第35話 あるはずがないもの

 シェリーから預かったトロリーバッグには、十分すぎる程の荷物が詰め込まれていた。


 姉さん用に、と貰い受けたのは”ヒルベルタ”の服だけではなく、大きめのサイズの支給服が数着入っていた。アランから説明を受けた時にシェリーが察したようで、古着を用意してくれていたようだ。


 バンデ用に、と頼んでいた子供向けの魔術の教本は、カールが厳選してくれたようで三冊入っていた。

 フェミプス語の辞典と、基礎魔術の教本と、使い魔作成の教本で、どれもターフェアイトの住処にあった最新版だ。

 使い魔の教本は、ラザーがあちらで世話になる事を考慮して選んだようだ。


 アランの性の手引書は、付箋がすべて外されていた。さすがに見知らぬ少年に、使い込んでいる形跡は見せたくなかったのだろう。


 茶色いトロリーバッグは国所有のものだったらしく、国章が外された跡が残っていた。『傷があり廃棄予定でしたので、荷物と一緒にお渡し下さい』とシェリーが言ってくれた。


『ラザーとの別れの挨拶は済んでいる』という話だったが、用意してもらっていた箱馬車に乗り込もうとしたら、役人、兵士、メイド達が涙ぐみながら見送ってくれた。


 ラザーが陽気に応える様を目の当たりにして、もう少し周りの意見を聞くべきだったかと少しばかり後悔はしたが、もう決まってしまった事だ。

 リーファは彼らに頭を下げ、ラザーと共にラッフレナンド城を後にした。


 ◇◇◇


 ”橋渡しの腕輪”の力で、遥か空を越境する。自分達のずっと下の大地が、一面緑に染まる。


「りーふぁー、まだー?」


 リーファにしがみつき、ラザーがわさわさと葉と蔓を動かして落ち着かない。大地と密接な関係がある植物の使い魔だからか、長らく地面と離れている状態は気持ち悪いのだろう。


「もう少しよ。───ほら、あそこ」


 すぐにレンガの町スロウワーが視界に入ってくる。その北の小高い丘へ、リーファ達は下りていく。


 姉さんの家の門のすぐ側へ木々をかき分けて到着すると、リーファは異変に気が付いた。


「ん?」


 門のすぐ側に、馬車があったのだ。


 馬一頭で引けるタイプの簡素な幌馬車で、茶色い毛並みのたくましい馬が、空から降りてきたリーファ達に驚いて興奮していた。

 馬はどうやら待機させられているようだ。近づいて荷台を覗くが誰もおらず、大した荷物もなさそうに見える。


「おうまさんだー」


 目がついていれば輝いているのだろうか。興奮したラザーが馬に近づいた。

 ラザーが馬の周りを行ったり来たり、くるくる回って踊っている。


「おうまさん、おうまさん、おこらない、で?

 こわくなーい、こわくなーい。

 あう、はっぱ、たべちゃらめぇ~」


 動き回っているのに餌に見えたのだろうか。馬はヒヒンと鼻を鳴らしてラザーに顔を近づけると、その口をあーんと開けてフードの中に突っ込み、葉っぱの一部に噛みついた。


 いきなり噛みつかれたラザーは葉っぱをちぎって離れ、リーファの所に戻ってくる。


「ぴゃああああ、りーふぁー」


 飛びついてきたラザーのフードを開けて確認する。そこそこむしられたようだが、大怪我には至らなかったようだ。


 一方、馬はラザーの葉を二、三回咀嚼してすぐに吐き出してしまっていた。アサガオの葉には毒性はないが、食べて美味しいものでもないのだろう。


「この、おうまさん、きらい」


 泣きそうな声音をあげている使い魔をなだめて、リーファは坂の上を仰いだ。


「よしよし。…きっと姉さんの所にお客さんが来てるのね。

 お邪魔になってしまうかもしれないけど、行くだけ行こうね」

「うん…」


 リーファはバッグを持ち上げて、馬を避けるようにして道を歩き出した。

 門にぶら下がった看板を一瞥し、坂道を登ろうとする。


 ───シャランッ


「?」


 甲高い音が耳に留まる。ラザーも気が付いたようで、振り返っている。

 歩いた道を見やれば、馬車とリーファの丁度中間あたりに、銀色の装飾品が落ちていた。


 近づいて手に取ると、それは銀色のサークレットだった。中央に大きめのターコイズが飾られていて、葉と蔓を模した銀のアーチにも宝石が散りばめられている。


「これ、カールさんが作ったサークレット…?!」


 ここにあるはずがないものが出てきて、リーファは困惑した。


 必要を感じなかったからアランに渡したリストの中には含めなかったし、出発直前にバッグの中身をあらためた時にはこんな物は出てこなかった。

 見落としていたとしても、これはアランが預かっていたものだ。アランの判断でバッグに隠したとはちょっと考えにくい。


「…ラザー、これ持ってきた?」

「しらなーい」


 全体を左右に動かしてラザーはおどけてみせる。使い魔は主に絶対服従が常だから、嘘はついていないようだ。


「これ、たーふぇの、におい、する、ね」

「えっ」


 サークレットに近づいたラザーの一言に、リーファは耳を疑った。


 城改装の折、ターフェアイトは魂を実体化させた状態でラッフレナンドへ訪れていた。サークレットはその時に作ったのだから、ターフェアイトの肉体の匂いがついているはずはない。


 そもそもラザーは植物なのだから、動物のような嗅覚が発達している訳ではない。ラザーが”匂い”と思い込んでいる”何らか”が、そう訴えていると推測する事は出来るが。


(魂の”匂い”を感じ取っている…?)


 リーファの考えはあくまで仮説でしかない。

 魂の在り方など、グリムリーパー位しか知るはずもないから研究など進むはずもなく、使い魔作成の教本にもそういった話は載っていない。


(…まさか…?)


 このサークレットが置いてあった場所と見つかった理由を考えると、一つの考えが浮かんだ。

 ”いる”のならば、サークレットがいきなり出てきた理由も説明がつく。


「…ラザー。これは大切なものだから、持っててくれる?」

「うん、わかったー」


 ラザーは素直に返事をして、頭部分から幾つかの蔓を伸ばしてきた。サークレットを絡ませ、頭部分に潜り込ませる。


 葉と蔓に絡まれたラザーの内側で、サークレットがシャラン、と鳴いた気がした。

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