第37話 交戦・2~初手よりも早く

 アリルが大人しくなったのを見計らい、ようやくディマスはリーファに顔を向けた。


「こっちは危害を加えるつもりで来た訳じゃない。

 この状況では説得力は皆無だが、不慮の事故と誤解が重なったと言っておく」


 ”不慮の事故と誤解”という言葉に、リーファは怪訝な顔をした。


 家の中で暴れた形跡はなく、バンデはそれなりに痛い目に遭ったようだが姉さんは無傷に見える。

 多分彼女が倒れた時、バンデは立ち会えていなかったのだろう。”不慮の事故”によって”誤解”が生じたと言うのなら、言い分はまあまあ通る。


 嘘かどうかは分からないが、少なくともこちらの彼は、それなりにリーファと話をするつもりはあるようだ。

 だが。


「調べものをして───ん?」


 リーファが半眼でキッチンの方へと指差すと、ディマスは怪訝な顔をそちらに向けた。


「”火の精霊よ。我が胸に宿りし烽火ほうかよ”───」


 キッチンの近くにいたアリルは、詠唱によって魔力の炎を生み出していた。炎の大きさは、ちょっとお高めなメロンくらいはあるだろうか。その熱気は、距離を置いているリーファにもジリジリと伝わってきた。

 怒りに我を忘れたか。リーファを邪魔者と決めつけ、魔術で追い出そうと考えたらしい。


「いや待て。こんな所で詠唱する奴があるか!?」

「”我が怒火どか、猛火となりて”───」


 ディマスの非難が聞こえなかったのか聞く気が無かったのか。アリルの手の中の炎が、詠唱と共に一回り大きくなった。その魔力の炎に煽られて、ディマスが思わず尻込みをしている。


 推定同僚の言葉が届けばいいなと期待したが、届かないならこちらで何とかするしかない。


(火系球状、着弾と同時に発火、有効射程二十メートル、人体なら火だるま、家屋なら半焼───)


 詠唱前から編み込まれていた魔力を再分析しつつ、リーファは右手の人差し指と中指をアリルの両手の中心に向けた。

 アリルと魔力の炎のに意識を集中させ、一言、呟く。


「”断て”」


 ───ゴワッ


「「?!」」


 リーファの魔力遮断の魔術を受け、アリルの手の内に溜め込まれていた魔力の炎は、ほんの一瞬膨らんだかと思ったら、すぐさま消滅してしまった。火の粉を僅かばかり散らすだけで、後は何も残らない。


「んあっ?!な、何で消えんだよ!」


 アリルは目の前の事象を理解出来ていないようで、驚愕に顔を歪ませていた。ディマスも似たような表情で目を丸くしている。どうやら二人とも、リーファの魔術に気付いていないらしい。


 しかし、再詠唱されても困る。姿勢をそのままにリーファは再び意識を研ぎ澄ませ、アリルに向けて魔術を発動した。


「”穿うがて”」


 リーファの指先から放たれた拳大の空気の塊は、動転しているアリルの額を激しく打ち付けた。


 ───ぼっ!


「がっ?!」


 殺したい訳ではなかったから殺傷力は削いだが、そこそこ強い力が直撃したはずだった。しかし、アリルは仰け反って数歩下がるだけで昏倒には至らない。


(魔力で防護してる訳じゃない………単に、打たれ強いだけか)


「てんめぇ…!」


 これはさすがにリーファの仕業だと気付いたらしい。

 体勢を立て直すアリルから、怒気が膨れ上がって行く。爽やかなセルリアンブルーの瞳が血走り、肩を戦慄わななかせる。


 一撃で昏倒させたかったが、頑強さを目算して同じ手を使うのは悪手だ。一旦アリルの行動を抑制する必要があるだろう。

 接近か再詠唱か───アリルが身構えようとした時、既にリーファは目標を定めていた。


「”穿て”」


 ───ぼっ!


「ぎゃっ!」

「”穿て”」


 ───ぼっ!


「あつっ!」

「”穿て”」


 ───ぼっ!


「───っ!!」


 続けざまに放たれたリーファの魔術によって、アリルの右手と左腿に空気の塊が着弾した。痛みに顔をしかめた瞬間に放った最後の一撃は喉元をしたたかに打ち付け、アリルは悲鳴すらもあげられずに仰向けに転倒する。


「ごほっ、がはっ、あっ───あぁっ…!」


 さすがに喉元を打たれれば詠唱は中断せざるを得ない。アリルは座り込んだまま咳き込み、懸命に呼吸を整えようとしている。


「………何なんだ、貴様は」


 ぽつりと声を上げたのは、それまで何も出来なかったディマスだった。

 攻撃態勢を解いて見やると、彼は鋭い眼光に警戒を宿し、こちらを睨んでいる。


一言いちごん魔術に要する集中力は、並大抵ではない。

 詠唱魔術よりも早く発動………ましてや連射など、補助具なしで出来るはずがない…!」


 ディマスの指摘に、リーファは目を細めた。


 ◇◇◇


 一般に”魔術”というと、詠唱と発動単語を組み合わせる”詠唱魔術”を指す。

 詠唱が長ければ長いほど精度と威力が増し、何よりもその在り方が魔術師という理由で好まれている魔術だ。

 詠唱だけでは発動には至らず、発動単語を発するまでは無防備となってしまう為、妨害を受けやすい、という欠点がある。


 一方で”一言いちごん魔術”は、発動単語のみで魔術を発動させる形態だ。

 魔術は言葉に魔力を通して編み出していく性質上、詠唱魔術と比べて威力は低く、精度も悪い。高い集中力で制御しなければ、発動すら危ういという代物だ。

 しかし制御さえ完璧ならば、発動までの時間は詠唱魔術よりも圧倒的に短く、牽制、不意打ち、奥の手などの使い道がある。


 リーファの場合、護身目的に加え、集中力の高さから見ても一言いちごん魔術が相応しい、とターフェアイトは考えたようだ。


『”集中力”の高さは、魔術の成功率を上げ、威力の安定化を助け、暴走を防ぐ。

 地味っちゃ地味だけど、これが物足りなくてどれだけの魔術師がこころざし半ばで倒れたか…。

 そう思えば、あんたは長生きする魔術師になれるだろうさ』


 無為に長生きしたいなどと思った事はなかったが、安寧を心掛けているリーファとしては、そう悪い素質でもないな、と思ったのは確かだ。

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