第12話 余談・ある本の心残り

 禁書庫の司書室は今日も不思議な構造をしていた。


 建物を上から見たら十字架のように見えるのではないだろうか。廊下の壁には本棚がびっしりと並んでおり、膨大な量の本が入っている。これだけの本を管理整頓するには、きっと途方もない時間と労力が要るのではないかと考えてしまう。

 十字の中央は読書スペースになっていて、一台のテーブルを囲うようにソファが四脚置かれていた。


 ソファの一角に座っている老人に、リーファは尻込みしつつも声をかける。


「爺様、ご無沙汰しております」


 遠くからだから聞こえているだろうかと心配したが、老人はすぐに反応してソファから立ち上がった。白髪を頭頂部で一つに束ねた小柄な老人がリーファの前に姿を現す。


「久しいのう嬢ちゃん。まあ、かけなされ」


 彼はそう言って、表情の分かりにくいしわくちゃの顔で、に、と笑ってくれる。

 促され、リーファは空いているソファに腰かける。老人も、横の席に座った。


「先日はお世話になりました。あ、これお土産のマカロンです」

「おお、いつもありがとう。

 ───お前達、お客さんじゃよ。お茶の支度をしておくれ」


 二度ほど両手を叩くと、白くて丸いモップのようなものが三つほど、コロコロと転がってきた。見慣れない子たちだ。

 老人の手から渡されたマカロンの小箱を細い手で受け取って、コロコロコロ…と十字の中央、角にある部屋へと入っていく。


「あんな子たちがいたんですね」

「ワシ一人ではなかなか片付かんでのう。時々来てもらっとるんじゃ。

 食い意地は張っておるが、その分よく働いてくれるいい子達じゃよ」


 と、老人が笑う。

 ここに来るときは老人がいつも一人で出迎えてくれる為気にしていたが、ああいう子達がいるのなら不要な気遣いだったようだ。


「胎の子は、残念じゃったの」

「………!」


 リーファは言葉を失った。


 前回来たのはアランの見合いの時で、今日に至るまで老人とは連絡をしていない。

 この老人であれば何を知っていてもおかしくはないと思うが。しかし、何も言っていないのにそれを知られるのはさすがに動揺してしまう。


「…何もかも初めての事で、勉強が足りていませんでした。胎の子には悪い事をしてしまったと思います。

 もう償う事は出来ませんが…せめて、あの子の事は忘れないように、過ごして行けたらと思ってます」


 リーファの意思表明に、老人は、うむ、とうなずいた。


「命は消え去っても、思い出は残る。

 産まれてこれなかったとしても、嬢ちゃんと子の間には確かな繋がりがあったはずじゃ。

 それを覚えていさえすれば、子も報われる事じゃろう。

 …しかし、あまり気負いをせぬ事じゃよ?

 胎の子は、母の枷になる事なんぞ望んじゃおらんからのう」

「…そうですね」


 老人の気遣いに心打たれていると、先程のお手伝いさん達が転がってきた。頭の上にティーセット一式を揃えたトレイを持ち上げている。

 テーブルにトレイを置き、連携してティーカップにコーヒーを淹れてくれる。ふわ、と良い香りがテーブルを包んでくれた。


「さあ、召し上がれ」

「ありがとうございます」


 コーヒーと茶請けにマカロンを出され、リーファはコーヒーを口に含んだ。苦みの中にほのかな甘みも感じ、思わず笑みが零れた。


「美味しいですね…」

「うむ、気に入ってもらえたようで何よりじゃ。

 ───さて。嬢ちゃんの要件を聞こうかの」


 本題の事を忘れそうになっている所で我に返り、リーファは気を引き締めた。

 呼吸を正し、持っていたバッグから本を───本だったものを───取り出す。


「…私の不手際で、爺様にお借りしていた本を駄目にしてしまいまして…。

 修復を試みたのですが、直す事が出来ず………本当に、ごめんなさい」


 差し出した本の扉には、”セイレーンの声専用 子守唄の絵本”と書かれていたはずだった。

 しかし、何らかの魔術的付与が成されていた本は、乱暴にページを引きちぎられてしまったが為に術式が解かれ、今はどこをめくっても真っ白なページしか見られない。破けたページは差し込んだが、当然それで元に戻るはずもなかった。


「アラン様は、『弁償が必要なら請求して欲しい』と仰っていました。

 私も、何らかの形で償わせて頂ければと思っています。

 …爺様、私はどうお詫びしたら良いでしょうか?」


 目の前に置かれた本を見下ろし、老人はしばし目を伏せていた。

 老人の側に置かれたマカロンが、一つ、また一つとお手伝いさん達の胃袋に収まっていく音だけが聞こえてくる。


 しばし待っていると、老人は目を伏せたまま口を開いた。


「嬢ちゃんや」

「はい」

「…本、というものはの、必要な者の下へ必要な知識を伝える為のものじゃ。

 医者を志す者は医学書を。計算を学びたいと願う者は算術書を求める。

 そして本から学んだ者は、他の者へ知識を伝える事ができる。

 そうやって、人は知識を広げていく事が出来るのじゃ」

「そう…ですね」


 いきなり本の在り方を告げられ、リーファはしばし混乱した。それが弁償と何の関係があるのか、頭の中で思いを巡らせる。

 老人は駄目になってしまった本を引き寄せ、その上に意外に大きい手のひらを乗せた。


「しかし、それが一方的なものだと思い込んでおらんかの?

 人が本を求めるなら、本が人を求める───そんな事も、ないとは限らんじゃろう?」


 老人が本を撫でる。本に語り掛けるように、本に問いかけるように。

 まるで本を説得するかのように、老人は言葉を紡ぐ。


「この本はどうじゃろうな?

 もう全てを伝えたじゃろうか?まだ教えていない物語はないのかの?

 役目を終えたと、もう何も語るものはないと、勘違いしとらんか?」


 その光景に、リーファは息を呑んだ。


 老人が本を撫でると、撫でた所が変化していく。

 引っかき傷のついた表紙は綺麗な装丁に戻り、破り取られて飛び出していたページは整えられ、本として形作られていく。


 そして真っ白な本扉を開き、老人はそこにも触れた。

 軽く撫でたかと思えば、そこには見慣れた本のタイトルが。”セイレーンの声専用 子守唄の絵本”と書かれていた。


「ああ───」


 言葉もなくただ声を上げるリーファに、老人はそっと本を差し出した。


「持って行きなされ。この本は、まだ嬢ちゃんの側を離れたくないようじゃからの」

「ありがとうございます………本当に、本当に…ありがとうございます…!」


 リーファは大粒の涙を零し、濡れないように本を強く抱きしめた。

 人のような確かな温もりが、生まれ変わった本から滲んでいた。 

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