第10話 共に生きるという事
「はぁ……」
仕事中にそんな溜息を溢してみれば、店主のドラグさんに背中を引っ叩かれてしまった。
急にズドンと背中に衝撃が走った為、数秒間息が詰まった様に感じたが。
「元気ねぇなぁトレック。どうした、女にでもフラれたか?」
カッカッカと笑う彼を見て、思わずヘラッと作り笑いを浮かべてしまう。
あまり良い癖ではないと分かっているのだが、どうしたって商人の時の癖が抜けないのだ。
「いやぁ、フラれたって訳じゃないんですけど……何というか、生きづらい世界だなぁって」
「なんだなんだ? 規模のデカイ話か? 相手の女はもしかして貴族様か何かか?」
興味津々とばかりに髭モジャの巨漢がキラキラした眼差しを向けて、こちらを覗き込んで来るのは些か恐怖を覚えるが。
まぁいつもの事なので、結構慣れてきた。
「えっと、何と言いますか。ドラグさんだったら、好きな人が世界中から嫌われる様な存在だった場合……どうします?」
「これまた規模がでけぇな。各国の指名手配犯に恋でもしたのかよ?」
彼の言葉に、ハハッと作り笑いを返してみたが。
俺の顔を見て、ドラグさんはふざけた雰囲気を引っ込めた。
「いや、スマン。真面目な話なんだな? ちょっと待て、真剣に考える」
そう言って腕を組み、店の中をウロウロと歩き回りながら「う~ん、う~ん」と唸り声を上げる店主。
見た目の影響もあって、この場でお客さんが入ってきたらすぐさま帰ってしまいそうな異様な光景だったが。
しかし、数十秒後。
彼はビタリとその場に停止し、此方を振り返って来た。
「笑うなよ?」
「笑いませんよ」
何故か釘を刺してから、彼はゴホンッと咳払いをし。
「何があっても俺だけは一緒に居る。と、言いてぇところだが現実はそう簡単じゃねぇ。とんでもなく苦労するだろうし、周りにも迷惑を掛けちまう。それも全部承知の上で、だとしても一緒に居たいと思う相手なら……多分。何をしてでも、ソイツの味方になっちまうだろうな」
ドラグさんはやけに格好の良い台詞を言い放つのであった。
そうだよね、やっぱり男だったらそういう答えになるよな。
なんて、一人納得しかけたその時。
「でもな、それって独りよがりな決断でもあるんだよ」
「え?」
何故だか、彼はとても寂しそうな顔で笑っていた。
これまでに見た事のない優しい顔で。
それでも、今にも泣きそうな笑みを浮かべて。
「トレックが言う様な、世界から嫌われる程の相手ってのは……俺には想像出来ねぇが。ホラ、周囲から嫌われる存在って色々あるだろう? 周りからしたら普通の上下関係でも、本人からしたら特別だったりするんだよ。俺の場合は、そういう相手だったからな」
ちょっとだけ恥ずかしそうにしながら、彼はカウンターの引き出しから一枚の手紙を取り出した。
それは随分と古ぼけていて、どう見ても最近のモノではないと分かる。
「最近の若い子じゃあまりピンと来ないかもしれないけど、獣人が差別されてたのは知ってるか? この街でも、そりゃ同じだったんだ。俺の若い頃なんか本当に酷くてな? 人族のガキ共が、獣人の女の子に石を投げるなんて当たり前にあった事だったんだよ」
獣人。
それは獣の耳や尻尾を生やした見た目が特徴の“人間”。
過去には多くの迫害の歴史があり、他国では未だ差別の対象となっている場所だってあるくらいだ。
この国ではもう、そういった傾向は見られないが……。
「そういう認識が蔓延って、獣人と仲良くする奴らなんか異常者だぁなんて言われる時代があった訳だ。でもよ、俺には好きな子がいてなぁ。そりゃもうすげぇ可愛い子だったんだけど、獣人だったんだわ」
昔を懐かしむ様に古い手紙を撫でながら、彼は上を向いた。
「つまりドラグさんはそんな逆風の中でも、その子を守ったって事ですか?」
何となく、想像がつく気がする。
きっと昔から体が大きくて、ガキ大将って感じの雰囲気だったのだろう。
そんでもって、周りから何と言われようとその子を――
「いや、逆だよ。俺は何も出来なかった、昔は本当ぉ~~にチビでな。同い年の奴らでさえ怖くて仕方がないビビリだったんだ。だから、その子がイジめられてる時も影から見てただけだ。そんで、いじめっ子が帰った後も泣いているその子に、俺はハンカチ一つ貸してやれなかった」
予想とは、全く違う答えが返って来た。
彼は上を向いたまま、何かを我慢する様にグッと拳に力を入れている。
今でこそこんなに逞しい男性だというのに、過去の彼は……正直想像する事すら難しい。
過去俺がこの店に売り込みに来た時、彼は非常に友好的に話を聞いてくれた。
本当に誰とでも仲良く慣れそうな笑顔を向けながら、力強さを併せ持つ逞しい人だと思わせた。
その彼が、今。
過去の自分を悔いている。
「俺のつまんねぇ葛藤の話は省くとしてもよ。とにかくその子を守ってやりたくて、体を鍛えたんだよ。んで自分でもちょっと自信がついたころ、その子に告白と……謝罪の言葉を送った。今まで助けられなくてごめんってな」
黙ったまま彼の話の続きを待てば、ドラグさんはやっと視線を下ろして俺の方を見た。
そして、いつも通りの笑みを浮かべる。
「その結果、何とお付き合い出来た訳よ。そんでもって、数年後には結婚もして。順風満帆! だったんだがな」
「……その方は、今」
「死んだよ、自殺だ」
「っ!」
笑顔を浮かべながら、彼は悲しそうに口元を緩めた。
もはや自分の中では決着が付いていると言わんばかりに。
それこそ、“大人”の表情をしていた。
「その子が酔っ払いに絡まれてな、獣人排他主義者だったんだ。人の嫁の耳を削ぎ落そうとしやがった。だから、俺も全力でぶん殴って大騒ぎ。その結果、俺だけが懲役刑って訳だ」
「そんなのおかしいじゃないですか!」
あまりにも納得いかない。
だってドラグさんは何も間違った事をしていないのだ。
だというのに、彼だけが罪に問われたのか?
いくらその時代が獣人を軽視していたからとは言え、あまりにも身勝手な判断に思えるのだが。
「身分や立場、周囲の見方によって変わって来る。それが世界ってもんだよ、トレック。まだ若いお前には飲み込めねぇかもしれねぇが、それが“世界”を敵に回してたった一人の味方になるって事だ。俺は、“俺の世界”を敵に回してでもあの子を嫁に貰った。その結果が、この店だ」
「いや、でも。今はこうして、立派に店を継いでいるじゃないですか。どうしてその方は、その……」
正直、ここまで俺が突っ込んで良い話だとは思えなかった。
でも、どうしても聞いておきたかった。
彼が俺に何を伝えようとしているのか。
その答えが、まだ見いだせていないのだから。
「簡単に言うとな、俺が殴ったのは結構な位の貴族だった。ソイツが“獣人を庇う異端者の家族”として、俺の家をつるし上げた。両親は俺との関係を切り、何とか難を逃れたが……俺が牢の中に居る間、嫁は一人っきりになっちまった。向こうの家族は死んじまってたからな。そんな時、ウチの婆ちゃんが拾ってくれたんだよ」
「メディさんが?」
「あぁ、本人からしたら厄介事以外何でもないのに。婆ちゃんは昔結構名の知れた薬師でな、割と繁盛してた。でも俺の嫁を引き取ったせいで客は離れ、俺が戻ってくる頃には常連客さえ足を運ばなくなっちまってた。それでも婆ちゃんは、孫の決めた相手だからって最期まで守ってくれたよ」
何というか、彼女らしい。
ドラグさんの豪胆さはまさにメディさんから受け継がれたと思える程、あの人は真っすぐな性格をしているのだから。
なんて、良い話で終われば良かったのだが。
「俺の嫁はよ、俺が戻って来た事に安心した顔を見せてから……翌日に死んじまったよ、この手紙を残してな。なんて書いてあると思う? ここに書かれてる文章が、最初に俺が言った“独りよがりな決断”ってヤツに繋がるんだよ」
「えっと……」
静かに差し出される手紙に、思わずたじろいでしまった。
読んで、良いのだろうか?
恐る恐るその手紙を手に取り、封を開けようとしたその時。
「お止め! 読むんじゃないよトレック!」
大きな声が店内に響き渡り、思わず手紙を取り落としてしまった。
慌てて手紙を拾い上げてから、声のした方向へと視線を向ければ。
「何度も言っているだろう馬鹿孫、そう言ったモンは“呪い”に変わる事だってある。重すぎる想いが詰まった最期の手紙なんぞ、他人様に見せるんじゃないよ。それは、アンタだけが背負えば良い」
普段からヘラヘラしているメディさんから想像出来ない程、とても鋭い眼光が向けられていた。
あまりの事に思考が真っ白になって、パクパクと声にならぬまま口を動かしていれば。
「トレックには必要だと思ったんだよ、何たってコイツは、“世界”を敵に回すかもしれない女の尻を追いかけているらしいからな」
そう言いながらドラグさんは俺の手から手紙を取り去って、静かに引き出しの奥に仕舞った。
そして。
「簡単に言うとな、トレック。いくら守ってやりてぇってコッチが思っても、相手が重荷に感じちまうこともある。そして周りが全て敵に変わる状況ってのは、多分お前が思っている何倍も怖い事だ。そんでもって相手からしたら、その状況に相手を堕としてしまったと考え始めた時。意外と人間は弱ぇもんだ。私のせいで、ごめんなさいってな。こんな事になるなら、最初から関わらなければお互い幸せだったかもしれねぇ。そんな風に考えちまうくらいに、怖い事なんだぞ?」
それだけ言って、彼は店の奥に引っ込んで行った。
いつもの大きな背中が、今日だけは何だか小さく見えてしまう。
「すまないね、トレック。あの子もアンタに同じ轍を踏ませない様にと、色々考えた結果なんだろうけど……昔から言葉が下手でね」
「あ、いえ」
メディさんに頭を下げられ、思わず恐縮してしまった。
事情を知らなかったとは言え、こちらが彼の傷口に触れてしまったようなモノだ。
今後どんな顔をして良いのやら……なんて考えていれば。
「明日からも、普通に接してやっておくれ。あの子も多分、昔を思い出してムラムラしただけじゃろうから」
「ムラムラはちょっと違うんじゃないですかね」
思わず突っ込んでしまったが、メディさんはカッカッカと愉快そうに笑っていた。
何というか、本当に強い人たちだ。
確かに彼の言う通り、俺はエレーヌさんと関わる事をそこまで重く捉えていない気がする。
心配された様に、多分コレは甘えであり思考を放棄した行動なのだろう。
もしも何か問題があった時、それは俺のみに関わらず周りにだって影響を及ぼす。
それこそこの店や、絶縁したとはいえ家族にだって何かしらの影響が出るかもしれない。
本来ならそういう所までしっかりと考え、保険を作って行動するべきだったのだ。
だというのに、実際はどうだ?
ただただ彼女の傍にいる事ばかり考えて、感情に任せて国のお偉いさんに喧嘩を売ったりなんかして。
もはやどうしようもない程、ガキ臭い行動を取っている。
そう考えると、思わず今までの行動が恥ずかしくなってくるわけだが……。
「トレックの好きな子っちゅうのは、どんな子なんだい?」
メディさんが、いつも通りの柔らかい微笑みを浮かべて問いかけて来た。
どんな子、どんな子かぁ……。
彼女を何と表現すれば良いのだろう。
「そうですね、とても強い人です。誰に嫌われようと表情一つ変えず、戦闘であれば誰よりも強く逞しい女性ですかね」
「ほぉ、そいつは凄いね。他には?」
後は、なんだろう。
言葉にしようとすると難しいな。
「凄く綺麗な人なんですよ。銀色の髪を揺らしながら、静かな赤い瞳を向ける。声も綺麗です、鈴が鳴る様なって表現はコレなのかって初めて実感しました」
「他には?」
「後はそうですね。いっつも無表情なんですけど、ご飯の時だけ表情が柔らかくなるんです。声を掛けるといつも通りの表情に戻るんですけど、食べている時だけは小動物みたいな感じで。でも、家だとちょっとだらしないですかね。変な買い物して来たり、何だかんだ言って洗濯は俺に任せて来たりと。未婚の女性なんですから、せめてもう少し――」
何てことをしばらく語っていたのだが、メディさんは嬉しそうに俺の話に耳を傾けていた。
そして、彼女は最後に。
「それくらいに好きだって相手が見つかったんだ。少しくらい嫌な顔されたって、一人に何かしてやるんじゃないよ? 人と人が一緒に歩けば、迷惑掛けるのなんて当たり前だ。迷惑掛けた分、相手の迷惑を受け取ってやれば良い。少しでも距離が開いちまえば……あの子みたいになりかねないからね。好き同士って奴は、離れた分だけ心配になるんだよ。“もしかしたら”が積み重なって、いつか押しつぶされちまう。だから、何が何でも一緒に居な。傷を負うなら二人で負いな。それが、一緒に生きるって事だよ」
それだけ言って、彼女もこちらに背を向けるのであった。
「今日はもう店じまいだ。気を付けて帰んなよ、トレック。ちょっと早いけど、あの子の酒に付き合ってあげなきゃいけないからね」
なんだか、本当に悪い事をした気分でいっぱいになってしまいそうだ。
きっとこんな同情は“違う”のだろうが。
だからこそ、静かに頭を下げて薬屋を後にした。
人生いろいろというが、俺には覚悟が足りない気がする。
何をどうすれば良いかってのは分からないが、それでも。
もっと色々な事を考えて、今後を考えて。
利口に立ち回らないと、いつか躓く未来が待っている気がしてならないのだ。
だって、俺が共に生きようとしているのは……世界から嫌われる“魔女様”なのだから。
「もっと、頑張らないと……」
せめて彼女がずっと笑っていられるように。
今の所、俺の目標はその一点に尽きるのであった。
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