第15話 微睡みの中で揺らぐ心

 ”家”の中もすっかり夜のとばりが下りて、あまりの静けさに心が落ち着かない。

 ベッドで横になり、アランは右側で寝息を立てているリーファを見やる。気が乗らなかったので抱かなかったが、添い寝は許可したのだ。


 しばらくの間会話に付き合ったが、灯かりを消すとさほど時間をかけずに寝入ってしまった。友人との会話も弾んでいたようだし、疲れていたのだろう。


 しかし、アランは寝付く気になれなかった。

 ここ最近、考えさせられる話が幾つも降ってわいて、アランの気持ちは大きく揺らいでいたのだ。

 一つ一つ出来事を分析し、自分がどうあるべきか考えなければならない。


 ◇◇◇


 ”家”を借り何度か使うようになって、リーファに結婚観が見られない事に気が付いた。

 恋愛感情が鈍くなるという呪いの話は以前聞いたが、それ以上に他人と一緒に過ごす事を避けているように見受けられたのだ。


 原因は幾つか考えられた。


 父親は頻繁に遠出をしていて、実質母子家庭のような環境で育った事。

 グリムリーパーという出自を気にして、極力人と距離を置くようにしているのではないかとも思えた。幼少期より魂や亡霊が見えたというなら、当然同級生からは奇異な目で見られただろう。

 そして今日リーファの友人らと話をしていて、学生時代の苛めも一因ではないかとも考えた。


 何はともあれ、側女の立場であるリーファはいずれは城を出なければならない。

 子を産んで務めを全うするか、あるいは適齢期が過ぎ追い出す事になるか、どちらかは分からないが。

 せめてリーファにしてやれる事は何だろうかと思いついたのが、”妻としての身構え”だった。


 ◇◇◇


 一人暮らしに慣れていたから、家事一切については問題を感じなかった。

 男を悦ばす所作など、言わずもがなだ。


 後は夫に対する姿勢だったが、自分がこうあれと望めば望んだだけ、リーファは着実に習得していった。

 元々側女という存在自体、王の望みを叶える為にあるものだ。人を見て何を望んでいるのか。心の機微を感じ取る事に慣れているのだろう。


 実際、”夫”をもてなすリーファの在り方は良いものだと思った。


 出がけのキスにはにかみ、料理の腕を褒めれば照れ、どうでも良い話で笑って。

 いつもと違う呼び方で呼ばれるのも、そう悪いものではないと思えた。リーファにはああ言ったが、敬称をつけずに名を呼ばれた時は心が躍ったものだ。


 しかし、何度も”家”での生活を続けていて、考えてしまったのだ。

 何故この女を、いつかは手放さなければならないのだろうか、と。

 いつまでも側に置いておく事は出来ないのか、と。


 ◇◇◇


 呪術の一件をきっかけに、リーファに対する執着が強くなったのは確かだ。

 いつか手放さなければならないのなら、今だけは目の届く場所へ置いておきたいと。

 ヘルムートやシェリーに咎められようと、そう心の中で言い訳をした。


 最近はリーファの心労が見て取れるようになり、少々後ろめたい気持ちはあったのだが。

 それでも止められないのだ。

 肌が、温もりが、香りが。

 リーファの痕跡が消えていくと、気がそぞろになってしまう。


 ◇◇◇


 これでは駄目だと思ったから、友人達との茶会にも参加してみた。


 カーリンは、物怖じしがちなリーファを上手く引っ張っていってやれる良い幼馴染だと思った。

 普段から飾らない性分なのか、自分の”目”に映ったカーリンは比較的澄んで見えたものだ。


 そしてジョエルの口ぶりから、リーファに思慕の情を向けている事は明白だったから、彼からの相談はリーファのいない場所で聞く事にした。


 ジョエルが自分の目に適う男であれば、リーファが自分の手から離れた時、結ばれなかったとしても良い友人として、付き合っていけるのではと思ったのだ。

 だが彼から聞けたのは、後悔、悔恨、自己嫌悪───そういったものだった。


『こんな事、陛下に相談出来るようなものじゃないってのは分かってるんです。

 でも、どうかあいつを見捨てないでほしくって…。

 メイドとか、料理の手伝いとか…何でもいいから、城に残しておいて欲しいんです』


『…あいつがメダリオ達に苛められてる時、オレ何も出来なかったんです。

 メダリオの家はオレの家とも商売で繋がってて。

 オレが庇ったら親父にも迷惑かけちまうって思ったから、オレ何もしてやれなくて』


『あいつが学校辞めて、そこから色んな仕事を転々としてた事も知ってます。

 あいつの声はよく届くから…。宿屋で給仕したり、店屋で売り子してたり、診療所で働いたり…。

 …いつだったか、夜にあいつ路地裏で暴漢に襲われて………。

 あ、いや。なんとか逃げられたみたいだったんですけど。

 ………その時も、オレ助けに行ってやれなくて』


『オレじゃ、あいつに何もしてやれないんだって思ったんです。

 学校にいた頃より、仕事してた頃より、多分今が、あいつにとって一番安心できると思うんです』


『どうか、この通り………リーファを、あいつを、側に置いてやって下さい』


 惚れた女の為に、ひざまずいて頭を下げられる男がどれほどいるだろうか、と思った。

 だがジョエルの言う通り、リーファの安寧を望むならジョエルは力不足かもしれない、とも思ったのだ。


 しかし青年の請願を受諾は出来なかった。出来るはずもなかった。

 既に一度、リーファを正妃選びの騒動に巻き込んでしまったのだから。


 ◇◇◇


 リーファには利用価値がある。


 その”声”には人を惹きつける力があるから、パーティーの目玉として歌を披露させる職に就かせる事も出来るだろう。

 ミンストレル───王宮お抱えの歌唄いの制度はラッフレナンドにはないが、新たに作ってやる事は出来るはずだ。記憶喪失の一件の後も歌の練習はさせており、音痴は概ね解消されているのだから。


 また解呪の力も無視は出来ない所だ。魔術師としての技能は大した事はないと言うが、魔女排斥を続けてきたこの国で、”王に認められた魔術師”の存在は大きい。


 側女として城に留めておくのは難しくとも、別の役職につけて城を出入りさせれば良いのではないか。

 必要に応じて召還する形を取れば、易々と貴族たちも手が出せないのではないか、と考えた。


 ◇◇◇


 それを念頭に置いた上で、リーファにあの話を持ち掛けた。


『私が今、『この城から出て行け』と言ったら、お前はどうする』


 診療所へ戻るのか。あるいは別の仕事に就くのか。

 どれでもいいから、仕事の合間を縫って城に来て欲しい。

 そう願っての問いかけだったのだ───だが。


『思い切って、国を出てみましょうか』


『…きっと城下にいたら、お城を眺めた時に、悲しくなってしまいます。

 アラン様の為に、何も出来なかったなって』


 そこでようやく、重大な思い違いをしていた事に気が付く。

 分かってはいた。しかし考えないようにしていた事ではあった。


 リーファは一所ひとところに留まれる女ではない。手を離せば、どこまでも飛んで行ってしまう女なのだ。

 恐らくだが、リーファは理由がなければその場に留まれない性分なのだろう。


 城入りする前はグリムリーパーの仕事の為に城下に居続ける必要があり、城入りした後は側女として居る事を求められた。

 しかし、グリムリーパーの仕事は他に委託が可能であると分かっている。

 グリムリーパーとしても側女としても求められなくなれば、辛い思い出の多いこの城にも、この城を仰ぐ城下にも、居る理由など無くなってしまう。


 命じれば容易たやすい事なのだ。

 側の任を解くから城を出ろ。結婚しようがしまいが構わない。だが召還には応じろ。

 そう命令すれば、リーファはいつまでも城下に残り続けるだろうが。


『…そう思って頂けたのなら、良かった』


 そう言った時の、リーファの表情。

 色々な感情の入り混じった、泣きそうな面持ち。

 あんな顔をさせたくて、城から出した後の事を案じていた訳ではない。

 それだけは言えた。


 ◇◇◇


 寝たのがいつだったか思い出せないが、アランは不意に覚醒した。

 ”家”の外は未だ暗く、壁時計の針を見る事は出来ないが、もう数時間は寝ていられるのではないかと思えた。


「う…ん」


 寝返りを打ち、リーファがこちらに身を寄せてきた。

 だらしない寝顔だ。容貌は凡庸で、背は高いとは言えず、アラン好みのグラマラスな姿態でもない。

 しかしそれでも、ここに来た頃よりもその肉体は女性特有の柔らかさを持つようになっていた。


 胸はそれなりに膨らみ、肌は滑らかに、髪は艶やかに。

 見すぼらしい姿だった人形が、洗われ繕われ飾り立てられるように、王に相応しくあれと目の前の女は日々作り変えられている。これからも。


 しかし、アランが望む姿には一歩足りない。


(お前が貴族の娘であれば…正妃に相応しい家柄であれば、こんなにも悩む事もないというのに。

 あるいは、私が王でなければ───)


 そこまで考えて、今まで散々繰り返してきた愚考だと戒める。


 リーファがやんごとない身分の女であれば、グリムリーパーの血筋が混ざる事などない。

 アランが王の血統でなければ、そもそもリーファが警告に来る事もなかった。


 今のままでは、アランが望む形でリーファを側に置く事は出来ない───正妃という形では。


「…酷い女だ、お前は」


 どこまでも思い通りにならない女に体を重ね耳元で囁くと、彼女のまぶたがぴくりと動いた。

 しかしそれだけでは覚醒には至らず、彼女の意識は再び闇の中へ沈んで行ったようだ。

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