第30話 女王の花は城に満ちて・1
ユーニウスの月の六日、早朝。アラン達討伐隊は、ラッフレナンド城への帰還を開始した。
本来ならば討伐隊の構成員全員で帰還するものなのだが、今回ばかりは隊を三つに分ける事となった。
まずアランとシェリーを含む騎馬分隊は、最初に根拠地を後にした。その機動力を活かして今日中には城下の兵達と合流し、今後の作戦を練りたいと考えている。
歩兵部隊、負傷者、支援部隊の一部、捕虜は、馬車を使うなどして帰還する事になる。どうしても馬よりは遅くなる為、城への帰還は今夜中か明朝か、と言ったところだ。
残りの支援部隊は、根拠地の片づけを終えた後に帰還する事になっている。戦場となった街道の被害調査も彼らの任務となっている為、帰還は数日後となるだろう。
◇◇◇
馬を乗り継ぎ、アラン達騎馬分隊がラッフレナンド城下の城下門へ到着したのは、日が西へやや傾いた頃だった。
街道からやってくるアラン達を、城下門の番兵二人が目に留めた。慌てて駆け寄ってきて、馬の脚を止めるアラン達に首を垂れた。
「へ、陛下。お帰りなさいませ!討伐のお務め、お疲れ様でございます…!」
「うむ。私が留守の間、よくぞ城下の治安を維持してくれた」
「も、勿体ないお言葉です。城の異変に気付けず、不徳の致すところでございます…!」
番兵達が鎧をカタカタと鳴らし深々と頭を下げる姿から、アランは城下をざっと一瞥した。
城下の光景は、出発時と変化はないように見える。どこかで煙が上がっている訳でも、建築物が壊されている訳でもない。通りに軒を連ねている店はどこも開店しており、風景自体に異変は見られない。
しかし道行く人々は、どこか不安に身を竦めているようだった。皆声を潜め、時折遥か北の方を眺めては、目を逸らして足早に大通りから離れていく。そんな光景が見られた。
「…偵察班から第一報は受け取っているが、その後城に変化はあったか?」
「いえ、現時点では変化は無いように思えます」
「そうか…分かった」
安堵して良いものなのかどうなのか。顔いっぱいに戸惑いを見せている番兵の姿を見て、アランも思わず顔をしかめてしまった。
「───行くぞ」
騎馬分隊に声をかけ、あくまで冷静に、騒がず、ゆっくりと、アラン達は城下の大通りを入って行った。
一団が大通りを抜けて行くと、城下の住民はこちらに目をやり、道を譲って首を垂れて行く。
普段の討伐作戦であれば、王の帰還は諸手を上げての歓声に出迎えられるものだが、今回ばかりは水を打ったように静まり返っていた。
得体の知れないものを刺激したくない───そういった感情が、民草達の視線から伝わってくる。
城襲撃の報を受けた後に送った偵察班から、アランは第一報を帰路の途中で受け取っていた。
城の異変を知ったマウリッツが城下を出発したのが、昨日日付が変わった後。そこから一日程度で状況が変化したようだ。
(あれが吉報だったのか、凶報だったのか…)
報自体は、不思議な事があった、程度のものでしかなかった。”死体が城壁から落ちてきた”だとか、”湖が真っ赤に染まった”などという、明確な悪意を感じられるものではなかったのだ。故に、城下の者達もどう判断して良いか分からず、戸惑っていたのだった。
やがてアラン達は、大通りの突き当りにある城下門を視界に入れる。
ラルジュ湖の手前にある城下門では、門が閉じられその前に番兵達が陣取っていた。
番兵達を取り巻くのは、どうやら城に用があって訪れた民衆らしい。手続きに来た者、勤めに来た者、異変を心配して顔を出した者と、性別も年齢も貴賤もバラバラだ。馬車ごと入場しようとしていた者達もおり、彼らは通りの隅に馬とキャビンを置き様子を伺っていた。
「あーもー!あの気色悪いのは一体なんなんだよ?!」
「早くお城に入れて頂戴!今日中の手続きに間に合わないじゃないの!」
「だから!現在調査中ですのでお通しする事は出来ません!手続きは日を改めて、今日の所はお引き取りを───」
彼らを
「陛下だ!」
「陛下がお帰りになられた!」
「おお、陛下…!」
大通りの閑散とした寒々しさに比べれば、この場でアランに向けられた眼差しは喜びと期待に満ちていた。同調行動という心理が働いているのだろう。『王様なら何とかしてくれる』という何処かからの感情が、周囲に伝染している───そんな風に見える。
「へ、陛下。よくぞご無事で…!」
声がかかり後ろを見やると、額から零れる汗をハンカチで拭う小柄な男と目が合った。礼服をパリッと着こなし、白髪の混じった短い金髪をかっちりとまとめた壮年の男、ジェローム=マッキャロル国務大臣だった。
今日戻れる保証はなかったが、それでもいつアランが来ても良いよう、通りの隅にある馬車で待機していたのだろう。疲れを顔に出した大臣の側には、家令と思われる老齢の男が付き添っていた。
「うむ。そちらも無事で何よりだ」
「はっ、恐れ入ります。………しかし」
「皆まで言うな。一報は聞いている。………だが、あれがそうなのだな………」
「はい…」
ここへ到達するまで、城を注視しなかった事に意味はあったのかどうか。そう自問自答するなりに意味はあったのかもしれない。
惨状に動揺する姿を民草に見られてはならないという強がり、城の者達の安否を考えたくないという現実逃避、前日の戦いと今日の帰還で蓄積した疲労───そうしたものが、目を背けさせていたのは言うまでもない。
(これから何をすべきか、考える時間は過ぎた。………動かねばならん)
図らずもジェロームとほぼ同時に、意を決したアランは自身の王城を仰いだ。
───城下門の遥か先、石橋を抜けた先にあるラッフレナンド城は、一面緑に覆われていた。
視界の左右いっぱいに広がる城壁には、みっちりと隙間なく植物の茎と葉が張り付いていたのだ。城壁には物見窓も高窓もあるが、そちらも植物に埋もれている。扉すら、城壁との境界線が緑で塗り潰されていた。
そして、
城内の建造物は城壁に遮られてよく見えないが、兵士宿舎や教会の屋根、そして本城の四階の白亜の建造物は暗い何かに埋もれているようだ。恐らくは、城壁同様植物に浸食されているのだろう。
何より特筆すべきは、この植物はゆっくりとだが生長し続けている、という事だ。
園芸に興味はないアランだったが、あの動きが通常の植物の生長速度ではない事も、風に揺らされそう錯覚している訳ではない事も理解出来た。じりじりと、急かされるように、茎と葉はその生息範囲を広げていたのだ。
現在生長は小康状態にあるようだが、植物の末端は湖岸に垂れ、湖をより薄暗く見せていた。石橋すら、全長の二割程度まで進行に成功している。
その悠然とした姿は、主を失い何百年も前に森に呑まれてしまった廃墟を思わせた。
(まるで
『この数日を、時忘れる程の夢見心地で過ごす事が出来たか?』と問われれば、間違いなく『
だが城の襲撃を受け、助けを待ちわびた者達からすれば、一分一秒すら長く感じたに違いない。
城の有様は、このラッフレナンド城内外の者達の想いを象徴しているかのように思えた。
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