第6話 魔女の手紙に揺れる幽霊・1
兵士の多くは側女リーファに好意的と言われる事もあるが、中には例外も存在する。
カール=ラーゲルクヴィスト上等兵も、リーファを快く思っていない者の一人である。
黄金色の軽く波打つ髪は短いが、左右一房ずつ伸ばして編み込み、後ろで結わえている。菫の花を思わせる紫の瞳の青年だが、『女好きしそうな良い顔してんのに、お前何でそんなに愛想ないの』と同僚から言われる程、四六時中不機嫌な表情をしている。
ラーゲルクヴィスト家は、所謂”ギースベルト派”に属する者達で、カールはその家の三男坊だ。
『男児はギースベルトの血筋の王族に仕えるべし』と家訓が定められており、何の疑問もなく長兄次兄に続いて城勤めを志願。無事に認められ、現在上等兵として職務に従事している。
───と、そこまでは良かったのだが。
功績が認められた長兄は北の国境アキュゼへ、次兄は東の町ペルダン側の国境に異動となり。
カール自身は城勤めを続けられているが、現在玉座に在るのはギースベルト家の血筋の王ではない。
つまり仕えるべき御方がどこにもいないのだ。
この現状はカールにとってなかなかのストレスで、最近の彼はほんの些細な出来事すら感情を昂らせてしまう。
そう、ほんの些細な出来事すら。
「─────────」
食堂の一角。
カウンターの隅に、大皿に乗せられた菓子袋が六個置かれている。
白いクッキングシートを袋状にして
「失礼」
長く立ちつくしていた自覚はなかったが、後ろにいた役人がカールの順を抜かしてカウンターに移動した。
ふと、役人が例の大皿を見やって、
「お、側女殿のお菓子かあ。貰っておこうかな」
などと言いつつ、カールの横から菓子袋を一個摘まんで持って行ってしまった。
「………………っ!」
どうしようもない怒りが沸き上がって、拳に籠める力が強くなる。今なら怒りに任せて物を壊してしまう自信がある。全ては目の前にあるこの菓子の
煮えたぎった感情のまま、カールの手が大皿に伸びていく。
───と、背後から唐突に声がかかった。
「おーい、カール」
感情が揺さぶられ、大皿に伸びる手が止まる。深呼吸を一回、二回として、聞き覚えのある声の方を見やった。
エルメル=ポルッカは、カールの同期の青年だ。
オリーブグリーンの刈り上げた髪は自前ではなく染めているらしい。『目の色に併せてる』と教えてもらった事はあるが、何故併せたのかは聞いた事がない。
エルメルの姿を見るだけ見て、カールはすぐに大皿に視線を戻した。
「…なんだ」
「ご挨拶だな。何突っ立ってんだよ」
「なんでもない」
と拒絶しても、結局エルメルは来てしまうのだ。彼はカールの肩越しに例の大皿を覗きに来て、それで色々察したようだ。
「…お、リーファ様の菓子か。───ああ、それでお前」
「うるさい」
言葉を遮り、カールは五個の菓子袋を全て自分のトレイに移す。
注文していたミネストローネが厨房で器に盛られる光景が見え、トレイを手にそのままカウンターの先に移動した。
エルメルから抗議の声が上がる。
「あ、おい。全部持ってくのかよ」
「当たり前だろう。魔女の作った菓子など、何が入っているか分からんではないか。
後輩や役人の方々に何かあってからじゃ遅いんだぞ」
「捨てるんじゃないだろうな?それなら俺にちょ───」
「オレが責任をもって処分する。
元々は農民達の血と汗の結晶なのだから、たとえ毒が盛られていようと平らげてみせるさ」
鼻息荒くそう言い切ると、エルメルは呆れた様子で溜息を吐いた。
厨房と食堂を仕切るカウンターには幾つもの大皿が並べられ、その上に盛られた食べ物は誰でも自由に取る事が出来る。
パンや、小皿に盛られたサラダやデザートなどがそれにあたり、温める必要のある煮物や飲み物は注文を受けた後、厨房の者が皿に盛り付けてカウンターへ出してくれる。
大皿からバターロールを二つ皿に乗せ、頼んでいたミネストローネがカウンターに届くとそれも移していく。
後は紅茶のみという所で、注文を終えたエルメルがトレイを片手に後を追ってきた。
サラダとハムエッグのサンドイッチを大皿から取りながら、エルメルは尚も諫めてくる。
「お前さ、そういう態度良くないよ。
この間の定例会議だって、リーファ様の話になった途端席外すとかさあ。
腕は立つのにそんなんだから、いつまで経っても昇格出来ないんだよ」
「魔女のせいでオレが昇格出来ないと?全くとんでもない話だ」
「…あのさあ」
「オレには理解出来ないよエルメル。何故皆あの魔女を庇い立てするんだ?
城下の隅っこでうじ虫のように生きていた魔女の末裔が、城に乗り込んで現王を
呪いを解いた?悪霊を払った?全て魔女が仕組んだものかもしれないというのに?
いつぞやなど、王の目の前で来客を張り倒したそうじゃないか。
本来ならば絞首刑ものの重罪だ。何故誰も咎めないんだ」
「
「そこは王がどうにかする話だろう。そもそも何故謁見の間に魔女が居座っているんだ」
そこまでまくし立てて、ようやくエルメルは黙り込んだ。側女が王の公務に関われないルールは、さすがのエルメルも擁護出来ないのだろう。
「皆どうかしている。こんな事、先王の時代ならあり得なかった。
やはり庶民の血が混じるのが良くなかったんだ。
ゲーアノート殿下が王となられていれば、あんな魔女に入り込まれる事など───」
「カール!!」
エルメルの怒号で我に返り、カールは顔を上げて周囲を見回した。
見やれば、食堂にいる全ての者の視線がカールに集中している。恐らくはエルメルが原因ではないだろう。
有象無象の目などどうという事はない。丁度カウンターに置かれた紅茶をトレイに移した。
「…気分が悪い。オレは部屋で食べる」
そう言って、カールは
◇◇◇
兵士宿舎は食堂の南側に建てられた建造物だ。
魔術師王国時代の建造物を再利用している本城、公文書館、礼拝堂と違い、後世に建てられたものだと伝えられている。
他の建造物同様白いレンガ造りの外装となっているが、内装は木造で質素だ。
将官、左官クラスは城下に自分の家を持っている為、兵卒、下士官クラスが湯浴みと寝泊まりだけに使うこの建物を華美に取り繕う必要などないのだろう。
建物自体は、地下1階から地上4階までの直方体形状だ。
地下に浴場、1階に一等兵二等兵の集団部屋と武具庫がある。2階から個室になっており、2階は上等兵、3階は兵長、4階は下士官に部屋が割り当てられる。
1階の集団部屋に比べればマシと言えるが、2階の上等兵の個室も、クローゼット、ベッド、机、椅子、本棚などの必要最低限の家具しか置けない。壁が薄くて廊下や隣室の声は駄々洩れだし、換気窓も入り口上部にしかなく景観など楽しめるはずもない。
だがカールにとっては、ここが一番落ち着く場所なのだ。
ミネストローネ、バターロール、紅茶、そして五個の菓子袋が乗せられたトレイを机へ置き、カールは椅子に腰かけた。
「はああああぁあああぁああぁ…」
椅子に体重を預けた途端、体の奥底からの溜息が零れていく。液体のように椅子にしなだれる。
(またやってしまった)
先のエルメルとの会話を後悔した。あんな事を言うつもりじゃなかったのに、つい口が滑ってしまった。
(でも、間違った事は言っていない)
しかし後悔はしたのだ。言い方が別にあったはずだった。あれじゃ誰からも文句が出て当然だ。
だが、これだけは譲れない。
(彼女は、この城にいるべきじゃないんだ)
ニンニクとローリエ、あとは幾ばくかの野菜の匂いに空腹を思い出しながらも、カールは少し前の出来事を思い出す。
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