第19話 吟遊詩人に導かれて・1

 昼の時間を幾分か過ぎた頃合になって、アラン達を乗せた箱馬車はビザロの町に到着した。


 町に入ってすぐの所にある駐留所に箱馬車を預け、シェリーとアランは町へと繰り出した。兵士と御者は駐留所で待たせている。


「ヘルムート様だけで大丈夫でしょうか…」

「お前が行っても、あの”瞳”の前では役には立たん。

 ここからならガルバートまでそう遠い訳でもない。結果はすぐに分かるさ」


 ヴェルナ=カイヤライネンは”リリスの瞳”という才を持っていて、目を合わせた者を魅了する力がある。

 かつて、アランの見合い相手の女性としてラッフレナンド城へ来た彼は、リーファとヘルムート以外の者達を虜にしてみせたのだ。

 その為、”瞳”の効果が現れなかったヘルムートに馬を使わせ、ガルバートまで行かせている所だ。


 リーファが見つかり連れ戻す事が出来れば良し。

 ガルバートにいない、もしくはいても連れ戻す事が出来なければ、ヘルムートはビザロまで戻ってきて状況を報告する。と、そういう流れになっている。


 そしてアラン達は、ヘルムートと落ち合う為の宿を探していた。

 宿場の野宿が思ったよりも体に堪えたので、出来れば品の良い広い宿が望ましい。


「あなたの心は離れて消えた、気高く微笑む月桂樹ー」


 どこかで、歌声と共にハープの音色が聴こえる。


 見やれば、通りに宿が一件あるようだ。大理石でしっかり作られた、2階建ての宿屋だ。

 入り口の上に飾られた看板を見上げると、ジャガイモに囲まれて一つリンゴが描かれている。名前は”大地のリンゴ亭”と読めた。


「夜霧と霞に絡めとられて、もうこの想いは届かないー」


 ハープの腕は悪くないが、歌の音程が所々ずれているような気がする。というか、自身の声が歌に合っていないのではないかと感じた。


(安宿ではそんなものか)


 宿屋の規模を見ても、この人数でここに泊まるのは難しいだろう。他の宿を当たろうかと考えていると。


 ───ご!


 大分派手な音が、宿屋から聞こえてきた。


 何事かとシェリーと顔を見合わせ、通りに面した窓から中を覗く。


 1階は、食事と芸を披露できるステージを設えているようだ。昼食の時間を過ぎている為かテーブルに人はいないようで、ステージに男女の姿があった。


 一人はこの店の者だろうか。エプロンを付け黒髪をコック帽で隠した中年の男だ。

 そしてもう一人は、ハープを持った黒髪の女のようだ。


 まさに今、中年男が女の脳天にチョップを食らわしたと言わんばかりのポーズだった。女はその場でうずくまり、痛みに体を震わせている。


「駄目だ!全っ然ダメ!そんなんじゃ、ステージに出してやれねーよ!」


 中年男の評価に、すぐに女は顔を上げて抗議してきた。


「なんでだよ!ハープの腕は悪くねえだろ?!」

「演奏はな。しかし、歌がダメじゃ彩りにならんだろーが!

 歌唄いの嬢ちゃんを連れてきたら考えてやってもいいが、お前さんだけならステージは貸せん!

 ほら、余所よそに行った行った!」


 あしらわれてしまった女は、しばらく中年男を睨みつけていたが、やがてハープと自分の手荷物を抱えて宿屋を飛び出した。窓で見ていたアラン達の横を抜けて、町の中央の方へと逃げていく。


「くっそー!覚えてろー!」

「もうちっとマシな歌が唄えるようになったら来いよー」


 中年男は店先に出て、走っていく女を見送る。

 そして、店の中を見ていたアラン達に気が付き、愛想よく声をかけてきた。


「いらっしゃい!宿をお探しですか?

 ”大地のリンゴ亭”はどこの宿よりも飯が美味いと評判でして、よろしければ席をご案内致しますよ」


 アランの側に控えていたシェリーが一歩踏み出て、中年男に微笑みかける。


「ありがとうございます。今ビザロに入ったばかりで、色々見てから宿を決めたいと思いますわ。

 ───ところで、今の子は?」


 彼は頭を掻いてみせて、女の走って行った先を見やった。


「ああ。お恥ずかしい所をお見せしまして。

 …昨日から来た旅芸人の女の子達にステージを貸していましてね。

 さっきのサンって子がハープ担当で、もう一人歌唄いの子がいたんですよ。

 評判がよかったから、しばらくステージを預けてもいいかなーと思ってたんですが…。

 歌唄いの子の親戚がこの町にいたとかで、家族を探していたその子とはペアを解消したみたいで」


 アランにとってはどうでもいい、他愛ない世間話だった。早く他の宿を取りたいのに、シェリーが話を振った理由が分からない。


「それでソロになったハープ担当に歌わせていて、ああなったと」

「一度良い歌を聴いちまうと、皆それを求めちまいますからね。

 仕方がないんです。歌唄いの子の声が良すぎた。

 ───しかし良い声だったなあ。

 当面はここで暮らすでしょうから、また遊びに来ちゃくれないかなあ。

 ええっと…リーファって言ったっけかな?」

「「?!」」


 探し求めていた女の名前が耳を掠め、アランの目は大きく見開かれた。驚愕の表情を中年男に向けてしまう。


「え?あ、あの?」


 前にいるシェリーも似たような顔をしていたのだろう。急に顔色の変わったこちらを交互に見て、中年男は怪訝な表情をしている。


「リーファと、名乗りましたか?その歌唄いの女性は」

「は、はあ」

「肩まで伸びた赤…いえ、茜色の髪の?」

「…お客さん、あのお嬢ちゃんのお知り合いか何かで?」

「急ぎの用が出来ましたので失礼いたします」

「え?え?」


 シェリーは恭しく頭を下げたと思ったら、颯爽と駆け出した。

 よく分からないでいる中年男を取り残し、アランもシェリーを追いかける。


 ヒールのない靴とは言え、シェリーは走りに向いていないメイド服姿だ。アランは貴族服だが動きやすいものを選んできたし、すぐにシェリーに追いつく。


「シェリー。お前まさか、分かってあの男に声をかけたのか?」

「まさか。

 しかし吟遊詩人で女性なら、同性の旅人を気にするかもしれないと思っただけです」

「…そうか」


 ここ数日街道を見ていて、確かに女性だけの旅人は殆どいなかった。手掛かりを感じたと思ったのだろうが、まさかの大当たりだとは。


「しかし歌唄いをしていたとは。練習していた時は酷い有様だったというのに」

「記憶喪失で音痴が治るなどという事があるのでしょうか」

「私が知るか」


 道行く旅人や住民の間を縫い、唯一の手掛かりを持つ吟遊詩人の女をふたりは追いかける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る