第6話 怒りを買う


 翌日。

 ソファーの上で目が覚めてみれば、知らない天井が広がっていた。

 あれ? 昨日はどこか宿にでも泊ったんだっけ?

 とかなんとかボケッと考えていたが、徐々に目が覚めてきた。

 そうだ、俺は無事エレーヌさんからここに住む許可を貰ったのだった。

 念願叶って、と言える状態ではあるのだが……。


 「これが無ければもっと喜べたんだけどなぁ……はぁ」


 体を起こし、周囲に視線を向けてみればそこら中に木箱が積み上げられていた。

 それどころか、家に入りきらなかった分はどうにか軒下や家の裏など。

 とにかく日陰を探して詰め込んだ。

 無理だった分は箱から出して、家の中の至る所に並べた訳だが……その結果、足の踏み場がない程の酒瓶が床に並んでいる。

 幸い木箱のせいで窓は全て塞がっているので、日光を浴びて悪くなる事は無いだろう。

 これを幸いと言って良いのかどうなのか、ちょっと分からないが。

 という事で、室内は物凄く暗い。

 朝だというのにランタンに明かりを灯し、足元の瓶を避けながら進んで行く。


 「とりあえず朝ごはん……って、あ。エレーヌさん普段どれくらいに起きるんだろう?」


 まぁ、いいか。

 起きてきたらすぐ食べられる物でも作っておけば。

 そんな結論を出し、ガリガリと寝ぼけた頭を掻きながらキッチンへと踏み込むのであった。

 あぁもう、酒瓶が邪魔だ。


 ――――


 朝食が作り終わった頃、エレーヌさんに一声かけようかと階段に足を掛けた瞬間。

 コンコンッと扉をノックする音が響いた。

 昨日同様、あのお爺さんが届け物にでも来たのだろうか?

 だとしたら、不味いなぁ……もう荷物を置ける場所がない。

 溜息を溢しながら、「はいはーい」とか適当に返事をしながら玄関を開けてみれば。


 「何だ貴様は」


 強面の男性が、鋭い瞳を此方に向けながら見下ろして来た。

 その後ろには何人もの鎧姿の者達が。

 ポカンと口を開け、言葉が紡げずにいると。


 「まぁ良い。魔女はどこだ?」


 男は俺の事など興味が無い様子で、フンッと鼻を鳴らしてからこちらを押しのけ室内に侵入してくる。

 彼に続き鎧達もゾロゾロと、物凄く無遠慮に。


 「ちょ、ちょっと待ってください! なんなんですか貴方達は!」


 あまりの事に反応が遅れてしまったが、思わず叫びながら詰め寄ってみれば。


 「摘まみだせ」


 男の一言に周囲の鎧集団が俺の腕を掴み、問答無用で外に連れ出そうとしてくる。

 見た所この国の兵士達の様だが……なんなんだこの状況。

 まるで罪人を捕らえに来たかのような物々しさだ。


 「放せっ! アンタら一体何なんだ!?」


 ギャアギャアと騒いでみるが力で敵う訳もなく、まるでゴミを捨てるみたいに庭に向かって放り出されてしまった。

 その際顔面から地面にキスしてしまい、鼻の奥からドバッと鉄臭い液体が流れて来るのが分かった。


 「いくら国の兵士だからって何をやっても許される訳じゃないだろ! 他人様の家にズカズカ上がり込んで、失礼にも程があるぞ!」


 ダラダラと鼻血を流しながら立ち上がり、再び彼等に噛みついてみれば。

 眼光の鋭い男は大きなため息を溢してから、シッシッとばかりに掌を振ってみせた。


 「魔女に買われた男娼か何かか? ホラ、コレをくれてやるからさっさと失せろ。これ以上邪魔をするなら罪人として処分するぞ」


 つまらなそうに呟いた彼はポケットから銀貨数枚取り出し、俺に向かって放り投げて来た。

 銀貨は俺の周りに散らばり、とっとと拾えとばかりに冷たい視線を向けて来る男達。

 この瞬間、プチッと。

 俺の中で何かが切れた気がする。


 「いい加減にしろよ……この国の王様はこんな事を許してるのか!? 無礼を通り越して、礼儀知らずのクソ共じゃねぇか!」


 「ほう……不敬罪も良い所だな。おい、その男の首を刎ねろ」


 叫びながら駆け寄った此方に対し、兵士達が剣を鞘から抜き放った。

 や、やばっ。

 頭に血が上ったとはいえ、これはちょっと不味い。

 思わず足を止め、歩み寄って来る兵士達からジリジリと後退していれば。


 「不幸だな、小僧。これから降りかかる不幸は、“魔女”に関わったから起こるのだ。恨むと良い、嘆くと良い。世界にとって、魔女とは“異物”なのだ。彼女のせいで、お前は死ぬのだからな」


 兵士の向こうで、ククッと口元を歪める彼の顔を見て。

 後退していた足がビタリと止まった。


 「アンタ、結構偉い立場にいる人だよな?」


 威圧するかのように、ゆっくりと歩いて来る兵士達を無視して男を睨み返してみれば。

 彼は未だ歪めた口元を戻さずに、俺の事を真っすぐ見つめて来た。


 「だとしたら、この国もいよいよだな。アンタみたいな、物事の本質を見極められない様な奴が上に立っているんだから。頭の中に綿でも詰まってるのかよ」


 「口の減らないガキだな。もう良い、叩き斬ってしまえ。こんな所に居るくらいだ、どうせ浮浪者か何かだろう」


 その言葉と同時に、兵士達が剣を振り上げる。

 あぁ、もう。何やってんだ俺。

 エレーヌさんを悪く言われて頭に来たのは仕方ないとしても、相手は国のお偉いさんと思わしき人物なのに。

 そんな人に正面切って喧嘩を売るとか馬鹿のする事だ。

 どうにかこの場を逃げて、ほとぼりが冷めるまでどこかに隠れるか?

 指名手配になる程じゃないだろうから、名乗らずにこの場を逃れる事が出来れば……いや、このまま逃げ出せばエレーヌさんがどうなるか分かったものじゃない。

 だとすれば、他の手段を何か――

 なんて、考え始めた時だった。


 「何の騒ぎ?」


 階段から降りて来た真っ赤なドレスを纏った魔女が、兵士達に剣を振り上げられている俺の姿を捕らえた。

 その瞳は一瞬だけ見開かれ、すぐさまスッと細いモノへと変わる。


 「どういう……つもりかしら」


 その瞬間、ゾクッと背筋の凍る様な敵意が空間を包み込んだ。

 息が詰まってしまいそうな程の重圧。

 ソレを感じたのは俺だけではなかったらしく、周りに居た兵士達も剣を振り上げたままビタリと凍り付いた。


 「邪魔よ」


 ポツリと呟いた彼女の言葉が、静寂の中で良く響く。

 声と同時にエレーヌさんは姿勢を落し、兵士の間を縫う様にして走り抜けて来た。


 「エ、エレーヌさん。これは……」


 「もう平気だから、そこに居て」


 彼女は此方に背を向けたまま、長剣を静かに抜き放つ。

 数年前に一度見たきりだった、禍々しいと言える程の黒い刃。

 解き放たれた“魔女の長剣”が、この国の兵士に向かって穂先を輝かせていた。


 「どういうつもりだ! 我が国を敵に回そうとでも言うのか!? 我々の援助なしでは生きていく事すら出来ない魔女風情が!」


 先程から鋭い瞳を向けていた男性が、唾を飛ばしながら喚き散らすが。

 エレーヌさんは一切雰囲気を変えずに、しっかりと長剣を構えた。


 「私はこの国に住む事を許されただけ、援助などされた覚えはないわ。金銭の事を言っているのなら、アレは依頼の報酬であり、仕事も楽なモノを与えられた覚えはない。それに……」


 ザッと音を立てながら、彼女が大地を踏み締めてみせれば。

 周囲の兵士達は短い悲鳴を洩らしながら、ジリジリと後ろに下がっていく。


 「その報酬もまだ支払われていない状態で、私の“連れ”に手を出したわね? 私がこの国を敵に回したのではなく、貴方達が私を敵に回したのだと理解しなさい」


 「チッ! “無情の魔女”などと呼ばれながら、随分と感情豊かになったものだな。今では国から大金を貰い、男娼と酒に囲まれて暮らしていると言う訳か? 異物風情が、恥をしれ!」


 彼が叫んだ瞬間、今までよりずっと空気が重くなった気がした。

 これまで彼女から感じた事のない、負の感情。

 もはや兵士達は剣を取り落とし、這ってでも彼女から逃げ出そうとしている始末。

 間違いなく、彼女は。

 “無情の魔女”であるエレーヌさんは、今この瞬間。

 完全に“怒り”を露わにしていた。


 「言うに事欠いて“男娼”とはね……もういい。私がこの国を“縄張り”にしているという意味が分からないのなら、自慢げに王に伝えると良いわ。魔女を追い出してやったと。でも、伝えるのは周りで蹲っている兵士達の役目。今すぐ立ち去るなら追いはしないわ。ただしソコのペラペラ煩い男、お前だけは……その首、置いて行け」


 ズダンッ! と物凄い音を立てて飛び出したエレーヌさん。

 間違いなくあの男の首は、あと数秒もせずに体と永遠の別れを告げる事になるだろう。

 それくらいに、彼女は強い。

 昔見た彼女は、それこそ風の様に戦場を踊っていた。

 でも、それでは駄目なのだ。

 やらせてはいけない。

 そんな事をしたら、間違いなく彼女は。


 「エレーヌさん! 駄目です!」


 姿が掻き消えたんじゃないかってくらいの速度で相手に近づいた彼女だったが、あと一歩という所で踏みとどまってくれた。

 本当にスレスレ。

 相手の首の手前で、黒い刃がビタリと止まっているのが見える。


 「……何故止めるのかしら? 私は今まで何人もの人間を殺めて来た、今更一人くらい変わらないわ」


 「変わりますよ! 貴女が殺して来たのは指名された犯罪者、賞金首なんかです! しかも仕事として殺して来たんでしょう!? だったら駄目です。ソイツは確かに嫌な奴ですけど、犯罪者でも賞金首でも、ましてや“殺し”の依頼が出ている訳でもありません。それをやったら、エレーヌさんが犯罪者になってしまいます!」


 「綺麗事だわ」


 「綺麗事でも良いです! 貴女がこの街に居られなくなる方が、よっぽど困るんですよ俺は!」


 叫んでみれば、彼女は大きなため息を溢しながら長剣を鞘に戻した。

 そして。


 「用件は何? さっさと済ませて帰ってくれるかしら、不快だわ」


 えらく冷たい声を放ちながら、腰を抜かした男性を見下ろした。

 俺の周りに居た兵士達も既に戦意を喪失しているらしく、もはやガタガタ震えながら家から離れようとしている。


 「ま、魔女如きがこの私に刃を向けて、ただで済むと……」


 「聞こえなかったのかしら? さっさと用件を言いなさい」


 彼の声をピシャリと止めるように、彼女が言葉を被せてみれば。

 男は慌てた様子でバッグから麻袋と手紙を床に投げだし、バタバタと騒がしい音を立てて彼女の隣を這う様にして逃げて行った。

 そして家の近くに止められていたらしい馬車に乗り込み、その後兵士達を罵倒する声が聞えて来る。

 なんとも情けない……と言いたい所だが、先ほどのエレーヌさんの敵意を正面から受けたのだ。

 取り乱すのは致し方ないと言えるのかもしれない。

 でも、とりあえず厄介事は去った。

 思わず大きなため息を溢して、言葉通り一息ついていると。


 「トレック! 大丈夫!?」


 えらく心配そうな顔のエレーヌさんが、俺の方に駆け寄って来た。

 そのままペタペタと身体を触られ、肩を掴まれてグルッと後ろを向かされて背中も確認されていく。


 「エ、エレーヌさん? 大丈夫、大丈夫ですから。鼻血くらいで、大きな怪我とかしてませんからホント」


 慌てて声を上げてみれば、背後から大きなため息が漏れたのが聞えた。

 そして、ポスッと背中に何かが当たる感触。

 もしかして、おでことかくっ付けているのだろうか?

 彼女がこんな事をするのは珍しい。

 だとすると、相当な心配を掛けてしまった様だ。


 「えっと、ごめんなさい。売り言葉に買い言葉ってヤツですね。俺が余計な事を言ったせいで、事が大きくなってしまって。まだまだガキですね、俺」


 「何を言われたの?」


 「……エレーヌさんを馬鹿にするような事を言われて、ついカッとなって」


 「そんなのいつもの事よ、気にしなければ良いのに」


 「でもアイツ等、無断でズカズカ家の中に入って来たんですよ? その上で無礼過ぎる態度を取って……」


 「それもいつもの事よ。トレックが怪我をする方がよっぽど問題だわ」


 色々と言葉を紡いでみたが、彼女はおでこを俺の背中に預けたまま動いてくれない。

 心配させてしまったのは申し訳ないが、こうして身を預けてくれるくらいには信用してくれたのかと、ちょっとだけ嬉しくなってしまうが……ん? ちょっと待て。

 こちらに駆け寄ってくるとき、俺は彼女の表情を見て何と思った?

 心配そうな顔をしていたと、そう感じた気がする。

 食事の時以外表情を変えない彼女が、俺を見て。

 だとしたら。


 「あの、エレーヌさん。そっち向きになっても良いですか?」


 「却下するわ」


 「ちょっとだけ、ちょっとだけですから」


 「絶対に今私は変な顔をしているから、却下よ」


 その顔が見たいんです、とは流石に言えず。

 諦めてしばらく彼女に背を向けたまま立ちすくむしかなかった。

 むしろ先程の戦闘中とか、不謹慎だとは思うが……怒りを露わにしている時の表情も見て見たかった。

 何故この人が感情を見せる時、いつも俺は見えない位置に居るのだろう。

 唯一俺の前で見せてくれる表情の変化は、ご飯の時だけ。

 えらく緩んだ表情だけしか、見た事がない。


 「俺、もうちょっとエレーヌさんの色んな顔が見てみたいです」


 「勝手に言ってなさい。私は“無情の魔女”よ、心なんかないわ」


 「ワー、ソウナンデスネー」


 「今のは、ちょっとだけイラッと来たわ」


 なんて会話を繰り広げながら、しばらくの間背を向けていた訳だが。

 彼女の腹の虫が大きな声を上げた事により、この体制は即座に中断された。

 朝ご飯、まだでしたもんね。

 振り返ってみれば、此方に顔を見せないまま一目散に家の中に駆けこんでいく魔女様の後姿が。

 ほんとうに、あの人は。


 「どこが“無情の魔女”なんだか」


 思わず、緩い微笑みを浮かべてしまうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る