第3話 仕組まれていた騒動・1

 アランから外出の許可を貰い、リーファはラダマスの居城へ降り立っていた。


 橋渡しの腕輪の力から解放されたリーファの肌を、極寒が容赦なく突き刺し息を白く凍らせる。

 相変わらず人間の身には厳しいこの土地に体を震わせつつ、トートバッグを片手に急ぎ城壁門の勝手口へと向かった。


 ◇◇◇


(人手不足…っていうか、グリムリーパー不足っていうのは、本当なのね…)


 誰もいない風除室を見回し、リーファは自分の体が温まっていく事に安堵の吐息を零した。

 幸い鍵がかかっている訳ではないようだ。リーファは風除室を抜けて正面2階へ上がり、突き当りの玉座の広間へと歩いていく。


(ラダマス様もいなかったらどうしようかな…)


 一抹の不安を覚えたが、正面の扉を開けるとラダマスは玉座の広間の中央で背を向けて立ち尽くしていた。

 ラダマスは顎を上げ、その先にあるステンドグラスを眺めていたようだ。


 ステンドグラスは緑色の髪の女性の姿をかたどっているようだが、人間でもグリムリーパーでもなさそう、という事ぐらいしか分からない。

 ラダマスもよく知らないらしいのだが、こんなところにあるのだ。ラダマス以前のグリムリーパー王に由来しているのかもしれない。


「お邪魔します、おじいちゃん」

「!!」


 声をかけられて、ラダマスはようやく来客に気が付いたらしい。いつもの余裕綽々な笑顔はなく、警戒心すら籠った灼熱の瞳が睨んできた。

 そしてリーファの姿を認めると、彼は一瞬で破顔して小走りで近づいてくる。


「リーファじゃないか!どうしたんだい、急に遊びに来て」

「先月、ラッフレナンドの事でお世話になったと聞きまして。

 そのお礼と、預かりものを返しに」

「そうか。そういえばそんな事もあったねぇ。

 まあそんな所で立っている事もない。ささ、こちらにどうぞ」


 エスコートされ、リーファは玉座の側まで案内された。

 音もなく、玉座の前に黒い石の円形テーブルと椅子が一脚姿を現す。


「ええと、ケーキはチョコレートケーキがいいかい?チーズケーキもいいよね。

 お茶は…紅茶なかったかなー」


 上機嫌で呟きつつ指で虚空を撫でると、テーブルの上に白いテーブルクロスが広がり、ティーポットやケーキタワースタンドがわいて出る。


(どういう仕組みなんだろう…)


 魔術についてはそれなりに勉強したリーファだが、ラダマスがしてみせるそれはそんな生易しい域の術ではないと感じ取る。”常に居て、常に在らず、望めば現れ、求めれば去る者”といい、リーファの理解に及ばない事はまだまだ多い。


 あっという間にティーパーティーの支度が出来上がったテーブルに招かれ、リーファは椅子に腰を下ろした。

 ラダマスも玉座に座り、手の中のワイングラスに彩り豊かな金平糖の形を模したものを出している。


「さあ、たんと召し上がれ」

「はい、ありがとうございます」


 テーブルの上でティーポットが宙を舞い、茶葉と湯を入れている。


 手始めに、リーファはケーキタワースタンドからチョコレートマフィンを取り、食べ始める。出来立てのふわふわの生地の温もりと、細かく砕かれたチョコレートの味が口いっぱいに広がる。


 幸せを口いっぱいに噛みしめていると、ラダマスが満足そうに微笑んだ。


「どうやら記憶は戻ったようだね」

「ええ、おかげ様で。その節はお世話になりました」

「記憶がなかったリーファも、なかなか可愛かったよ。

 あんな風にもっと気を楽にしてくれていいのに」


 茶化した物言いをされてしまうと、リーファも顔を赤くするしかない。


「も、もう。私もいい歳なんですからね?

 いつまでも可愛いと言われて喜ぶ年齢じゃないんですから」

「ははは。わたしから言わせれば、リーファもエセルバートも今の魔王も、皆子供みたいなものさ」

「…そう言われてしまうと、何も反論出来ないですけど…」


 頬を膨らましている間に、紅茶が注がれたティーカップがソーサーと共にリーファの側に置かれた。


「そうそう。こちらをお返ししませんと」


 リーファは持っていた麻のトートバッグから、ガラス玉をテーブルに差し出した。中に木のやぐらのおもちゃが入った、魂回収用の宝珠だ。


「私が以前回収した魂も移しておきましたので、一緒にお願いします」

「うん、預かるよ。───随分貯まったものだね」


 ラダマスはそれを受け取り、手の中で転がして見せる。やぐらが霞んでしまう程、宝珠の内部は魂が密集している。


「ええ。騒動で回収したものが百四十、以前回収したものが二十、ありました。

 特に流行病の話もないのに、何故こんなにたくさんいたのか、不思議だなーって」


 ラダマスの口元が吊り上がったまま固まり、バツが悪そうにリーファに目を向けた。


 彼から見たリーファはどんな顔をしているのか───自分では分からないが、それなりに気持ちは伝わっていると思いたい。

 ティーカップに一杯だけ砂糖を入れて混ぜながら、リーファは話を続けた。


「実は記憶を失う一件の前々日に、墓地の魂の回収はしていたんですよ。

 少し前に、アラン様が『城下へ墓参りに行きたい』と仰っていて…。

 人の行き来がある昼間に魂が騒いでしまうのは良くないと思ってましたので、夜黙ってこっそりと…ね」


 カップを手に取り紅茶の香りを楽しみながら、リーファは目を細めてラダマスに問うた。


「───何故、魂をラッフレナンドに放ったんですか?」


 ラダマスの指先に摘ままれていた、ピンク色の金平糖のようなものが零れ落ちる。

 テーブルを跳ね、そして玉座の間の床にかつん、と音を立てて転がって行く。


 落ちた金平糖はもやもやと姿を変え、やがて白い魂の形へ変じた。ふよふよとリーファの顔の高さまで浮かび上がった魂は、行き場を無くして右往左往している。


 リーファはそれを摘まみ取り、口の中に放り込んでごくりと嚥下した。砂糖菓子より控えめな甘みが氷砂糖よりも素早く溶けていく。


 再びラダマスを見やると、まるで親に叱られた子供のように小さくなって顔を下げ、じっとしていた。


 その情けない姿に、リーファは紅茶を口に含んでから肩を落とした。


「確かに、アラン様が原因で私は記憶を無くし、彷徨さまよう事になったかもしれません。

 グリムリーパーを…同胞を害されたと、ラダマス様は思ったかもしれませんが…。

 これじゃ、自作自演じゃないですか…」

「…それは、違うよ」


 それまで黙していたラダマスが顔を上げ、リーファを真っ直ぐに見据えた。

 いつもの愛嬌はなく、どこか悲しみを湛えている面持ちだった。


「わたしは、リーファがラッフレナンドへ行くとは思わなかった。

 ラッフレナンド王の依頼を突っぱねて、ここに残ってくれると思っていた。

 だからこれは、自作自演とは言わない」

「…何故私が行かないと、そう思ったんです?」

「だって、記憶を無くしたリーファには縁のない土地だったろう?

 右も左も分からない土地で、誰かと深いやりとりがあった訳でもない。

 日記を見せてもらって、雑貨屋で世話になったとは知っていたけど、逆に言えばそれだけでしかない。

 ───わたしは、可愛い孫を酷い目に遭わせたあのが、許せなかった」


 ラダマスの真紅の瞳が揺らめいている。まるで、怒りの矛先を全て焼き尽くしてしまいたいと主張しているかのように。

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