第13話 エルヴァイテルトの夕餉・1

 エルヴァイテルトの国も、日が沈んでいく。

 日が差せばそこそこ暑かった家の中も、風が入れば涼しく感じられる時間がやってくる。


 リーファ達は、家のキッチンで夕食の支度に勤しんでいた。

 今夜の食事は、鶏肉のパエーリャ、トマトのガスパチョ、ジャガイモのトルティージャ。果物はアプリコットやリンゴの盛り合わせ。


「ラッフレナンドの人達って、こんなに色々食べるの…?」


 リーファがレモンの果汁を絞りだしていると、出来上がった料理を見下ろして姉さんがげんなりしている。


「どうでしょうね?

 私がお仕えしている方は、この位さらっと平らげてしまいましたけど、夕食時にここまで頑張る必要はないかもしれません。

 まあ、残った分は明日食べてもらえればいいですから」

「そうだけど、そうだけど…。

『これだけ手間かけたのがいい』とか言われたら、支度だけで目が回りそう…!」


 両頬に手を当てて本当に目が回りそうになっている姉さんを見て、リーファは苦笑いを浮かべた。


「今日は頑張ってしまいましたけど、凝ったものは一日一品でいいと思うんです。

 あとで作り置き料理を作っておきましょうね。あるとかなり時短になりますから。

 姉さんは氷の魔術が得意なんですから、冷凍物を増やしておくと便利だと思うんです」

「うむ~、リーファ、ここにずっといて~。家政婦さんして~」

「あはははは」


 可愛い呻き声を上げながら、彼女がリーファの背中に抱きついてくる。むにっ、と背中に柔らかい感触が当たって、暑苦しくもついつい癒されてしまう。


 リーファはキッチンから外の様子を眺める。日も暮れてきて、そろそろ灯りがないと心許ない時間だ。


「しかし、バンデ君遅いですね………お昼も、結局帰って来ませんでしたし」

「財布は持って行ったから、外で食べているのかも───」


 などと話していると、外の方から、カッ、カッ、カッ…と何かが地面を蹴る音がした。

 家の外、正面玄関側の窓に何かがよぎったな、と思ったら。


 ───っばん!


 破壊しかねない程の勢いで扉が開かれ、少年が転がる様に家に飛び込んできた。


「なんかすげーいいにおいがするんだけど!?」


 目をキラキラさせて顔を上げたのは、今話題にしたばかりの少年バンデだった。


「おかえり、バンデ」

「おかえりなさい、バンデ君」


 リーファ達は声をかけるが、それに返事をする事はない。

 バンデは下駄箱の上に置かれた蹄拭き用の濡れ布巾にも目もくれず、土足のままテーブルの前に走ってきて、広がったご馳走を前に生唾を飲み込んだ。


「なに?なに??なにこれ!??いいのか?食べていいのか?」

「バンデ、先に手と足を洗ってからに───」

「いっただっきまーす!」


 聞く耳持たず早々に席についたバンデは、一応行儀よく両手を合わせてスプーンを手に取った。

 が、スプーンがパエーリャの皿に突っ込まれる直前、いつの間にか移動していた姉さんによってその腕が掴まれた。


 バンデが負けじとスプーンを引き寄せるが、彼女の方がほんの少し力は強いようだ。腕がバンデの頭上まで持ちあがると、聞いた事もない低い声音で姉さんは命じた。


「手を、洗って、きなさい。足、も」


 抵抗をしてはいけないものだと悟ったのかもしれない。我に返って姉さんを見上げたバンデは、頬を引きつらせ首をコクコクと縦に振る。


「お、おう。わるい」

「ん?」

「ゴメンナサイ」

「…よし」


 小さくうなずくと、彼女は腕を解放した。


 先程までの勢いはどこへやら。しょんぼりしたバンデは、スプーンをテーブルに戻し、濡れ布巾で自分の蹄と床を拭いて回り、突き当たりの洗面所へと大人しく入って行った。風呂場もあるようだから、足も綺麗にしてくるのだろう。


 あまりの手際の良さに、リーファは静かに感心した。


「すごいですね…あの勢いを抑えられるなんて…」

「実は最近、力が強くなってきてるからもうギリギリなの…。

 もっと大きくなったら抑えられないかもしれなくて…」


 恐らく全力で止めたのだろう。バンデを掴んでいた姉さんの右手が、ぷるぷる震えているのが見て取れた。


 ◇◇◇


 作りすぎを不安視していた食べ物の量だったが、バンデは杞憂など物ともせずに平らげていった。胃袋以上に入って行っているような気がするが、それだけ腹を空かせてきたのかもしれない。


「ふーん。じゃあリーファは当分ここにいんのか?」


 口の中に鶏肉を放り込みながら、バンデはリーファに問いかける。


 バンデには『師匠に頼まれて彼女の様子を見に来た。料理を教えるから、数日間は滞在する』と伝えていて、バンデに関わる事柄は話していない。

 間違った事は言っていないし、反抗期云々はリーファ自身そう役には立たないと考えての事だ。


「ええ。そう長くはならないと思うけど、少しの間いさせてね。バンデ君」

「くんつけとかやめろよ。呼び捨てでいーから」

「そう?じゃあお言葉に甘えて。よろしく、バンデ」

「おう、しょーがねーからいてもいいぜ。ミツギモノはあのお菓子でいーからな」

「バンデ!」


 調子づいて先輩面ふかせるバンデを姉さんが叱るが、リーファは苦笑いで制した。


「ま、まあまあ。…ファッジ、そんなに気に入った?」

「ファッジっていうのか?

 アンヘリナがすげー欲しがってさ!もーなだめんの苦労したんだよー」

「あら、恋人?」

「そ、そんなんじゃねーよ。アマンドの妹だよ」

「アマンドって男の子?」

「そりゃそうだ。…そんなのもわかんねーのか?」

「アマンダって名前の女性は知ってるの。アマンドは男性の名前なのね」

「へー。アマンダって名前の女はしらねーなー」


 そんな、他愛のない話で花が咲く。

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