第20話 何かが勝手に決まっていた・4

 結局、シェリーが落ち着くには席を外すしかないという結論になり、執務室を出て行った。湯浴みの支度もあるし、あの様子だと化粧直しも必要だろう。


 ようやく落ち着いた執務室で、執務机を挟んでリーファはアランと対面した。


(アラン様があんな事言わなければ、シェリーさんがパニック起こす事もなかったのに…!)


 やらかした自覚はあるが、心中だけでも責任転嫁したい。気持ちが乗って、リーファはやや強気に反論した。


「でも私じゃ正妃にはなれないって、以前アラン様ご自身が言ってたじゃないですか。

 私にだって、出来る事と出来ない事があるんですから。

 正妃選びに疲れたからって、側女を揶揄からかわないで下さい」

揶揄からかってなどいないさ。私はいつでも真面目だ」


 一見平静を取り戻した執務室だが、まだ雰囲気は余所余所よそよそしい。ヘルムートはソファに座って何か考え込んでいるし、アランは持っているティーカップが震えて見える。


 カップをソーサーへ戻し、アランは引き出しから一枚の書類を出して机に置いた。


 実家で飽きる程見た書類───不動産売買契約書───を見下ろし、リーファは息を呑む。


「これって…」

「やはり心当たりがあるようだな」

「実家にも同じものがあります。玄関の側に飾っておくように父から言われていて…。

 もしかしたらと思ってましたけど、やっぱりこちらにもあったんですね」


 両手を組み、確かめるようにアランがうなずいた。


「あの土地はラッフレナンド国ではない。ならばお前は余所よその国の女という事になる。

 国外の者であれば───正妃の身分は問われない」

「でも私、税金はちゃんと払ってますよ?

 あの家は住所が登録出来ないらしいので、出生届の住所は母の実家で登録していて…。

 だから、私はラッフレナンドの国民では?」


 リーファの返しに、アランはちょっと困ったような顔をした。


 ───父エセルバートと母マリアンが結婚し、リーファを出産する過程で、普通なら発生しえない厄介事があった、という話は母から聞いていた。

 婚姻届に記載する住所が書けなかったから母の実家の住所を書いたり、郵便物や税金の支払い通知が来ない為直接役場に相談したり。


 記憶に新しいのは、自治会費の支払いに関する父母の口喧嘩だ。

 父は『うちは払わなくてもいいんだって』と言うのに、母は『払わなかったら回覧板も来ないし、リーファを祭に連れて行ってあげられないじゃないの!』と怒っていたのは今でもはっきり覚えている。


 結局母は、父がいない間に自治会長に相談し、会費を支払う流れになったのだが───


「………………払った税金は返すから、そういう事にしておけ」


 そこそこ悩んでアランが出した答えは、支払った税金の返納だったようだ。


「なりませんよ、そういう事には。

 大体、国交を結ぶ目的ならあの土地の住人は不適切ですよ?」

「…そもそも、あの土地はどういういわれがあるのか知っているのか」


 痛い所を突かれ、リーファは言葉を詰まらせた。

 ここからの話はリーファ自身と直接関係はないのだが、アランとは少なからず繋がりがある話だ。内容が内容なので不興を買うかもしれない。


「…う、ううん。怒りません?」

「三百年以上前の話だぞ。お前に腹を立てて何になる」

「まあそうなんですけど…」

「…ん、少し待て」


 逡巡していると、アランが引き出しから見慣れない香水瓶を取り出している。一度だけ天井に向けて噴霧すると、花のような甘い香りが鼻を掠めた。


「…今のは?」

「部屋の会話が漏れんよう、念の為な」


 どうやらリャナが持ち込んだ商品のようだ。先の注文でそれらしい物を選んでいたようには見えなかったから、恐らく試供品だろう。


 会話の漏れを心配して香水を使ったのなら、内容は話さなければならない。怒られたら怒られたでそれまでだ。


「ええとですね…。

 ”グレモリー=ラウム”という名前は、魔物の国で使われているコードネームのようなものらしく…。

 その方は人間の町や村の土地を購入して、魔物の拠点にしているそうです」


 アランは勿論、考え込んでいたヘルムートも顔を上げ、緊張した面持ちでこちらに向けてきた。


「…やはり魔物由来か」

「はい。情報収集が目的だとか。

 しかし魔物が人間の町に住むのはリスクが高いので、グリムリーパーにも無償で貸しているそうです。

 グリムリーパーは人間と接する機会は多いですから」

「ち、ちょっと待って。

 じゃあリーファは、スパイの仕事も担ってるって事?」


 席を立ち焦りを見せるヘルムートに、リーファはなだめるように両手をかざしてみせた。


「安心して下さい。グリムリーパーが得た情報の提供義務はないですよ。

 だから、私からあちらに何かを伝える事はないんです。

 ただ…あの土地のある場所………ぶっちゃけ物置小屋なんですけどね。

 そことある場所が繋がってるらしくて、定期的に出入りがあります。

 …私も三度しか見た事はないんですけどね」

「縦穴でも空いているのか?」

「みたいですね。狭いですし、向こう側から鍵がかかってるみたいなので、私は入った事ないんですけど。

 父は『遥か地下にある大空洞の出入口になってる』って言ってました」

「…それは、魔王軍の侵攻の可能性もあるという事ではないのか?」


 アランの懸念はもっともだ。確かにあの穴から魔物が一斉に出てきたとしたら、ラッフレナンドは大混乱に見舞われるだろう。


 リーファは執務机に近づいて、置かれたままの不動産売買契約書に触れた。


「…この書面は魔術的契約も兼ねてるんですよ。こうやって魔力を通すとですね…」


 意識を書類に集中させ、魔力を乗せていく。紙の繊維に同じ色の糸を重ね合わせるように、複雑に複雑に書類に魔力を通す。

 やがて、黒いインクで書かれた文章の中から、紫色の別の文字が浮き上がってきた。


 只ならぬ気配に、ヘルムートも近づいて書面を覗き込んでくる。


「これ、は…?」

「こっちが正しい契約書なんです。と言っても、内容に殆ど差はないんですけどね。

 ここに書かれてある内容は…

『所有者の名前は リーファ です。』

『扉が閉ざされている間は外からの物理魔術的作用は受けません。』

『入った扉以外から出た場合、擬態の制限が課される事があります。』

 …となってます。私の名前になってるのは、少し前に名義を更新したからですね。

 こっちも、勝手に変わるように出来てるみたいです」


 読んでいる箇所をなぞりながら説明していくが、恐らく解読は出来ていないだろう。何となく文節が読み取れる程度だろうか。

 眉根を寄せながら、ヘルムートが問いかける。


「…擬態っていうのは?」

「ざっくり言うと、姿が変わってしまう制限だそうです。

 見た事がありますよ。裏口から入ったコボルトが、正面玄関から出ようとした瞬間人間に姿が変わるんです。

 身体能力も人間と同じくらいになってしまうらしくて、『不便だけどそういう決まりだから』って言ってました」

「…今度、改めて見せてもらっていい?辞典買ったから、頑張れば読めるかも」


 ヘルムートのげんで、リーファは彼が魔物の公用語辞典を購入していた事を思い出す。

 彼がどういった理由で買い求めたのかは分からなかったが、早速用途が見つかった為か、その表情からは好奇が見え隠れしていた。


「ええ。いつでもどうぞ。

 あ、でも、この言語はフェミプス語と言って、今流通している魔物の公用語の原型なんです。

 ヘルムート様が買われた辞典と、文体がちょっと違うので、全部は対応してないかもしれないですよ?」

「うん、大丈夫。後でよろしくね」


 ちょっとご機嫌に書面を見ているヘルムートを見ていると、ある人物に言葉を教えた頃の事を思い出した。


(あの”幽霊さん”は、あれから本を翻訳出来たのかな…。

 辞典はまだ返ってきてないし、また禁書庫の本棚見ておかないとな…)

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