第2話 懸念は日常の合間に・2

 プラチナブロンドの髪をポニーテールで結わえた麗しきメイド長シェリーは、ティーカップをテーブルに配しつつ、取り乱しているヘルムートを不憫そうに一瞥した。

 宝石のような碧眼を細め、アランに冷ややかな面持ちを向けてくる。


「…呆れた。そんな事を考えていましたの?」

「お前にも言ってやろうか?シェリー」

「まあ、なんて光栄なお申し出。丁重にお断り致します」

「そうか?まあ聞きたくなったらいつでも言うがいい。

 余裕が出来れば、周りを見る位の事はするさ。───なあ?」


 アランが求めてきた相槌。それに応えるべきは誰なのか、リーファは気付かなかった。


 変な沈黙が入ってしまい、シェリーが不思議そうに、ヘルムートが頬を染め、アランが怪訝な表情でリーファに顔を向けてくる。


「リーファ?」


 声をかけられてようやく、それがリーファ自身に向けられていたものだと気付く。

 どうやらぼうっとしてしまったらしい。は、と我に返り、リーファは慌てて取り繕った。


「え、あ。そ、そうですね」

「…どうかしたのか」


 アランの藍の瞳が、リーファをじっと見据えてくる。舐め回すように注視するその姿は、リーファの肉体面や精神面の不調を探っているように見えた。


 主の前で気もそぞろになるなど、どうかしている。リーファは気の緩みを静かに恥じ、申し訳ない気持ちで頭を下げた。


「………話の腰を折ってすみません。アラン様に、相談したい事がありまして…」

「ふむ、言ってみろ」

「エニルを………胎の子を流産して、一年が経ったなと…。

 そろそろ、御子を授かりたいと思うんですが、音沙汰がなく…。

 一度、その辺りの事を調べてみたいな…と」


 両手の指を絡めもじもじと心中を打ち明けると、アランは黙したままリーファから視線を逸らした。

 最初にシェリーを見やり、彼女が無言で首を横に振ると、今度はヘルムートの方に顔を向ける。

 ヘルムートもシェリー同様首を横に振ってみせると、アランはリーファに向き直った。


「………誰かに、何か言われたか?」

「…え?」


 リーファは、何の事かと首を傾げた。

 そしてすぐに、誰かに不妊の話を持ちかけられたのではないか、とアランが考えている事に気付いた。


「…あ、いえ。そうではないですよ?

 医務所の先生方は『長い目で見て行きましょう』と言ってくれましたし、エリナさんも『そんなもんだ』と。ただ………」

「子は授かりものだ。気負う必要はない。

 ………だが、それでお前の気持ちが前向きになるというのなら、好きにするといい」


 アランの柔和な眼差しがリーファに向けられる。労わる気持ちがじんわりと伝わってくる。

 ぶっきらぼうな物言いに反したアランの優しさに、リーファはつい目尻を下げた。


「…ありがとうございます。以前リャナが『詳しく調べられる』と言っていたので、今度お願いしてみます。

 ………あの。もし、私が───」

「それ以上は言うな」


 続けて言おうとしたお願いを察したらしい。アランは容赦なく遮ってきた。


。───お前が務めを放棄する事は許さん」

「──────」


 アランの言葉に、リーファはそれ以上何も言えずに息を呑んだ。

 背筋を正してしまう程の眼光だった。震えあがる程の厳しい声音だった。


 しかしそれすらも自分を案じてくれているのだと分かったから、つい口元が緩んでしまった。

『側女の務めが出来ないなら出来ないなりに、自分の居場所を見つけろ』と言われた気がした。


(…そう、ね。もし子供がせなくても、私に出来る事をしないとね…)


 胸の内から生じた感情を、リーファは打ち明けた。


「…私、幸せ者ですね」

「当然だろう?もっと感謝して、私の良い所を洗い出し、褒めちぎり、絶賛しろ」


 こちらが反省すれば、後まで引きずるつもりはなかったらしい。厳しくリーファを睨んでいたアランは、すぐさま鼻で笑って相好を崩した。膝を叩き、リーファを招き寄せる。

 リーファは一礼をして、いつも通りにアランの膝の上へ腰を下ろした。


「頑張って洗い出してますよ。

 でも、前に話したものばかりが思い浮かんでしまって」

「よし、では今頭に思い浮かんだものを言ってみろ。被って構わん」

「え?」

「ほら、カウントダウンするぞ?五、四、三───」


 そんな急に言われても、すぐに良い所など思いつくはずがない。

 しかしアランがいきなり数字を数えだしてしまうものだから、リーファは焦ってしまった。


「えっ?あっ、そのっ」

「二、一、───」

「ち、ちくっ、───」


 焦りから頭に湧いた単語をつい口走ってしまい、それが失言だったと気付いたリーファは慌てて口元を押さえた。


「………ちく?」


 アランから怪訝にオウム返しされ、顔が一気に火照ほてっていく。


「ち、ちく………ち、く………ええと………」


 別の言い訳を考えたが、頭が真っ白になってしまって何も思いつかない。

 リーファは茹で上がりそうな顔を両手で覆い、馬鹿正直に答える事しか出来なかった。


「…………………………!」


 ───ぶはっ


 執務室にいたリーファ以外が、ほぼ同時に噴き出した。


 いつも沈着冷静なシェリーですら堪えきれなかったらしい。顔を明後日の方へ向けて口元を手で押さえ、肩を震わせながらも深呼吸を繰り返して気を静めている。


 一番被害が酷かったのはヘルムートだ。

 紅茶を飲もうとしていた彼は、噴いたと同時に紅茶を盛大に撒き散らしてしまい、顔からテーブルからソファまで濡らしてしまっていた。


 そしてアランは、肩をプルプルと震わせて笑いを必死に堪えていた。顔を右手で隠してはいるが、興奮しているのか耳まで真っ赤だ。


「なんっ、だっ、そっ、それっ、はっ…!」


 アランの疑問はもっともだった。良い所を探して思いついたのがこれとか、我ながらあんまりすぎた。

 皆に笑われてしまい、リーファもつられて笑いがこみ上げて来てしまった。


「だ、だって………だ、抱いて頂いてる時、どうしても、目に入ってきてしまって…!

 は、肌綺麗ですし、その真ん中に、二つ、ついてる………が、すご…すごく、かわいくてぇ………!」

「ふ、ふふっ………ははははははははははっ!」


 アランの大爆笑が執務室に響き渡った。

 興奮しすぎて涙すら浮かべているリーファの頭をぐしゃぐしゃと撫で、顔の至る所にキスをして、骨を砕きかねない勢いで抱き締める。


(これ絶対今夜揶揄からかわれる………時々思い出し笑いされる…!ああぁあああぁ…!)


「はっはっはっはっはっはっはっ───」


 未だ笑いが止まらないアランにがっくんがっくん揺さぶられ、段々冷静になってきたリーファは自分の迂闊さをひたすら責め続けた。


「………何か、すんごいイラっとする………」

「一体何に嫉妬してるのですか、ヘルムート様は…」


 タオルで顔を拭きながら不満そうに顔をしかめるヘルムートと、布巾で家具を拭いて回っているシェリーの溜息が、アランの笑い声に混じって聞こえてきたのだった。

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