第21話 悪意はその背に・2

「これからお前はどうする?」

「今日も、爺様の所へ行っています………爺様には、迷惑をかけてしまいますが…」


 追いかけて零れた涙を拭いながら、リーファは苦笑いを浮かべた。

 禁書庫の司書室はこの城の中では最も面妖な場所だが、悲しいかな、今確実に安全が確保出来る場所は、アランもあの部屋しか思いつかなかった。


「───分かった。お前を司書室まで送ろう」


 アランの提案に、リーファがびっくりした様子で顔を上げた。


「い、いえ。それはさすがに…!

 アラン様はもうそろそろ候補の方と会う予定でしょうから、そちらに。

 私は一人でも大丈夫ですから…」


 確かに、そろそろ次の候補アドリエンヌ=ルフェーヴルと落ち合う時間だ。

 アランは、もう見合いとか心底どうでも良かったが、リーファはそうは思わないらしい。きっと、最後まで女性達に対して誠実に向き合って欲しいのだろう。


 不意に気配を覚えて、開け放たれた扉の先を見やるとメイドが立っていた。


「しかし、そういう訳にも行くまい………そこのメイド」


 声をかけると、金髪を巻いてツインテールにしたメイドが恭しく首を垂れた。

 サンドリーヌ───そんな名前だっただろうか。


「お呼びでしょうか」

「リーファを禁書庫まで連れていってやれ」

「かしこまりました。どうぞこちらへ」

「はい。───アラン様も、どうぞ、急いで下さいね」

「ああ」


 リーファは悲しそうに笑みを送ると一度だけアランに頭を下げ、メイドと共に廊下に消えて行った。


 二つの気配が廊下から消え、アランは溜息と共に改めて部屋を見回した。

 見れば見る程、気が滅入る光景だ。シェリーが見たらきっと卒倒するに違いない。


 アランは部屋の北側にある、ベッドから真正面に見える絵画を仰ぐ。

 絵画のタイトルは、”死の道を舞う乙女”と呼ばれている。ラッフレナンド建国の聖女を題材にした絵だ。


 この部屋の前の主がいた頃にはかけていなかった絵だ。

 前の主が去り、アランが王子として認められてから暇を見つけては意味もなくここに出入りするようになって、何とはなしに飾らせた絵だった。


 気に入っていたかどうかは、自分でも分からない。

 しかし、ベッドに寝そべって何も考えずにこの絵を眺めるのは、とても気分が安らいだものだ。


 そう考えると、ここにはアランの私物ばかりを放り込んでいた気がする。

 絵画、本、趣味の物、そして───リーファ。


 リーファについては、放り込んだ当初は監視を目的にしていたのだが、気が付けば他の何よりもこの部屋の在り方に相応しくなっていった。


(王とは、こんなささやかな物すら持つ事を許されないのか)


 王という立場が不自由だとある程度理解はしていたが、ここまでとは───


「きゃあ?!な、何なんですかこれぇ…!」


 アランの物思いを断ち切ったのは、廊下の先にいた女だった。


 レモンイエローの髪を巻いてツインテールにしている、ちょっとぼんやりした雰囲気のメイドだ。

 先程リーファを伴って部屋を出て行ったはずのサンドリーヌが、顔を青くして部屋を見回していた。


 しかし、アランの姿に目を留めると慌てて首を垂れる。


「あ、へ、陛下!失礼致しました」


 アランはきびすを返し、メイドへと近づいた。物思いに耽っていたのは事実だが、リーファを送り届けたにしてはあまりにも早すぎる。


「…リーファを連れて行ったにしては早いではないか」

「何の事でしょう…?ワタシはつい今し方、こちらに来たばかりですが…?」


 サンドリーヌはアランの言葉に目をぱちくりした。小首を傾げ、不思議そうな顔をしている。

 黒いもやを撒かずにいるメイドを見据え、アランは眉根を寄せた。


 アランも良く見ていた訳ではないが、先のメイドの髪の色はもう少し暗かったような気がした。

 声はこんなに高くはなかったし、容姿ももう少し年上に見えたかもしれない。メイドの制服もデザインが若干違っていたような気がする。

 メイドの顔などいちいち覚えていないので、よく似た別のメイドなのかもしれないが。


(あんな女は、城にいたか?)


 疑念が湧くと同時に背筋が凍るような気持ちになる。胸騒ぎが───


「───いやああああああああ!」


 叫び声が。

 城中に響くのではないかという悲鳴が、アランの鼓膜を揺るがした。


 サンドリーヌも反応して、険しい顔を廊下の先に向ける。


「今の声…!」


 メイドの声よりも早く、アランは部屋を飛び出していた。


 冷や汗がまとわりつく。嫌な方向への想像が止まらない。

 あって欲しくはない。あって欲しくはないのだ。

 どうしてこんな事になってしまったのか。何がいけなかったのか。

 自分を責める感情だけが心を塗りつぶしていく。


 マントをはためかせ廊下の南側を抜け、中庭の手前にある階段を降りていく。

 リーファの姿はすぐに目に留まった。1階と2階を繋ぐ階段の踊り場だ。

 彼女は倒れた体勢のまま、嗚咽を混じらせて呻いていた。


 悲鳴を聞きつけて兵士や役人の姿が見えるが、どうしていいか分からず狼狽うろたえていた。本城南側の役場にも近いからか、階段の下から町人が何人か様子を見ている。


「リーファ、どうした!何があった?!」

「アラン、さまぁ…!」


 アランは動けないでいるリーファの体を起こした。顔を上げた彼女の頬は涙に濡れ、悲痛に染まっている。


「知らない、メイドの、人に、いきなり………突き飛ばされて───」


 びくり、とリーファの体が震える。目を大きく見開き、膝を曲げ、下腹部を押さえ込んで苦悶の声を上げる。


「あ、ああ………いたい………やだ、やだぁ………!」


 じわり、と。

 リーファが座り込んでいた踊り場に、どこまでも赤黒い液体が染み出して少しずつ広がっていた。知識が曖昧でも、それがリーファの血である事はすぐに理解出来た。


「いやあぁああぁ………!」


 リーファが半狂乱で泣き喚く中、アランは只々呆然と見ている事しか出来なかった。こんな事態になる事など、シェリーからも教わらなかった。


 その場にいる誰もが動けないでいる中、階段を五段ほど飛ばして降りてきた影が見えた。サンドリーヌだ。

 高いヒールにも関わらず難なく踊り場に着地したメイドは、アランの反対側からリーファに駆け寄り、状態を見て、迅速且つ的確に周囲の兵士達に訴えた。


「医務所に運びますのでどなたか手を貸して下さい!他の方々は道を空けて!急いで!!」

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