何人犠牲になったと思っているんだ! お前さえいなければこんな事起きなかった!」
やがて空気に感化された市民が、俺達に向かって石を投げ始める。
ほとんどは空気に呑まれ、周りに合わせただけなのかもしれない。
だとしても、とてもじゃないが許せる行動ではなかった。
「っ!」
未だ俺に抱き着いたまま動かないでいるエレーヌさんを抱きかかえ、周囲から隠すように俺の背面を差し出した。
背中に、額に。
彼等の投げた石がぶつかって来る。
ジワリと広がっていく痛み以上に、この“空気”が傷に染みる。
今まで命を張って戦っていた相手に対して、何故こんな事が出来る?
ボロボロになってまで皆を守ったこの人に、何故そんな感情が向けられる?
思わず奥歯を噛みしめて、周囲を睨みつけたその時。
「どらあぁぁぁぁぁぁ!」
すぐ近くで、雄叫びが上がった。
「オラァァア! ついさっきまで戦ってた奴らに石を投げる馬鹿は、俺に向かって石を投げろ! 相手になってやる! 誰だ!? 今石を投げたクソヤロウは誰だ!? 金玉ついてんなら、堂々と前に出ろや!」
ドラグさんが大声を上げながら、俺達を守る様に両手を拡げていた。
この場には国の兵士だって居るんだ。
魔女を庇う様な発言をすれば、その身に影響が返って来るという事は分かっているだろうに。
それでも、彼は俺達の前に立ちはだかった。
「馬鹿孫! 盾くらい持ちな!」
何処からかっぱらって来たのか、メディさんがドラグさんに向かって木製の盾を投げ渡し、自らも構えて俺達の後ろに付いた。
「オラ投げてきな! こんな年寄りに石を投げて、俺はまともだと公言出来る馬鹿がいるなら、存分に投げな! わたしゃこの子達を守るよ! ほらどうした! 掛かってきなよ!」
そう言って、メディさんが周囲に鋭い視線を向ける。
あぁ、本当に。
俺は、人に恵まれた。
こんな人達に囲まれながら、生きていたんだ。
俺にとっての“普通”ってヤツは随分特別で、皆に守られながら成り立っていたのだと実感できた。
これだけでも、十分に“普通”というモノに感謝していたというのに。
「魔女だろうが関係ない! 惚れた女を守って何が悪い! 俺の息子に手を出すなクソヤロウ共が! 誰が誰を守ったのかもわからない様な奴らなら、物を売ってやる価値も無い! 恥を知れ!」
「トレック! 伏せてなさい! 大丈夫だからね!」
民衆の中から飛び出して来た二人が、更に加わった。
一人は両手を広げ、ドラグさん達と同じ様に俺達を守る様に立ちはだかり。
もう一人は俺達に覆いかぶさり、その身を挺して守ろうとしてくれた。
「父さん……母さん……」
今では俺達を囲んで多くの民や兵士が見守る中、静かな空気が流れていた。
まるで遠巻きに野次馬するかの如く、皆が皆此方に視線を向けながら静かにたたずんでいる。
そんな中、周囲には俺達を守ってくれる人達。
あぁ、これは。
思わず俺はエレーヌさんに視線を向けた。
「エレーヌさん、見えますか?」
抱き着いている彼女は俺の肩に頭を載せている為、その表情までは見えなかったが。
でも、彼女は静かに頷いてみせた。
「皆、俺達を守ってくれてます。魔女だからって、一歩引く必要なんかないんです」
そう言ってみれば彼女はプルプルと震えて、嗚咽を洩らし始めた。
「でも、これはトレックを護る為……私が近くに居ない方が、貴方は幸せになれる」
グズグズと泣きながら、より一層彼女は俺の事を抱きしめて来た。
本当に、素直じゃない。
いつだってそうだ。
私は“魔女”だから、私は一人で平気だからって。
そう言って周りを拒んで来たのだ。
全ては、彼女と関わる事で不幸になる人を減らす為に。
「俺の幸せは、貴女と共にあります。一緒に居てくれませんか? 俺は、貴女が好きなんです。貴女と一緒に居られれば、どんな事にも立ち向かえるんです。それこそ、魔女にだって喧嘩を売るくらいに」
「馬鹿……貴方は本物の馬鹿よ……」
エレーヌさんは、その後も馬鹿馬鹿と繰り返しながら抱きしめる腕に力を入れた。
ずっと自分から離れろと言っていた彼女が、今では放してくれない。
これが、答えなのだろう。
彼女は綺麗事ばかり口にする。
自らは限界でも、相手にとって悪い影響を及ぼすなら拒絶する。
そうやって、今まで生きて来たのだろう。
自分の気持ちを犠牲にして、“誰かの為に”と生きて来たのだろう。
「本当に嫌なら、放してくれて構いませんよ。貴女に拒絶されるなら、諦めます。でも、心の何処かで誰かに頼りたいと思っているのなら……この手を放さないで下さい」
「馬鹿、馬鹿っ……大馬鹿!」
ポツリポツリと呟きながら、彼女は俺の肩にしがみ付く。
限界だったのだろう。
人は、一人では生きていけない。
だからこそ、誰かを求めた。
でも、誰も彼女に手を差し伸べなかった。
それを当たり前だと受け入れて、彼女は一人で生きて来たのだ。
何の喜びも無く、何の価値も見出せぬまま。
だったら。
「その大馬鹿者が、これから一緒にいます。貴女を肯定します、貴女という存在を認めていきます。だから、自分を否定しないで下さい。貴女はエレーヌ・ジュグラリス。俺の大好きな、世界一綺麗な魔女だ。貴女を否定する事は、あなた自身であろうと俺が許しません」
言葉を紡ぎながら彼女の頬に手を当て、正面に持って来てみれば。
「私を、認めてくれるの?」
酷い泣き顔があった。
ハハッ、こりゃ世界で一番美人とは言えないや。
でも、俺の好きな人の顔だ。
こんな顔をしていても、愛おしく思える。
「はい、俺は貴女の隣に居ます。いつでもどこでも、貴女を肯定してみせます。貴女は世界でただ一人、トレックという男の心を奪った魔女だ。だったら、それに誇りを持ってください。貴女は、エレーヌ・ジュグラリス。俺の心を奪った、ただ一人の女性だ」
それだけ言って、顔を近づけた。
エレーヌさんもそれを拒む事無く、徐々に近づいていく。
愛しています。
そんな言葉を心に抱きながら、彼女の唇に触れようとした。
その時。
「何をやっている貴様ら! 何だこの有様は! あの魔女は何処に行った!?」
えらく空気の読めない声が、広場に響き渡った。
あぁ、くそっ。
今の声、絶対あのクソヤロウだ。
思わず眉を顰めながら、鋭い視線を向けてみれば。
「あぁ、そんな所に居たのか魔女。しかしこの有様は何だ? 相手を我が国内に引き入れてしまうばかりか、入国門は今や瓦礫の山。この状況でどう責任を取るつもりだ? 貴様の報酬程度では到底補修できぬ事態だぞ?」
険しい顔を浮かべる彼が近付いて来れば、彼女は俺を押しのけて立ち上がった。
流石に周りに集まってくれた皆も、彼が国の上層部の人間だと雰囲気で分かったらしく、悔しそうな顔を浮かべながら一歩を踏み出せずにいた。
だというのに。
「今更出て来て、随分と大きな顔をするのね。ボンクラ」
エレーヌさんが、彼の顔面に右の拳を叩き込んだ。
流石に手加減はしていたのだろうが、それでも盛大に吹っ飛んでいく偉そうな貴族様。
普段から険しい顔をしていたのに、今では頬を押さえながらピクピクしているのが良い気味だ。
なんて、それだけなら良かったのだが。
とてもじゃないがそういう訳にはいかないだろう。
「貴様っ! 自らの立場さえも忘れたか!? 私が少しでも口添えすれば、お前など――」
「ほほぉ、それは気になるのぉ。口添えすると、どうなるんじゃ?」
真っ赤な顔で叫んでいた彼が、どんどんと青白く染まっていく。
そして、視線の先に居るのは。
随分と歳のいったお爺さん……というには、えらく豪華な格好をしているが。
「言うてみぃ、どうなるんじゃ? 我が国の魔女が、他所から攻めて来た魔女を撃退した。だというのに、どうなるというんじゃ?」
「あの、いえ。私は、その……」
「下らんのぉ、実に下らん。報告によると、魔女が後手に回るまで、お前達は手をこまねいていたらしいのぉ。誰がそんな指示を出したのやら……儂が老いぼれになったからとは言え、あまり好き勝手やるものではないぞ?」
フンッとつまらなそうに鼻を鳴らしながら、老人は杖を突きながら此方に歩み寄って来た。
どう見てもこの国の偉い人。
これは下手な事を言うと更に状況が悪くなるぞ……なんて事を思いながら彼の行動を見守っていれば。
「久しいのぉ、エレーヌ。依頼、ご苦労であった。報酬は何が良い? 何でも言ってみよ、言うだけならタダじゃ」
彼は先程までの威圧感など嘘の様に、まるで孫を見るお爺ちゃんの様な顔で笑い始めた。
あ、あれ? なんだこれ。
どうしたら良いの?
色々と混乱しながら、彼等の事を見守っていれば。
「王様……旅に出ても良い? 私の居場所は、多分この国には無い。だから……色々と見てみたい」
エレーヌさんが、まるで親しい間柄みたいな雰囲気で言葉を紡ぎ始めた。
王様? 王様って言いましたかね?
本当にちょっと待て。
確かにこの国の王様は結構な高齢で、もうあまり人前には出ないって事で顔を見た事は無かったけど。
え、王様ってこんな気安い感じなの?
なんて思っている間に周囲に集まった人たりは膝を付き、頭を下げる。
慌てて俺もソレに従ってみた訳だが。
「国から出たくない一心で依頼を受けていた魔女が、旅に出るか。まさか一人旅という訳ではあるまい? どこのどいつじゃ? お前さんの心を動かした輩は」
なんだろう、緩い感じに喋っているのに威圧感が凄い。
思っている間にも彼は視線を動かし、俺達を観察していく。
そして。
「まだ先になるかもしれない。でも、一緒に行こうって言ってくれたから。その言葉が本気なら、私はトレックに着いて行きたい」
エレーヌさんは、迷いなくそんな言葉を紡いだ。
あぁ、うん。
物凄く嬉しいです。
この状況じゃなければ、という言葉が付いて来るが。
「ほぉ、お前さんか」
彼女の視線を追って、王様の瞳が俺の事を捕らえた。
なんだろう、肉食獣に睨まれた気分だ。
だがしかし、彼女がここまで酷い状態になるまで放置した王様だ。
俺だって一言くらい文句を――
「後でちょぉっと話がある。なぁに、爺と昔話をするだけじゃ、時間は大して取らせん。良いな?」
「……はい」
ズイッと近づいて来た国王に、それしか声を返す事が出来なかった。
何だこのお爺さん。
物凄く雰囲気が怖いんだが。
――――
その後、王城にお邪魔するというとんでもない約束を無理やり交わされ、俺達は解放された。
国に仕える皆様方は後処理に追われて随分と忙しそうだったが、それ以外の人々には帰宅命令が出された。
入国門が盛大にぶっ壊れてしまった為、夜間の外出は禁止だと叫んで回っている衛兵さん達。
今日彼等は眠れる時間があるのだろうか?
何てことを考えながら、俺達も大人しく帰路に着いた。
「本当に、よかったの?」
心配そうな顔で呟くエレーヌさんが、俺の少し後ろを付いて来る。
「何がですか?」
「何が、じゃないでしょう。御両親の話よ」
「あぁ、はい。まぁ」
「まぁ、って……」
あの後ドラグさん達にはひたすらに心配され、どこからともなく登場した俺の両親は「家に戻ってこないか」と言ってくれた。
魔女であるエレーヌさんに関わる事にも口を出さないし、家業を継げとも言わないという条件まで出して。
しかしながら、俺はそれを断ってしまった。
確かにありがたい申し出だし、このままの日常を続けるなら“俺としては”悪くない選択だとも思えた。
でも、間違いなく周りに影響が及ぶだろう。
魔女という存在に関わる俺を手元に置く両親と、従業員として雇ってくれているドラグさん達にも。
なんたって、今回は派手にやり過ぎたのだ。
むしろこの後俺とエレーヌさんが国外追放という形になったとしても、両家に悪い影響が出ないか心配になるくらいに。
父さん達は俺の事をあんな大衆の前で息子だと叫んでしまったし、ドラグさん達だって結果的に魔女を守る行動を取ってしまったのだ。
魔女に対する民衆の反応。
それはついさっき、痛い程感じられた。
だからこそ。
「皆に迷惑を掛けてしまうかも知れませんね。申し訳ないと思うし、いくら謝っても足りないかもしれません」
「だったら……」
「でも、俺は貴女と一緒に居ると約束しました。それにこの変化は、俺一人がどうこうした所で何も変わりませんよ」
人の差別意識というモノは、誰かに何かを言われた所でガラッと変わるモノではない。
今日の光景を見て、少なからず思う所があった人間は居るかもしれないが。
それでも、影響が目に見えて分かる様になるまで何年何十年と掛かる事だろう。
だったら、俺達はその世界で生きていくしかないのだ。
俺が親元に戻る決断をしたところで、正直そこは何も変わらない。
むしろ手元に残っていない方が、悪い噂は早く無くなる事だろう。
人は、いつか“飽きる”モノだから。
疑いを持った人間からは商談が減ったりもする、とは思う。
でもその程度で潰れる程、ウチの親は弱くない。
ドラグさん達みたいな取引先を数多く持っているあの家は、多分相当下手を打たない限り無くなる事は無いのだろうと予想出来てしまうのだ。
なんて、希望的観測なのかもしれないが。
「結局、好きに生きろって言われましたからね。皆に感謝です、心置きなく貴女と旅に出る事が出来ます」
「そこまで私に拘る理由が分からないわ……本当に馬鹿なのね、貴方」
やけに可愛くない事を言って、そっぽを向いてしまう魔女様。
全くこの人は。
彼女の方へと体ごと向き直り、歩みを止めてみれば。
「な、なに?」
今までの彼女では想像出来ないくらいに、ビクッとその身を強張らせてみせた。
「まだ分からないのなら、もう一回言いましょうか?」
ニッと口元を緩めてみれば、彼女は更に視線を逸らしその顔をみるみる赤く染めていくのであった。
「恥ずかしいから、言わなくていいわ」
あら可愛い。
とか言ったら怒られそうだが。
それでも、一言だけ言いたい。
「“無情の魔女”って、誰が名付けたんですかねぇ」
「それは、嫌味かしら?」
からかったのがバレてしまったらしく、彼女は顔を赤くしながらも鋭い眼差しで此方を睨んで来た。
あぁ、ほんと。
この人の、どの辺りが“無情”なんだろうか?
なんて、思わず笑みを浮かべてしまうのであった。
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