第2話 遺品整理・2

「…おーい」


 どこからともなく聞こえてきた声に、リーファは顔を上げた。

 鬱蒼と茂る森をぐるりと見回すと、岩壁にほど近い草藪の中に赤毛色の毛並みが見えている。


 持っていた本を置き、リーファはその藪へと駆け寄った。


「ディエゴさん、来てくれていたんですね。後でご挨拶に伺おうかと」

「エセルバートの娘か。名前は………………うむ」

「また忘れたんですか?リーファです」

「………忘れてなどおらぬ。ちょっと出てこなかっただけだ」


 人の行き来を気にしているのだろう。グリムリーパー・ディエゴは藪から出てこようとせず、尻尾だけがふさっと揺れた。

 洞窟から一人の兵士が木箱を抱えて出てきて、馬車の方へと歩いていく。


「片付けか。ご苦労な事よ」

「放っておく訳には行きませんから。

 今日中は多分難しいですが、明日いっぱいまでには片付けてしまおうかと。

 それまで、賑やかにさせてもらいます」

「ラザーはどうする?」

「主から許可は頂いてますので、一度ラッフレナンド城へ連れて行きます。

 城で暮らすか、里親を探すかは…また向こうについてから考えようかと」

「そうか。………………そうか」


 含みをこめたぼやきと共に、尻尾が元気無く草藪に潜っていく。


 あまりにも分かりやすい反応に、リーファは思わず訊ねた。


「…寂しい、ですか?」

「…そんな事はない。しかし」


 もそ、とディエゴは草藪から顔を出した。狼の顔立ちから表情は読み取れないが、彼がとても悲しんでいるように見える。


「あいつは心配性だ…。

 水汲み草取り飯作り…ターフェアイトが不調な時は、出来そうな事はなんでもやっていた。

 ターフェアイトがせる機会が増えてからは、部屋と外を行ったり来たりしたものよ。

 出来もせんのに調合なんぞやって、爆発しては葉を焦がすなど日常茶飯事だ。

 ターフェアイトを埋葬した後は、しばし墓から動こうともしなかった。

 あまりに動かぬものだから、枯れてしまわぬか心配で心配で…」


 ディエゴは、常に観察していたかのようにラザーの事を語る。先に聞いた『そんな事はない』とは何の事なのやら。


「…やっぱり寂しいんじゃないですか?」

「そんな事はない」


 きりっと睨みつけて、ディエゴはきっぱりと否定した。


「我はそう頻繁にここに来られぬ。来る理由が無くなってしまった。

 誰も来ないこの土地に、ラザーをただひとり残しておくのは些か後ろめたいだけよ」


(そ、それってめちゃくちゃ気にしてるって事じゃないかなー…)


 そう言ってしまっても良かったのだが、恐らく『そんな事はない』と凛々しく言われてしまうから黙っておく事にする。


 使い魔の言動は、あくまで疑似人格と言われている。意思を持って言っているのではなく、周囲の者達から行動パターンを学んで会話を合わせているというのだ。

 ラザーを見ているとそうとは思えない所もあるが、今ここでラザーの使い魔としての役目を終わらせたとしても、枯れたアサガオが残るだけで魂が現れる訳ではない。


(使い魔も感情を持っていて、最終的に魂という感情の器に盛れないだけ、って説もあるらしいけど…)


 リーファとしては、出来れば疑似人格の線を推していきたい所だ。いざとなれば使い捨てなければならない使い魔に対して、過度な愛着を持つ行いは良いとは言えない。


「ま、まあ気をつかって下さってありがとうございま───」

「あー!でぃえご!」


 どうやら思いの外話し込んでいたようだ。振り返ればラザーが兵士と一緒に洞窟を出ており、こちらに向かって走ってきていた。

 そして顔だけ出しているディエゴの前に立つと、アサガオの蔓と葉の体をわさわさ動かして陽気な声を上げた。


「きのう、たましいの、おはなし、たのし、かった!きょう、なに、はなす?」

「えっ?」


 ラザーの言葉に、リーファは呆気にとられた。


「ら、ラザー、もしかしてディエゴさん毎日来てるの?」

「うんっ!おはなし、たのしい、よ!

 いっしょに、おひるね、みずあそび、するし、ほしも、みるの!

 らざー、でぃえご、だいすき!」


 目も耳も鼻もついていない人の形を模しただけのラザーだが、この晴れやかな雰囲気は表情などなくとも明らかだ。

 思った以上に仲良しなのだと思い知らされてしまい、戸惑っていると。


 ぶわ、とディエゴの琥珀色の瞳に大粒の涙が溢れた。狼の手だから人のように顔を覆う事も出来ず、涙と鼻水を滂沱ぼうだとして垂れ流している。


「ううぅぅうぅうぅぅぅぅうぅうぅぅおぉおおぉぉ~~~っ!」


 言葉にもならない嗚咽を上げるディエゴ。彼は草藪から飛び出して、ラザーにすり寄った。


 膝を折り、ディエゴを抱き寄せるラザーが困惑しながらリーファを仰いだ。


「え???でぃえご、なぜ?なぜ、なくの?

 り、りーふぁ、どうしよう?どうしよう??」

「う…うーん…」


 助けを求められ、リーファは額を押さえ悩まし気に呻く。


 ターフェアイトが亡くなった事で心配になったのは、ラザーの暴走だった。

 植物系の使い魔は地面から栄養を得て大きくなっていくから、いつかは森を侵食して動物や人に迷惑をかける可能性があった。

 その為、ラッフレナンド城へ行っても馴染めなかったり、里親が見つからなかった場合は、使い魔としての生を終わらせる事も視野に入れていた。

 しかし、ディエゴとここまで親密になっていたのなら、たとえ疑似人格だとしても無理矢理引き剥がすのは躊躇ためらわれる。


(っていうか、これ処分したら恨まれそうで怖いわね…)


 リーファは跪き、ディエゴに恐る恐る提案してみた。


「…あ、あの、ディエゴさん。その…ラザー、残していきましょうか?

 ラザーもなついているみたいだし、私も時々墓参りくらいは来ますから。

 こんな、引き離すみたいな事は、ちょっと」

「ぞんな───ぞんな、ごとは、ない、がら…っ。

 近況、どが、教えで、ぐれる、だげで、いいがらぁ…っ!」


 鼻声になりながら首をぶんぶん左右に振るディエゴだが、ラザーと離れるのは惜しいようだ。何となく捨て猫を拾ってきた子供のようなものを彷彿とさせる。


(ディエゴさんもひとりにさせるのは反対みたいだし…。

 これはちゃんとした身の振りを考えてあげないと駄目ね…)


「…リーファさんのお知り合いって、色んな方がいるんですね…」


 既にラザーを見ているから違和感はないのかもしれない。わんわん泣きわめくディエゴ、おろおろしているラザーを見て、兵士ノアが感心した様子でぽつりと呟いた。

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