第39話 不退の決意を胸に・2
「…ふふふっ」
腰を上げ、怪訝な顔をしたアランと向き合い、リーファは肩を竦めてみせる。
「…正直な話、ほんのちょっとだけ、残念です」
「ん?」
「先日まで、ここを出て城下で一緒に暮らすかも、って話だったので。
急に正妃様を他に据えるなんて言うものですから…ねえ?」
「………お前にしては珍しい事を言うではないか。そちらの方が良かったと?」
不可解に眉をひそめるアランに対し、リーファは首を横に振った。
「いいえ。私は、こっちの方がずっといいです。
アラン様が私の為に王様で居続けてくれるだなんて、これ以上の贅沢は言えません。
…だから、ほんのちょっとだけ、です」
呆気に取られたアランの”目”に、リーファはどう映っているだろうか。
アランの一大決心を、冷淡に扱う酷い女に見えただろうか。
それとも、痩せ我慢をしているように見えただろうか。
いずれにしてもリーファから見た彼は、満足げに破顔しただけだった。
「…ふん、魔性の女だな、お前は。
そのように誘われたら、私の気持ちが揺らいでしまうではないか」
「私が知っているアラン様は、こんな誘惑に乗る方ではありませんから。
頑固で、我が儘で、意地悪で、でも真っ直ぐで…。
こんな事を言っても
…ほんのちょっと思っただけの世迷言ですから、さっさと忘れて下さいね?」
リーファは、目の前に差し出した人差し指をアランの唇に押し付ける。むに、と歪む唇が可愛らしくて、つい顔が綻んだ。
アランは不意に真顔になった。リーファの人差し指を咥え、ぼやく。
「………やはり、退位してしまおうか」
「コラッ───にゃっ?」
世迷言を零したアランを速攻で
「ふふ、分かってるさ。
お前にそこまで持ち上げられたならば、応えてやらねば格好がつかん。
これからも私が惑わぬよう、お前は私を導いておくれ」
「…はい。喜んで」
やがて互いに笑い合って、この約束は取り結ばれた。
リーファは、ささやかな想いを胸にしまって、自分の為に王となってくれるアランを支える。
アランは、一番容易い道を放棄して、信じてくれるリーファの願いを叶える努力をする。
所詮口約束だ。明日には、何もかも忘れられてしまうかもしれない。
アランの見合いは、以前と同様破談続きになってしまうかもしれないが。
何となくだが、アランはこの約束を守ってくれるような気がした。
根拠などない。でも、気がしただけで、リーファにとっては十分だった。
「あ、あの、アラン様。そろそろ───」
上機嫌なアランの唇が、リーファの手のひらを撫でる。指先がスカートの中へと忍び寄り、大腿に触れてくる。
この魔術研究室は1階にあり、人の出入りはほぼ皆無だが、窓を隔てた外は石畳が広がる巡回路だ。当然兵士が定期的に巡回してくる。
王と側女が乳繰り合うのは健全な証拠だが、さすがに兵士に見られたいとは思わない。
「…ちょっ、待っ…!」
ブラウスを脱がそうとしてくるアランに、リーファが慌てて制止の声を上げようとした───その時。
───バタンッ!!
唐突に派手な音が鳴り響き、唐突に魔術研究室の扉が開け放たれた。
「えっ!?」
「なっ!?」
予期せぬ物音にふたりして声を上げ、扉の方に顔を向ける。
開かれた扉の先にあった物は、ラッフレナンド城で兵士に支給されているプレートアーマーだった。
「………は?」
銀色の鎧は傷一つなく、まるで昨日一日かけて磨きこんだと言わんばかりに美しく輝いていた。階級が上がると支給されるプレートアーマーもより装飾が豪華になると聞くが、このプレートアーマーはどちらかというと機能性を重視したシンプルなデザインだ。
プレートアーマー自体は訓練で使う事が多く、魔術研究室との縁はないから置いた覚えはない。
と言うより、プレートアーマーを着込んだ者がノックも無しに入ってきた、が正しいか───と思い直す。兜はフルフェイス型だから、人相は分からないが。
「側女、殿!」
プレートアーマーから発せられた上擦った声音には、聞き覚えがあった。この魔術研究室を
「か、カールさん、です、か…?」
ブラウスの乱れを正しながら問うも、プレートアーマーから返事はない。
代わりに、ガッシャンガッシャンとけたたましい音を立ててソファまで近づき、右手に持っていた本をこちらに差し出してきた。
”アムギーネ・フォ・エルサエルプ”───カールに貸していた官能小説だった。どうやら読み終え、返しに来たらしい。
「あ、えっと。本を返しに来たんですね?はい、確かに…」
呆気に取られながらも、リーファは本を受け取った。
(???…何で、今返しに来たんだろう…??鎧は………訓練中、だったのかな…???)
リーファの疑問は尽きないが、カールにとっては今じゃないと駄目だったのだろう、と思い込む事にした───のだが。
───バッ!
不意に目の前のテーブルいっぱいに洋紙が広がり、それが何かを悟る前にカールが大声を張り上げた。
「今より、”アムギーネ・フォ・エルサエルプ”の感想会を開催する!!」
「は───はい!?」
いきなり始まった謎の企画に、リーファは素っ頓狂な声を上げた。
は、としてテーブルを見下ろすと、洋紙には文字と絵がびっしりと書かれてあった。
恐らく、
こんなもの、カールが自分の意思で作ったとは到底思えなかった。
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