無情の魔女は、食事の時だけ頬を緩める
くろぬか
1章
第1話 魔女
「おらぁ! 逃げられると思ってんじゃねぇぞ!」
もう少しで街に着く、そんな所で僕達の乗った馬車が盗賊に襲われた。
雇っていた護衛はあっさりと殺され、馬車の周囲は蛮族の群れが溢れている。
誰も彼も血に濡れた刃物を見せびらかす様にして、此方に近づいて来る。
ガタガタと震える事しか出来ない僕は、馬車に乗り込んで来た盗賊に抗う術もなく、あっさりと外に引っ張り出されてしまった。
僕の人生、これで終わりなんだ。
直観的にそう理解した。
商人の子として生まれ、幼い頃から各地を回って生きて来た。
不便とは感じなかったし、貧しいと思った事も無い。
それくらいに、恵まれている人生だった。
でも、それでも。
これから先、父さんの仕事を継いで商人になるしかなくとも。
なりたい自分、こうありたいと思う未来があったのだ。
その全てが、今。
終ろうとしているのが分かった。
「放して! お願い! せめて息子だけでも!」
叫び声を上げる母さんが、盗賊によって“剥ぎ取られていく”。
ドレスは破かれ、彼等に組み敷かれ、どんどんと裸にされていき。
ゲラゲラと笑う彼等は、僕の母さんに伸し掛かった。
父さんは抵抗を続けているが、既に取り押さえられていて声を上げる事しか出来ない。
だからこそ、僕は神に祈った。
どうか、助けて下さいと。
哀れな僕達に、救いの手を差し伸べて下さいと何度も祈った。
でも、現実は変らない。
父さんは怒鳴り声を上げ、母さんは泣き叫ぶ。
僕は取り押さえられたまま、何もする事が出来ない。
この瞬間理解したのだ。
世界に、救ってくれる神様なんかいない。
もしも居たとしても、そいつは多分。
エールを片手に、この光景を眺めているのだろう。
こんなの世界全体から見れば、当たり前に起こる出来事なのだから。
両目から涙が零れ、食いしばった歯からは血が零れた。
何も出来ない自分が悔しくて、悲しくて。
コイツ等全員殺してやりたいと強く願うのに、叶えられる程の力は無くて。
「お前等……絶対、殺してやる……」
「坊主、良い心掛けだ。“次は”頑張りな」
ニヤァッと口元を吊り上げる盗賊の顔を、今でも覚えている。
汚らしくて、性格も悪そうで。
そして何より、人の不幸をどこまでも喜ぶ顔をしていた悪党。
この世界は、“不条理”だ。
そんな風に思っていたのに。
「いやぁぁぁ!」
「止めろ貴様らぁぁ!」
両親が泣き叫ぶ中、ゲラゲラと笑う賊。
ここは地獄だ。
全てが不幸の塊で、全部がクソッたれだ。
あらゆる事を恨みながら、目の前の光景を睨んでいだ。
その時。
「通りかかっただけなのだけれど、助けは必要かしら? 私は、“魔女”だけど。それでも良いのなら」
彼女は、唐突に現れた。
真っ黒いローブを纏いながら、美しい銀髪を風に揺らし。
真っ赤な瞳で周囲を見渡していた。
その足元で、踏みつぶした賊の亡骸をなじりながら。
「大体状況は分かるけど、どうする?」
鈴が鳴る様な、よく響く、そして透き通る様な声で。
彼女は言葉を紡いだ。
「頼む、頼むから! コイツ等を殺してくれ!」
「了解したわ」
父親が叫んだ瞬間、彼女は風になった。
比喩表現ではなく本当に、風になったのか如く。
一瞬で視界から消えたかと思えば、母を組み敷いていた賊の首は飛び、父を押さえていた奴等も上半身が消えた。
気付いた時には、僕を取り押さえていた奴さえも。
「え?」
力が緩んだかと思って振り返ってみれば、相手の首が無かった。
いつ、こちらに近づいた?
それすら気付かぬまま、彼女は戦場を支配していく。
「魔女だ! 間違いねぇ、“無情の魔女”が来やがった! 全員警戒を――」
叫んでいた賊の首がまた一つ、言葉を最後まで紡ぐことなくポロッと地面に落ちる。
そして、僕らが乗っていた馬車の上に。
月光を背景に背負いながら、彼女は冷たい瞳を此方に向けて来た。
「私の縄張りで暴れてくれたね、愚者共。すぐに立ち去るなら、帰っていい。ただし、その首だけは置いて行け」
彼女は自身の身の丈よりも長い長剣を担ぎながら、静かに言葉を響かせるのであった。
無表情。
まさにそれしか表現しようがない。
何人もの人間の首を刎ねていると言うのに、彼女は表情一つ変えず。
ただただソコに君臨した。
“魔女”
僕も聞いた事がある。
ソレは種族名さえも変わり、僕ら“人間”とは違うモノ。
不幸を振り撒き、厄災を呼ぶと噂される禁忌の存在。
そんなモノが僕達の街には一人、滞在しているという。
歳も取らず、いつまでも同じ姿のまま。
周りを騙し、周囲の人間を喰らいながら生き続けると噂される化け物。
まるで子供騙しの様なオカルトが、目の前に降臨していた。
満月を背に、異様な黒い長剣を肩に担ぎながら。
彼女はただ無表情に、僕達と残った盗賊を見下ろしていた。
「これも、役目だから」
とても短く、冷たく、淡々と喋る彼女は。
僕の人生で見た中でも、一番と言える程に……。
「ふざけんな! こんな事あり得るか! すぐにぶっ殺して――」
僕の近くに居た賊の首が、また一つ飛んだ。
その際、すぐ隣を鋭い赤の眼光が通った気がした。
そして。
「魔女! 良く聞け! これ以上攻撃を続けるなら、この女を!」
母さんの首を掴んで、馬車の中から声を上げた相手の顔から剣が生える。
当然言葉は途中で止まり、口から血の泡を吹いて相手はその場に倒れ伏した。
凄い、というか。
強すぎる。
現実とは思えない光景をこの目に焼き付けながら、ただただ呆然とその姿を眺めていると。
「片付いたわ」
美しい銀色の長髪を揺らす彼女が、目の前に現れた。
その姿を見て、確信した。
僕は今、世界で一番美しいモノを目にしていると。
「助けてくれた事には感謝します。しかし……」
「えぇ、分かってる。すぐに立ち去るわ。魔女が近くに居たら、不幸を呼ぶから」
何か言い淀む父に対して、魔女はため息交じりに短い声を返し、手にしていたやけに長い剣を鞘へと納めた。
眼の前で行われた動作だというのに、まるで目で追えなかった。
こうも長い剣を、どうやって鞘に納めた?
もはや僕の心は彼女に奪われており、彼女の動きの一つでも見逃すまいかとジッと眺めていた。
これが、魔女。
この国に“発生”したと言われる、禁忌の存在。
魔女とは、ある日突然“人”が変異するものだそうだ。
変異してしまえば、それはもう人間ではない。
異常な強さ、人の道を外れた化け物。
そんな風に語られる“魔女”を、今日初めて目にした。
まるでお伽噺の世界から飛び出して来たような、見る者を魅了するであろうその姿。
彼女の声はいつまでも耳に残り、紅い瞳はまるでこちらの心の奥を覗いているかの様。
だというのに、静かに僕達から視線を外す彼女は。
少しだけ、寂しそうに見えたのだ。
「あ、あのっ!」
思わず駆け寄って、去ろうとする彼女の手を掴んだ。
本当にこれが先程の戦闘を繰り広げた人の掌なのか?
なんて事を思ってしまう程、彼女の手は細く柔らかい。
でも、温かい。
僕達、普通の“人”と同じ様に。
「ありがとう、ございました」
お礼を伝えれば、彼女は驚いた様子で僕の事を正面から見つめて来た。
やはり、美しい。
この人が“魔女”だったとしても、厄災を呼び込むような存在にはとても思えない。
「放して」
「え? あっ、すみません。急に手を掴んだりして……」
掴んだその手を放してみれば、スッと数歩だけ身を引く彼女。
表情は変らないが、少しだけ気まずそうな雰囲気を見せている。
僕よりずっと大人の女性という見た目のなのに、まるで恥じらっている少女の様に感じられ、より一層僕の心は鷲掴みにされた。
「魔女に気安く触れるのは、良くないわ。私の様な存在は、災いの元だと教えられなかった?」
「お礼は、ちゃんと目を見て伝えるべきだと教わりました」
「そう……良い御両親なのね」
「自慢の両親です。そして、それを救ってくれたのが貴女です。本当に、ありがとうございました。また後日、お礼に向かわせて頂きます」
表情を変えない彼女に対し、言葉を紡ぎながら頭を下げてみれば。
数秒だけ静寂が訪れ、スッと僕の頭に柔らかい掌が乗って来た。
「君は、少し変わってるわね。魔女が怖くないの?」
「今までは怖いモノと思っていました。でも、今日認識が変わりました。貴女は、とても綺麗です」
頭を下げたままそんな事を呟いてみれば、一瞬だけ彼女の手がビクッと震えた気がした。
そして。
「そんな事、初めて言われた。ありがとう、少年。もうご両親の元に戻りなさい、今後は魔女と関わっては駄目よ?」
その言葉と共に頭に触れていた手が離れ、僕から遠ざかっていく足音が聞える。
慌てて頭を上げて、立ち去ろうとする彼女の背中に叫んだ。
「お名前を教えて頂けませんか!? 後日絶対に御礼に向かいます! ですから!」
此方の声に少しだけ戸惑う様子を見せながらも、彼女は立ち止まり振り返ってくれた。
少しだけ、ほんの少しだけ口元を緩めて。
「エレーヌ・ジュグラリス。“無情の魔女”の、エレーヌよ。期待しないで待っているわね、坊や」
それだけ言って、再び正面を向き直って歩き出した。
エレーヌ・ジュグラリス。
彼女との出会いが、僕の人生を大きく変えていく。
僕の生き方を、大きく歪ませていく。
そういう意味では、確かに彼女は魔性の存在であったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます