第7話 魔女の手紙に揺れる幽霊・2
ラーゲルクヴィスト家は兵士を輩出してきた家系だが、魔術師忌避の思想があった訳ではない。
どういう経緯かは知らないが、実家には魔術書と思しき本が何冊か置かれていて、カールはその本を盗み見ては魔術とはどういったものか、空想を羽ばたかせていた少年だった。
城に勤める事になった時、親には内緒で実家の”魔術書”を一冊持ち出していた。地下の物置にぞんざいに置かれていたものだったから、誰も気に留めないだろうと思ったのだ。
相変わらず読めない文字だらけだったが、眺めているだけで厳しい城勤めの一時の慰めにはなっていた。
転機は、あの魔女リーファ=プラウズが側女として迎えられた後の話だ。
どういう理由か禁書庫の問題が解消され、人の行き来が可能になったのだ。
禁書庫の存在は勤め始めた当時から知っていたが、施錠はしてあったし怪異の噂もあったから近づく事は出来なかった。
城入りしてから何だかんだ四年が経過していた。その頃には、読めない文字が並ぶ”魔術書”を見る機会も減り、枕の下に埋もれるだけの存在となっていた。
だが上等兵になった事で週に一度の休暇を貰えるようになって、ほんの少しだけ暇が出来たのだ。
◇◇◇
王城勤務の兵士は、休暇中であっても衣食住の揃った城に留まる事が許されている。
しかし勤務中よりは移動範囲が限られており、本城北のフロア一帯は侵入が禁止されている。北のフロアは王族や来賓用の個室に繋がる階段がある為、鉢合わせを避ける為にざっくりと区分けされているのだという。
禁書庫は北のフロアの北西にあった。1階は備品が置かれた部屋ばかりなので、警備は比較的手薄だという事は知っていた。
人の行き来の少ない東側から本城北側の扉に入り、廊下に人の姿がない事を確認、そのまま禁書庫へ侵入した。
四年間も待ち望んでいた禁書庫は心が躍った。あっさり入れてしまった為警備の不安を感じたが、今のカールにとってはそれがありがたかった。
ぐるりと見回す。怪異の痕跡など分かるはずもなく、普通の書庫のように見えた。本棚の本は理路整然と並べられている。管理者は几帳面な性分のようだった。
そして、西側奥にある扉に違和感を覚える。間取りを考えればあの扉の先は庭園になるはずだが、庭園側であんな扉は見た事がない。
扉はとりあえず無視して、カールは”魔術書”をテーブルに置いた。手当たり次第本棚の本を手に取って、”魔術書”に繋がりそうな本を探した。
禁書庫と呼ばれているからどんな物騒な本があるかと期待したが、魔女に関する記録書、魔術師を礼賛した書物、”月刊まじない名鑑”と称されたオカルト情報誌など、取るに足らない書物ばかりだ。
本棚が立ち並ぶ東側をもう少し探るか、不思議な扉のある西側を調べようかと考えていた時。
「ありがとうございましたー」
「!」
良く通る女性の声に、悲鳴を上げそうになった。
部屋の西側を見やると、壁にはめ込まれていた扉が開いており、女性の後ろ姿が見えた。
女性の正体は良く知っていた。王に取り入り、時に城中の話題をかっさらう事もある忌まわしき魔女、リーファ=プラウズだ。
はりぼてのような扉の先に部屋がある違和感など、気にしている余裕は微塵もなかった。見られる訳にはいかなかったのだ。特に王と繋がっている魔女とは。
───がちゃ!ばたん!!
カールは慌てて部屋を飛び出し、扉を思いっきり閉めて全速力で北の通路を駆け抜けた。
「あ…ら?」
廊下を一心不乱に走る中、魔女の不思議そうな声が耳を掠めた。
───持参していた”魔術書”をテーブルに置き忘れた失態に気付いたのは、自室に辿り着いて呼吸が落ち着いてきた後の事だった。
生きた心地が、しなかった。
◇◇◇
再び禁書庫へ訪れたのは翌日。昼休憩の時間だった。
もう所蔵された本を見たいなんて贅沢は言わないから、せめて”魔術書”だけは持って帰りたい。その一心だった。
禁書庫を見回して、”魔術書”はすぐに見つかった。カールが置いた覚えのあるテーブルにあったのだ。
しかし”魔術書”の側に、一冊の分厚い本と走り書きされたメモが残されていた。
『本を持ち帰り忘れたあなたへ
国所蔵のものか確認する為、失礼ながら本の中身を拝見しました。
今は伝わっていないフェミプス語の解読はとても骨が折れた事と思います。
禁書庫の司書の方にお願いして、辞典をお借りしました。
返却はいつでも良いそうなので、翻訳に活用して下さい。
───リーファ=プラウズ』
鳥肌が立った。
”魔術書”には、カールなりに文字を読み解いたメモを幾つか挟んでおいたのだ。
出来たのは文体の法則を読み解く程度のものだったが、知らない者からすれば何だかよく分からない記号の羅列のように見えたはずだ。
だが、魔女はこのメモを解読だと思ったらしい。つまり、”魔術書”とメモの内容を理解していたという事だ。
心が震えた。
魔女リーファ=プラウズは、ラーゲルクヴィスト家からすれば邪魔な存在だ。
王との間の御子が王太子に認められてしまうと、『男児はギースベルトの血筋の王族に仕えるべし』という家訓から遠ざかってしまう。家訓を第一に考えるカールからすれば、それは避けねばならない。
最悪、この手を血で汚しても、魔女を排除しなければならない時が訪れるかもしれない。
しかし、この魔女は”魔術書”を読み解く技量を持っている。
憧れていたものの先に魔女がいる。
義務か、好奇心か。
自室へ戻り散々考え込んだ結果、カールはペンを執る事にした。
『リーファ=プラウズ様
辞典を貸し出して下さいましてありがとうございました。
とある場所に保管されていた書物なのですが、判読ができずに行き詰っておりました。
よろしければ、この書物について、そしてフェミプス語について、書面でお教え下さいますか?
───禁書庫の幽霊より』
別に、魔女を今切り捨てる指示はされていないのだ。
当時魔女は冷遇されていて、まだ一度も王に抱いてもらえてない、という噂位は耳にしていたのだから。
今は欲しい情報だけを要求し、その時が来れば行動すれば良いと思う事にした。
”禁書庫の幽霊”など、さすがにふざけすぎた気がしたが、たまにはこんな言葉遊びも悪くないと思えるほどに浮かれていたのは確かだ。
かくして禁書庫を介した、魔女と”禁書庫の幽霊”の奇妙な手紙のやりとりは始まったのだった。
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