第18話 その気持ちに他意はなく・2
首にぶら下げたアメジストのネックレスを、左手で握りしめる。時間をかけて深呼吸を繰り返し、冷静であれ、と心に言い聞かせる。
気持ちが澄んでいくのが分かる。何があっても、あるいはなくても、覚悟は出来ている。
本棚にそっと触れ、カールはどこにいるかも分からない自らの師に向けて声を上げた。
「ターフェアイト師匠───オレ、は」
───ザ、ガッ。
ギザギザの金属が擦れ合う音が後ろから聞こえてきて、それが鍵穴に鍵を通そうとした音だと気が付いた。
本棚から離れ慌てて扉を見やると、誰かがここの部屋を開けようと扉の前に立っているのが分かった。
廊下にいた人物は、既に錠が外されている事に気が付いたようだ。恐る恐るノブを回し、扉を開けて中を覗き込んできた。
そこにいたのは、茜色の髪を胸辺りまで伸ばしたこの城唯一の魔術師、リーファ=プラウズだった。彼女は、カールと目が合うとちょっと驚いた仕草をしてみせた。
「あ、ご、ごめんなさいカールさん。まさかいるとは思わなくて」
「いや、構わない。何の用だ?」
「呪いが付与されていた本が解呪出来たので、戻しに来たんです」
「そうか。頼む」
「はい」
カールが道を開けると、リーファは本を五冊抱えて部屋に入ってきた。
本棚に向かい合い、一冊ずつ中身を確認しながら左側の棚に入れていく。
何もしていないのも怪しまれるだろうか。彼女の背を眺め、カールは訊ねた。
「解呪というのは、どうやってやるんだ?」
「え?あ…ええと、そうですね。
私のは、父の血族でなければ使えないものなので、ちょっと説明は難しいんですけど…。
やっている事は物体と思念の繋がりを絶つ事なので、理屈だけなら誰でも出来ると思うんですよね。
私は無意識にやってしまってますけど、以前師匠が似たような事をしてて」
「血族の妙技すらターフェアイト師はやってのけたのか…!さすがだな…」
師の名が出てきて、カールからつい感嘆の吐息が零れた。
何かおかしい事でもあったのか、リーファがクスクスと笑っている。
「本当に、そうですね。
まあ、解呪自体は教会のお仕事でもあるそうですし、そちらの学校の方が詳しく教えてくれるのかもしれません」
「師匠は創造神の信奉者でもあると?」
「ふふ、さあ、どうでしょうか。
師匠は、『宗教家は信者を増やしたがるからいけ好かない』みたいですけどね」
「ああ…それは、師匠らしい…」
こう言ったターフェアイトのこぼれ話が聞けるから、質問は止められない。
ちょっと心が満ち足りた気持ちになっていると、丁度リーファは最後の本を本棚に収納した。
「…でも、私は魔術も宗教も根幹は同じなんじゃないかと思うんです。
伝搬した人によって、考え方だけが分かれたのかもな、って」
(それは…分からなくもないが)
リーファの考え方に相槌を打つ。
魔術というものは、物に含まれる”存在する力”───つまりは生命力を、別の物に置き換える技術だと言う。
魔術師が呪文を唱えて放つ魔術は、自身に宿る生命力の余剰分を魔力として使っているらしい。当然使いすぎれば生命力を削る事になるし、最悪命を落とす事もある。
一方、創造神と呼ばれている”名無し”の女神を信奉する宗教は、信仰の力で奇跡を起こす。
祈る力が強ければ強いほど、より強力な奇跡を呼び起こすという。
神父や牧師が使う癒しの奇跡は、自己治癒を促す治癒魔術とよく似ていて、共通点がないとは言えない。
(ならば、信仰とはなんなのか)
魔術はともかく宗教に興味がないカールは、そこで考えるのを止めた。仮に答えが見つかったとしても、きっと自分は毒にも薬にも出来ないだろう。
「そういえば、カールさんはこちらで何を?」
不意に問われ、カールはぎくりと身を竦ませた。
リーファは呪本の本棚を見て、解呪が出来そうな本を探していた。こちらの動揺は気付いていないようだ。
そこそこ時間をかけて、カールは今日同僚達が言っていた事を思い出した。
「よ、夜涼しくなってきたから、毛布を出したのだが、『これからもっと寒くなるから、これだけで足りるだろうか』と、同僚に言われた。
何か参考になるものがあるかと、ここへ来たんだ。
…以前なら、寒さなど、堪えて床に就いただろうに、贅沢になったものだ」
かなり棒読みで言ったのだが、リーファは気にした素振りもない。一冊の白い本を手に取って楽しそうに笑い、カールに提案した。
「ふふっ。便利になってくると色々思いつくものですからね。分かります。
そうですねえ………毛布に保温の紋を縫い付けるのが、一番手間はないかもしれません。
希望される方がいたらやりますから、いつでも言ってください」
「ああ、ありがとう」
「それでは私はこれで。鍵はかけてきて下さいね」
リーファは優雅に一礼をして、早々と部屋を後にした。
彼女が扉を閉める姿を目で追いかけ、廊下の先に足音が聞こえなくなったのを見計らって溜息を吐いた。どうやら勘付かれずに済んだようだ。
気を取り直して、カールは本棚に顔を向けた。
一冊持って行ったようだが、まだ呪本はたくさんある。そこになければ、隣の部屋の道具をしらみつぶしに探してもいい。
本棚の紙をめくり再びネックレスに手を添えて、何度か深呼吸を繰り返し───
(…?)
先のやり取りの何かが引っかかり、カールは考え込んでしまう。
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