第5話 魔術ごろの溜まり場にて・2

 ふたりが置かれた状況が何となく掴め、イシドロは大きく溜息を吐いた。席を立ち、ふたりに声をかける。


「おう、お前ら」


 イシドロという巨漢に見下ろされ、アリルもディマスも背筋を正す。

 ”国家魔術師”という、国家魔術師達の更に上を行く化け物級の威圧を前に、ふたりの若造が萎縮している。


「俺が、何でお前らに報告書の提出をさせたと思ってやがる」


 問われた事に対して、アリルもディマスも戸惑いを見せた。


 普通、この手の報告書は、その場に居合わせた全員で話し合い書類を作るのが常だ。

 だがイシドロはあらかじめ、『互いに話し合いなしで報告書を書け』と念を押した。


 それがどんな意味を持つか、ディマスは気付いたようだ。


「俺達が…ふたりとも、何か問題があったと、お考えで…?」

「決まってんだろ

「き、キンタナです」


 心底嫌そうな顔をして、ディマスはすぐさま訂正してきた。どんなに睨みを利かせても、こういう所は耳聡みみざとい。


 イシドロは席を離れ、ゆっくりと重みを込めた動きでふたりの後ろに回り込んだ。アリルもディマスも弁えているようで、その場から動かずに机の先の窓を見つめ続けている。


 ふたりに近づき、ふん、と鼻を近づけた。

 冷や汗を零しているふたりから男臭い匂いがする───と思いきや、その中に”何か”が混じっている事にイシドロは気付いていた。

 ふたりが帰ってきた、あの日から。


「お前らあの日から、香水みてーな匂いがぷんぷんしてんだよ。

 どっかで女引っかけてきたにしちゃあ、厄介な匂いだ」


 イシドロは手を伸ばし、ふたりの制服の襟を乱暴に引き寄せた。


「「!?」」


 いきなり引き寄せられて動揺しているふたりを無視し、イシドロは首の後ろを見下ろした。

 やや見づらいが、一番下の頸椎の更に下辺りに赤く紋様が施されている。形状は、下唇の輪郭を模している。まるで自分のものだと主張しているかのようだ。

 あまりに艶っぽい紋様を見て、イシドロは口笛を吹いた。


「おうおう、随分熱烈なキスマークくっつけてんじゃねーか。あ?」

「き、きすまーく?!」

「ふぃ、フェランディス様?一体…!」

「お前ら、一杯食わされたんだよ」


 取り乱しているアリル達は、当然紋様など見えるはずもない。自分がどのような状況になっているかなど、知らなかっただろう。

 魅了の魔術にかかっていたなどとは。


「こーんなエッチな紋つけられて、一体どんなお楽しみをしたのかねえ?

 ───おら、痛ぇぞ!歯ぁ食いしばれ!!」

「「!!」」


 イシドロに一喝され、条件反射で歯を食いしばるアリルとディマス。


 ふたりの首根っこを掴み、イシドロは詠唱を始めた。


「”我が右手にアスクレピオスの杖、我が左手にヒュギエイアの杯。

 我は杖を払い潜みし害あるものを絶ち、我は盃を傾げ現れし歪みをそそぐ。

 救済の代償は汝の痛み。腹をくくり乗り越えてみせよ”」


 魔力を通した詠唱が終わると、イシドロの手がにわかに熱くなる。


 ふたりも何をしようとしているのか気が付いたらしく、痛みに備えて表情をより険しくした。


 粗野溢れる笑みと共に、イシドロは魔術を発動した。


「”サルヴァサオン”!!」


 ジジッ───!!


「ぎっ!」

「あがっ!」


 夏の虫の悲鳴のような音に合わせて、イシドロの手の内から青白い雷光が溢れ出た。魔力が溢れ、余波で机の報告書が舞い落ち、特務室のカーテンがばさばさとざわめいた。


 ジジジジジジジジジジジジジジッ───!


「ああああああああああっ!」

「ぎゃああああああああっ!」


 雷光にまとわりつかれ、白目を剥いたアリルとディマスの悲鳴が上がる。恐らくとんでもない激痛が彼らを襲っている事だろう。何とか痛みから解放されようと、首を掴むイシドロの手に爪を立てるが、生憎手放す気は全くない。


 五秒か、十秒か。あるいはもう少しかかったか。


 しばらく悲鳴は上がったが、やがてそれすらも聞こえなくなった頃合いを見計らって、イシドロは両手を開いた。

 拘束していたものが解かれ、受け身も取れずにふたりが絨毯の上へと落とされる。


「あ、ああ、ごほっ、が、ああ、───!」

「ぐ、うう…は、はあっ…!」


 首の後ろを押さえ、痛みにアリルがもがいている。ディマスも呻き声をあげ、どこかに痛みを逃がそうと絨毯を握りしめていた。


(思ったよりも反応が酷かったな…相当奥の方までやられたか)


 一向に起き上がれない部下達の首の後ろを見下ろし、彫られていた赤い紋様の消失を確認する。当然だが傷などもなく、綺麗なものだ。


 今行ったのは、体の良くない所を取り除き治癒を促す、イシドロオリジナルの治癒魔術だ。


 一般的に傷や病気を治す魔術は、他者の体液などを媒介に自己治癒を促す”治癒魔術”と、時を戻す”回復魔術”がある。

 今回のような魅了魔術の取り外しは、前者では取り除く事が難しく、後者はイシドロが不得手なので、必然的にこの魔術を選択する事となった。


 汎用性は高いが、体の良くない所を取り除く過程で痛みを伴うように出来ており、多ければ多い程痛みが膨れ上がる。

 故に、ヘマをした部下を治癒しつつ、お仕置きをするのが主だった使い道だ。


「うう───」


 体を起こすのはディマスの方が早かった。彼は机にもたれ、汗ばんだ薄墨色の髪をかき上げた。


 その場にしゃがみこんで、イシドロは声をかける。


「目ぇ覚めたか?」


 息を切らすディマスの顔色は悪い。痛みが続いているのだろう。後ろ首を触ろうとして、鈍い痛みに顔をしかめている。


「フェランディス様…俺達は…」

「随分派手にやられたみてーじゃねーか。使い魔も死んでたし、なんかあったとは思ったがよ」

「くそ…!」


 続いて、怨嗟えんさの籠った罵声が聞こえてきた。アリルはまだ起き上がれていないようだ。


「くそっくそっくそっくそっっ!!!あの女!あの糞女!やりやがったな!」


 首の痛みが相当響くだろうに、アリルは目をギラギラさせて藻掻もがいた。脂汗が頬から零れ、震える腕に力を込めて、うつ伏せた状態から起き上がろうとしていた。


「殺してや───」


 ───ごっ!!


 豪快な音を立てて、アリルの脳天にチョップが落ちた。言うまでもなく、イシドロがやったのだ。

 石すらも割りかねない程の痛烈な一撃に、アリルが再び絨毯に沈んだ。


「俺が欲しいのは、じょ・う・ほ・う。

 ならお前がしなきゃならんのは報告だろうがアリエルちゃんよ」


 もしかして治癒魔術の痛みは大した事はなかったのかもしれない。すぐに起こしたアリルの顔は、痛みを通り越して羞恥に染まっていた。


「その言い方止めてほしいんすが?!」

「なーに恥ずかしがってやがる。カワイイじゃねえかアリエルとかよ。

 小さい頃は美少女と見紛うばかりの大人しい子だったんだろうよ。

 親からもらった大切なモンなんだ。大切にしろぃ」

「ああぁあぁん」


 耳まで真っ赤にしたアリルは、両手で顔を覆い恥ずかしさで絨毯の上をゴロゴロとし始めた。すっかり良くなったようだ。


「…まだ頭の中で、整理が追い付かないのですが」


 そんなやり取りを呆れて見ていたディマスは、ぽつりとぼやいた。まだ調子は悪そうだが、少なくとも言いたい事は言えるようになったようだ。


 イシドロはディマスの方に顔を向け、野性味溢れた笑みを零した。


「ああ、思い出した順に話せ」

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