第18話 暗中の珍事に落ちる鎌

 言われるまま、リーファは姉さんの家へと帰宅した。

 姉さんとバンデにおやすみの挨拶をして就寝してから、四時間は経過しただろうか。家の中は夜の帳が下りて、どの部屋にも灯りはついていない。


(一体何が───)


 リーファが寝床として借りたのは、リビングルームの北西にある小部屋だ。学校だった頃は、応接室として使われていたらしい。


 リビングルームから壁をすり抜け、応接室へと入る。

 ソファ二脚とテーブルが置かれている部屋で、手前のソファをベッド代わりにして寝たから、ずり落ちていなければそこにいるはずだ。


 どこからか息を切らしたような音が聞こえるが、木々に覆われた土地ならば動物は珍しくないだろう。

 そう思っていた。


(───あ)


 リーファの人間の体は、確かにソファにあった。

 仰向けで、着ていたパジャマはボタンが外れ、胴体が大きくはだけていた。


 そしてその上に黒い物体が乗っていて、荒い吐息を零しリズムに乗る様に上下に揺れていた。


(あ、あ───)


 それが何か悟る前に、視界が真っ白になった。

 夜の闇も、応接室の家具も、リーファの体も、黒い物体も、何もかもが真っ白に染まっていく。

 まるでそうあるのが正しいのだと、言い聞かせているかのようだった。


 欲していた訳ではなかったのに、サイスを握りしめる感触だけは伝わってきた。


 ◇◇◇


 ───グリムリーパーとしてラッフレナンドの担当を正式に譲り受けた時、父エセルバートが言っていたことがあった。

 それは、まだ仕事に対する不安がある娘に、というよりは、新米の同胞に向けたルールだった。


『仮にリーファが誰かに襲われて、傷つけられそうだ、死にそうだ、と思ったとしよう。その時にリーファが取るべき行動は一つしかない』


 何だろう。とは思った。

 しかし、珍しく真顔で見つめてくる父の顔を見ていたら、何となく予想は出来たと思う。


『殺しなさい。サイスで。襲ってきた者を』


 そして、手に握りしめたサイスを見下ろした。

 さっきまでは持っていなかったのに、今見たら持っていたのだ。無意識に必要だと思ったのだろうか。


『リーファの”目”が相手のどんな姿を映していたとしても、自分を優先しなさい』


 それは良くない事のような気がしたが、良くなくても、やりたくなくても、出来てしまうというのは理解していた。


 それだけ容易いのだ。

 グリムリーパーにとって、生き物の魂を刈り取る行為というのは。


『私達はそれが許されている。そうする事で、不必要な虐殺を未然に防ぐ事が出来る』


 一体誰が許可しているのか、少し考えてしまう。父ではなさそうだ。

 となると、祖父にあたるあのラダマスが、という事になるが、温和なあの人がそう言っているイメージはないから、少しは驚いたと思う。


 でも。


『リーファが傷つけられると、悲しむ者も怒る者もいるって事を忘れてはいけないよ?』


 その点で、リーファは納得した。

 あの情に厚いラダマスであれば、リーファが傷つけられたら激怒するのではないか、と思ったのだ。


 そして、父がかつて教えてくれた”グリムリーパーによって一夜で滅んだ国”の話は、それが原因ではないのかと何となく思ったのだった。


 ◇◇◇


(やってしまった…)


 我に返ると、景色は元の姿に戻っていた。

 真っ暗な応接室、二脚あるソファ、荷物が置かれたテーブル、胸がはだけたリーファの体。


 そして。

 リーファの体に乗りかかり蠢いていた黒い物体は、少年バンデだった。


 何が起こったのか、当人は分からなかっただろう。ズボンの中に手を突っ込み、ソファから転げ落ちて、目を見開いたまま微動だにしない。


 バンデの側には、夕食時に出したトマト位の大きさの魂がおろおろと飛んでいた。覚えはないが、状況を見るにリーファがサイスで少年の魂を刈り取ったのだろう。


(アラン様が言っていたのはこの事だったのね…)


 じたばた動くバンデの魂を摘み取り、僅かな後悔と共にアランとの会話を思い出す。


 アランは、リーファがバンデの身長を明らかにした途端顔色を変えていた。

 それはつまり、その位の見た目の少年であれば、女性の体に興味を持つ頃合いだと知っていたのだろう。

 リーファの寝床に侵入し、湧き上がる衝動に身を任せるかもしれないと、そこまで読んでいたのかもしれない。


(大した事はされてないみたいだけど…)


 リーファのパジャマが乱れているのは上半身だけだ。下半身の方は何もされていないように見える。

 バンデも服を着ているし、とりあえず目に見えて厄介な事にならなかっただけ不幸中の幸いと思うしかない。


(男の子って、怖いのね…)


 リーファは一人っ子だし、周囲の男の子は乱暴な子しかいなかったから、自然と避ける癖がついていた。

 でも当然一緒に暮らしていれば、男性としての欲を目の当たりにする事もあるだろう。


(姉さんは…大丈夫なのかな…)


 姉さんの日頃を心配しつつも、リーファはバンデの肉体に近づいた。

 幸い、刈り取った魂を肉体に戻す術は教わっている。大した後遺症もないはずだ。

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