第15話 伝わりそうもない自己開示・2
きゃあきゃあと、3階の西側が騒がしい。
何事かと思い西の廊下を歩いていくと、側女の部屋の扉が開け放たれている事に気が付いた。そして扉の側で、巡回の少年兵がハラハラしながら中の様子を伺っている。
「あ───アルトマイアー様。お、お疲れ様です」
近づいてくるヘルムートに気付き、少年兵が敬礼をする。特に返す必要はないのだが、ヘルムートも少年兵に敬礼をしてみせた。
「お疲れ様。
…側女の部屋の中を、あまり覗き込むものではないよ?」
「も、申し訳ありません。
扉を、閉めた方が良いものか、考えてしまいまして…っ」
「ああ、うん………そうだね。
これは、悩ましいな」
ヘルムートも側女の部屋を覗き込む。
「もうちょっと!もうちょっとで乾きますから!
ちゃんと乾いたら、抱いて下さい!」
「馬鹿め、もう遅いわ!
ああ決めたぞ。今夜は拷問部屋で媚薬のフルコースをくれてやろう!
ははははは!どんな痴態が見れるか楽しみだなあ?!」
「それエリナさんに怒られたやつじゃないですかやだーっ!?
鼻から吐くわ口から吐くわ
バスローブ姿のリーファはタオルで一生懸命髪を拭いながら逃げ回り、貴族服のアランはそんなリーファを追いかけ回していた。
リーファはアランから上手に逃げているように見えるが、恐らくアランは手を抜いているのだろう。リーファが力尽きるのを待っているようだ。
部屋の中は何故か灯りがついておらず、この扉を閉めてしまうとふたりとも暗がりの中で走り回る羽目になる。しかし開けっ放しは
どうしようか考えていると、少年兵がヘルムートに訊ねてきた。
「あの、アルトマイアー様」
「うん?」
「陛下は、何故リーファさん…側女殿に、辛く当たるんでしょうか?」
少年兵の真っ当な疑問に、ヘルムートは戸惑いを隠せなかった。
「お好きなら、あんなに酷い態度を取らなくていい思いますし。
お嫌いなら、城から出して差し上げれば良いと思うんですが…」
真っ直ぐにヘルムートを見上げる少年兵の昏い闇の色の視線が痛い。年端もいかない少年にアランの幼稚さを指摘されてしまうのは、色んな意味で心苦しい。
側女の立場は、決して公式なものとは言えない。あくまで”王の私物”の側面が強く、管理も割といい加減だ。
名簿に架空の名前を登録し、後から側に置いた女性にその名を与えたケースもあれば。
身寄りがなかった女性を登録し、王の所有物・庇護対象として丁重に扱うよう地方に置いたケースもあったという。
この少年兵の言う通り、リーファを煩わしいと思っているなら城下に戻してやっても良いのだ。名前は名簿に残るが───
(…そういえば、側女の登録まだ済ませてなかったっけなあ)
やり残していた事を一つ思い出し、頭が痛くなった。あれは確か、アランの最終確認の所で止まっていたはずだ。
ともあれ、今のリーファは『追い出す気もなければ寵愛する気もない』微妙な立ち位置と言えた。
「なんだろうねえ…。
…どっちでもないから、どっちかにしたくてああやってるのかなって、僕、最近は思うんだよねえ」
「どっちでもないから、どっちかにしたい…?」
喧噪響き渡る部屋の壁に寄りかかり、ヘルムートは少年兵に自分なりの考えを聞かせる。
「リーファが側女になってからそろそろ半年経つだろう?
アランの扱いも最初はぞんざいだったけど、最近はちょっと優しくなってきた気がするんだ」
「はあ…」
少年兵の相槌の語尾がほんのりと上がる。『そう…なの…かな…?』くらいに思っているようだ。
こればかりは、身近に接しているヘルムートではないと分からない部分かもしれない。
「多分、『これからも側に置いてもいいかも』くらいには思ってると思うんだよね。
でもだからって、いきなり態度改めて馴れ馴れしくするのは嫌なんじゃないかな。
要は『今後もこんな感じで扱うけど、それでもいい?』って、アランなりに自己開示してるんじゃないかなって」
少年兵が頭を下げている。聞いていないのではなく、どうやら考え込んでいるようだ。
しばし熟考した少年兵はゆっくりと顔を上げ、とても困った表情をヘルムートに投げかけてきた。
「…あれで伝わったら逆にすごいのでは…?」
「あー………うん………そう、なんだよねー………」
少年兵の至極当然な意見に、ヘルムートは肩を落とす。『アランだったらこうするだろう』という話をしているだけなのだが、言っているヘルムート自身の品性すら疑われてしまいそうだ。
「フルコースは…っ、フルコースは勘弁して下さい…っ。
それ以外…それ以外なら、なんでも、しますからあ…っ」
「なんでも、と言ったか?言ったな?言質を取ったぞ?
さあて………今夜は何をしてもらおうか………ふふ」
「うう…っ」
側女の部屋では、どうやらリーファがアランに捕まってしまったようだ。
しかしリーファも、部屋を飛び出す事無くアランと折り合いをつけたようだし、上手に交渉出来たと言えるだろう。
満足したアランが部屋から出てきて、廊下に立っていたヘルムートと顔を合わせる。少年兵はヘルムートの背中側にいるから、恐らくアランからは見えないだろう。
「なんだ。ヘルムート」
「なんだじゃないよ。リーファで遊ぶなら部屋閉めてやってよね」
「でって言われた…」
廊下の会話がリーファにも聞こえたようだ。視界にはいない彼女が物凄く落ち込んでいる。
アランは部屋を一瞥して鼻で嗤い、ヘルムートに向き直った。
「ふん、あれは遊ぶものだ。それに、私の城でどうしようと私の勝手だろう?」
「まあそうなんだけどさ」
口ではアランを肯定するが、つい意識は背中の先に向いてしまう。
(これ以上、自分で自分の評判下げるの止めて欲しいんだけどねえ…)
こちらの思惑を余所に、アランはヘルムートのいる廊下とは逆の方へと歩いて行ってしまった。
視界の端にアランが消えて、ヘルムートは少年兵に顔を向ける。大きめのサレットを被った幼さの抜けない少年兵の目は、どこか諦めの色が宿っている。
ほんの少しだけ大人の事情を知ってしまった少年兵は、恭しく敬礼の仕草をした。
「職務に戻ります。ご指導、ありがとうございました」
「うん、頑張って」
「ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げた少年兵は
(………さて)
誰もいなくなった廊下にひとり残されたヘルムートは、ちらっと側女の部屋を覗き込む。
暗がりの中、リーファは南側のクローゼットの側でしゃがみこんでいた。顔を出すなりびくっと体を震わしたが、それがヘルムートだと分かると胸をなでおろした。
「へ、ヘルムート様。あの、陛下は…?」
「今、上の寝室にいるよ。
多分、これから湯浴みに行くんじゃないかな?手伝いさせられると思うな。
体を流した後なら薬剤所には寄らないし、拷問部屋行きもないだろう。
ここにある薬以外は盛られる心配はないんじゃないかな?」
ヘルムートが”耳”から受け取った情報をリーファに提供すると、彼女はちょっと安心したようだ。くしゃくしゃに広がっている髪を慌てて三つ編みにし始める。
「あ、ありがとうございます。助かりました。
に、二度風呂ですか…のぼせないといいなぁ…」
「水分補給は忘れないでね」
「は、はい」
リーファはコクコクと首を縦に振って、暗い部屋の中で湯浴みの支度を始めた。クローゼットを開けてタオルを用意し、キャビネットを漁ってオイルやローションを出している。
部屋の灯りをメイド達が点けに来る気配はない。もう少し扉は開けておいた方が良さそうだ。
(…やれやれ)
廊下側で壁に寄りかかって、ヘルムートは人知れず溜息を零した。
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