第9話 認識


 「おかえりなさ――」


 「……戻ったわ」


 私の姿を見た瞬間、トレックが笑顔のまま固まってしまった。

 まぁ、それも仕方のない事なのだろう。

 なんたって今の私は、血や泥でえらく汚れているのだから。


 「何があったんですか!?」


 「仕事が終わったから王城へ報告に行って来たのよ。怪鳥の死骸を取り出した時に少し汚れただけ、私の血じゃないわ」


 「そっちの泥は!? 明らかに普通の汚れ方じゃないですよね!?」


 「それは……」


 どうしたものかと視線を背けてみれば、彼からは何が何でも聞き出してやるという雰囲気が漂って来る。

 参ったな、おかしな事を言ってまた彼が怒り出さないとも限らない。

 怒りに任せて国のお偉いさんに喧嘩を売ってしまう様な人物なのだ、あまり余計な事に首を突っ込んで欲しくはないのだが。


 「別に、いつもの事よ」


 「エレーヌさん」


 「それより、お腹が空いたわ。早く食事を――」


 「エレーヌさん!」


 真剣な顔で此方を見つめて来るトレックに、思わず大きなため息が零れた。

 何故こうも他人の事で怒れるのか。

 自分の身に起きた訳ではないのだから、もう少し寛容になっても良いというのに。


 「……街の子供達の悪戯よ、魔女狩りって遊びが流行っているらしくてね。子供は恐れを知らないから、度胸試しのつもりなんでしょう。泥だけ投げつけて、そのまま逃げて行ったわ」


 「その子供達の特徴は?」


 「止めなさい。子供のやった事よ、必要以上に気にしないの」


 「でもっ!」


 「でもじゃない。いい加減飲み込みなさい、コレが魔女に対する普通の扱いなのよ。はっきり言ってしまえば、貴方の方が異常なの」


 ピシャリと言い放てば、彼はグッと唇を噛んだまま押し黙ってしまった。

 しかし、これで良い。

 感情に任せてまたおかしな真似でもしてみろ。

 前回国のお偉いさんにした事の方が問題としては大きいが、子供達に何かしら制裁を加えてしまったら、より身近な所で障害が発生する。

 彼が普段生きている環境で直接、目に見える形で問題を起こすのだ。

 それを見た周囲の人間は、間違いなくトレックの事を“異物”だと判断する事だろう。

 更に言えば、私と共に居るという特大の不安材料だって後押しする形になる。

 全てが公になれば、この街に彼の居場所が無くなってしまう事になる筈だ。


 「お腹が空いたわ、トレック。何か作ってくれないかしら」


 「……わかりました。一旦は飲み込みます」


 「えぇ、ありがとう」


 それだけ言って、彼はスッと身を引いて玄関に通してくれた。

 本当に、何故ここまで私なんかに入れ込むのか。

 昔助けた恩だというのなら……たった一度、私にご飯を用意してくれただけでも充分過ぎる程返してもらっているというのに。

 誰かが私の為に作ってくれた食事、それを誰かと一緒に食べる。

 そんな些細な事でさえ、私にとってはこの上ない幸福なのだから。


 「辛くなったら、いつでも出て行って良いのよ? 前に戻るだけ。罪悪感なんて持たなくて良いわ。私は、十分に返してもらったから」


 「それ以上言ったら、もっと怒ります。いいから早くお風呂入って来て下さい。仕事帰りなんでしょう? 汗臭いですよ」


 「んなっ!?」


 思わずバッと振り返ってみれば「冗談です」なんて言って、寂しそうに笑うトレック。

 本当にコイツは……歳を取るごとに性格が悪くなっていないか?


 ――――


 早朝、ノックの音で目が覚めた。

 エレーヌさんは例の如くまだ目覚めていないし、今日は何かが届けられる予定も無い。

 二階のボロ部屋の修繕かとも一瞬考えたが、そういえば「魔女の家なんて」と言って断られたのを思い出した。

 だとすると、誰だ?

 警戒しつつ玄関に向かい、腰の短剣に手を当てながら声を返した。


 「どちら様でしょうか?」


 俺の声に反応したのか、扉の向こうから息を呑む音が聞えて来た。

 一人じゃない、複数名居る。

 こんな時は窓から確認したい所なのだが……生憎と未だに酒瓶が詰まった木箱で、日の光が入らない程塞がっているのだ。


 「以前のガキか……私だ、覚えているだろう? 王から魔女に仕事だ、扉を開けろ」


 前にも聞いた、あのクソヤロウの声がした。

 コイツ、どの面下げて。

 とか思ってしまうが、相手はこの国のお偉いさんだというのだ。

 あまり下手な真似をしても、またエレーヌさんに迷惑が掛かってしまうだろう。


 「前の仕事から間もないですが、今度は何ですか? また要領を得ない依頼書で、厄介事を彼女に押し付けるつもりですか?」


 扉を開けぬまま声を返してみれば、向こう側からドンッと強い衝撃が返って来た。


 「勘違いするなよ小僧、私たちは“お願い”に来ている訳ではない。これは“命令”だ。ただでさえ厄介者を国内においてやっている慈悲に感謝し、命令された事を何も言わずこなしていれば生活させてやると言っているのだ。魔女などという化け物が普通に生きていく為には、犬の様に忠実で、常に尻尾を振りながら主の命令に従っていれば良い。それが出来れば、餌はくれてやるという訳だ。我々だって暇じゃない、さっさと駄犬を連れて来い」


 「お前っ、いい加減に――」


 思わず扉を押し開こうとしたその瞬間、後ろから肩を掴まれた。

 振り返ってみれば。


 「トレック、貴方は出なくて良い。私の客よ」


 身支度を整えたエレーヌさんが、音も立てずに真後ろに立っていた。

 俺が渡した真っ赤なドレスを身に纏い、相も変わらぬ人形の様な表情で。


 「でも……」


 「昨日から、“でも”が多いわね。まだまだ若い証拠なんだろうけど」


 ちょっと年寄り臭い台詞を吐きながら、彼女は俺の横を通り過ぎて扉を開いた。

 そして。


 「無駄話はいいから、依頼の内容を。暇じゃないと豪語するなら、さっさと仕事を済ませて帰りなさい。“駄犬”に噛みつかれない内にね」


 冷たい声で、そう言い放つのであった。


 ――――


 「本当に受けるんですか? こんな仕事」


 「前にも似た様なセリフを聞いたわね。正確には“受けない訳にはいかない”、かしらね」


 「……それで良いんですか?」


 未だ納得していない様子のトレックは、今キッチンに立っていた。

 少し前までは調味料も何も無い空間だった筈のソコは、今では随分と“らしい”と呼べる場所に様変わりしている。


 「良いか悪いの話じゃないわ、そうするしかないの。少し気になる仕事なのは間違いないしね」


 言いながら、先ほどの男が持ってきた手紙に視線を落とす。

 今回の依頼内容が綴られたソレには、“魔女”という言葉がいくつか見受けられた。

 しかし、間違いなく私の事を綴っている訳では無いのだ。


 「また確証も何も無い、噂程度の相手を処理する依頼。もしもこれが本当なら、証拠も一緒に送って来いってなもんですよ。しかも今回は……」


 「私以外の、魔女」


 手紙には、魔女の目撃情報。

 目撃者が取り乱していた為、容姿不明。

 能力不明、名称不明。

 そして、間違いなく“魔女”を名乗ったという。

 更にはご丁寧に、敵意があると告げて来たのだとか。


 「これが子供の“ごっこ遊び”でないのであれば、間違いなく居るのでしょうね。どんな馬鹿だろうが、一般人なら魔女を名乗ったりしないもの」


 そんな事をすれば、事実がどうであれ迫害される恐れがある。

 分別が付く年齢に至っているのであれば、まず言葉にはしないだろう。


 「だとしたら余計に受けるべきじゃないです。だって……エレーヌさんと同じような想いをした方が居るって事ですよね? もしかしたら助けを求めているのかもしれない、なら討伐指令なんて――」


 「違うのよ、トレック」


 何やら勘違いをしているらしい彼の言葉を遮り、手紙に視線を落としながら大きなため息を吐いた。

 そもそもが間違いなのだ。

 私はこの国で生きていく為に、王の依頼を受けながら“なんでも屋”を営んでいる。

 周りから買われているのは、私の戦闘力。

 それが現実。

 しかしそれは、この国に限っての話なのだ。


 「何故魔女が恐れられていると思う? 人とは違う化け物だから、普通では得られない戦闘力を有しているから。事実かどうかは知らないけど、その力ゆえ“厄災”を呼ぶと言われているから。それが魔女という存在」


 「エレーヌさんは違います!」


 「どうかしらね。私は鑑定でも“人族”では無くなっているし、確かに他の人と違って戦闘力が高いわ。厄災とやらはどうやって呼ぶのかは知らないけど、ここまでは大体合ってる。でも、問題はそこじゃないの。それだけの能力を持っている存在が、皆私の様に人に従う存在になるかしら? “無情の魔女”っていうのは、案外的を射ているのよ。私には人らしい感情がないから、この環境でも生活できる。でも、普通の感性だったらどうかしらね? もしかしたら、貴方の様に抗うかも知れない」


 「それって……」


 そこまで一気にまくし立ててから、静かにトレックと視線を合わせた。

 随分と混乱していそうな顔で、オロオロと視線を彷徨わせていたが。


 「トレック、約束して。もしも“私以外の魔女”に会ったら、全力で逃げなさい。立ち向かおうとも、対話しようともしないで。魔女とは本来、相容れない存在なのよ。この常識を、今一度心に刻みなさい」


 キッパリとその事を告げてから、私は長剣を担いだ。

 まるで荷物みたいに、鞘に付けた長いベルトを肩に掛けて。


 「今回の仕事は本当に長くなるかもしれない。もしかしたら帰ってこない可能性だってある。その時は、私の事は忘れて今後をよく考えなさい」


 それだけ言って、彼に背を向け玄関を開いた……のだが。


 「エレーヌさん! その……えっと。……あっ、お弁当忘れてます! もう少し待ってもらえば数日分出来ますよ」


 「ぐっ!?」


 ビタリと、踏み出す足が止まってしまった。

 卑怯だ。

 こればかりは抗える筈がない。


 「今回は随分遠くから良い品を運んで来てくれた商人がいまして、何と海鮮もあるんです。川魚じゃないんですよ? 海の魚です。すっごく新鮮なまま持ち込まれて、なんと生のままでも食べられる程なんですよ? いやぁ、勿体ないなぁ。あと一時間くらい待ってくれたら、全部完成するのになぁ」


 「……」


 無言の答えを返しながら、ゴクリと唾を飲み込んでいれば。


 「……色々言ってましたけど、つまりエレーヌさんには近づいても問題は無いって事ですよね? やっぱりエレーヌさんは、世間で言われている魔女とは違いますよ」


 「そういうつもりで言った訳じゃ……私だって近くに居れば色々問題が起こる可能性が――」


 「あぁ~残念だなぁ。海は遠いから、次はいつ入荷されるか分からないのに」


 「うぐっ!」


 コイツ……本当に性格が悪くなっている!

 もはや無言で室内に戻り、ドカッとリビングの席に腰を下ろした。


 「一時間だけ、待つわ」


 不本意ながら、そんなセリフを言い放ってみれば。

 彼は笑いながら再びキッチンへと向き直った。


 「俺は一時間どころかずっと待ってますから」


 「馬鹿言わないの」


 「馬鹿でも良いです、俺は待ちますからね。エレーヌさんが帰って来て、お弁当の感想を教えてくれるまで。ちゃんと待ってます。だから帰って来ると約束して下さい」


 結局は、ソレか。

 恐らく私が帰ってこないかも、なんて言ったのが癪に障ったのだろう。

 全く、何というか……面倒くさい奴。


 「そんな口約束、何の役にも立たないでしょう?」


 「どうですかね。意外といざって時には役に立つかもしれないですよ?」


 あぁ言えばこう言う。

 本当にもう……多分このまま待っていても、何も言わなければ一時間経ってもお弁当は完成しないのだろう。

 本当に、面倒くさい。

 私なんかに構う変わり者なのだから、当たり前なのかもしれないが。


 「……ちゃんと帰って来るわ。例え本当に相手が魔女であろうと、私の方が強いもの。絶対に負けない」


 「なら、安心です」


 そう言って彼は私のバッグをひったくり、次々とお弁当を突っ込んで行く。

 やっぱり、もう完成していたんじゃないか。

 一時間どころか数分くらいしか待っていないぞ。

 なんだか納得いかなくて、不機嫌な表情を向けていれば。


 「珍しいですね、食事の時以外にそんな顔をするなんて」


 「別に、いつも通りよ」


 何となく悔しくなって、思い切り顔を背けてみる。

 でも、視界の外から彼が微笑みを向けて来ているのが雰囲気で分かった。

 本当に、全くもう……。

 どこまでも自分勝手で、調子を狂わせる。

 私は何でこんなのを近くに置く事を許可したのだろうか。

 今更ながらそんな事を思ってしまい、大きなため息が零れるのであった。

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