第15話 一仕事終えた日の夜に・1

「フッヒッヒッヒッヒッヒッヒッ───」


 肌着だけ着たサンの不気味な笑い声が、”大地のリンゴ亭”2階の一番奥の部屋にこだまする。ベッドの上の彼女は目の前に銅貨と銀貨を並べて積み重ね、気持ちの悪い笑顔を浮かべている。


「楽しそうねえ」


 1階の食堂から二人分の食器プレートを持ってきた旅装姿のリーファに、サンが親指を立てて会心の笑顔を向けた。


「おうともよ!積みあがる硬貨は最高だぜ!」

「はいはい良かったね。ここに置くね」

「お、さんきゅーな」


 足で扉を閉め、目の前のテーブルに食器プレートを置く。

 サンはフライドポテトとソーセージとスクランブルエッグとパンのセット、リーファはマカロニグラタンとオニオンスープのセットだ。飲み物は二人ともオレンジジュースにしている。


 リーファは、つけていたマスクを外して溜息を零した。


 よく響いてしまうらしい声対策の為、厚手の布を三重に重ねたマスクを口に当てている。サンにも確認してもらって、これでようやく人並みの声量になるらしい。

 息苦しいが、人の目を気にするよりマシと諦める他ない。食事をする時はどうしようもないので、そこは頑張って声を抑えるしかないのだが。


 サンはまだ硬貨を数えたいようだが、リーファは食事を済ませたいので手を合わせた。


「いただきます」


 安全でおいしい食物に感謝しつつ、リーファはグラタン皿にフォークを突っ込んだ。


「それにしても、吟遊詩人って儲かるのね…。

 なんか、あまりお金を貰える印象ってなかったんだけど…考え方変わっちゃった」


 フォークの上で湯気が上がるグラタンを、息を吹きかけて冷ましながら口に放り込む。ホワイトソースの風味が豊かで、思わず笑みが零れた。鶏肉は小さいがいっぱい入っているので食べ出がある。


 一枚出てきた金貨に口笛を鳴らし、サンはそれを両手で包んで頬ずりした。


「オレもここまでとは思わなかったなあ。

 シュリットバイゼは耳が肥えた連中が多いから、実入りはイマイチだったけど。

 ここらはあんまり旅芸人は通らねーのかな?まさか歌って大号泣されるとはなあ」

「北の方は魔物の領域らしいし、東のシュテルベントに行くでもなければ立ち入らない土地なのかもね。

 街道の宿場がもう少し大きかったらいいのに…」

「宿場の飯のまずさは勘弁してほしかったぜ…」


 サンの溜息に触発され、リーファも一つ目の宿場での出来事を思い出す。


 宿場で食べた夕食は、しなびたサラダと薄味のスープとかびた固いパンが一つだった。かびた場所は取り除いて食べたが、よく腹を壊さないで済んだものだと思ったものだ。

 メニューには肉料理もあったのだが、それを食べた旅人が翌日腹を抱えて寝込んでいたので、食べなくて正解だったらしい。


 宿はベッドがいっぱいだったので、二人で肩を寄せて床に雑魚寝をするしかなかった。

 これでお金を取るのだから不思議なものだ。外で虫に食われるよりかはマシだったのかもしれないが。


 硬貨を数える作業を終えて、サンもテーブルについた。


「いっただっきまーす」


 両手をついて頭を下げ、サンは上機嫌でフォークを手に取った。ソーセージとポテトをまとめて突き刺して口に放り込む。ソーセージの肉汁がぷちっと飛んで、テーブルにシミを作った。


 リーファはグラタンを三割程食べて、オニオンスープに手を付ける。タマネギの甘さとブイヨンの旨味が口の中いっぱいに広がる。少しずつ涼しくなっていく夜に、このぬくもりはありがたい。


「そういえば、オレ聞きたい事があったんだけどさ」

「うん?」

「あの、演奏中に出てきたユーレイみたいなの、あれなんだ?」


 再びグラタンに手を付けようとした手が止まる。顔を上げて、リーファも問い返した。


「え?サンが何かやってたんじゃないの?」

「え?」

「え?」


 二人の間に広がる、嫌な沈黙。リーファのフォークがカチンと音を立ててグラタン皿の上に落ち、サンはかじったパンを零しかける。


 沈黙を断ち切ったのはサンの方だった。


「あ、や、ちょっと待ってろ」


 サンは慌てて席を立ち、入り口側のクローゼットを開いた。

 ハンガーにかけたステージ用の衣装の下にリュックサックが置いてあって、そこから何かを取り出す。上等な羊皮紙のようだ。


「それは?」

「ハープと一緒に入ってた紙だよ。多分、説明書きだと思うんだけどさあ」


 サンはその羊皮紙を持ってテーブルに戻り、にらめっこをしている。どうやら読めないらしい。


 サンの事情については、ここ数日の間に大体の事は聞いていた。

 楽器職人の家に生まれたサンは、職人ではなく吟遊詩人としての生き方に憧れがあったようで、家に家宝としてしまってあったハープを強奪。そのまま逃げるように吟遊詩人の道を歩み始めたらしい。


 詩人歴は浅く、まだ二ヶ月ほどとか。

 最初はシュリットバイゼ中を巡っていたようだが、他所の国にも興味を示してラッフレナンド領内に足を踏み入れ、リーファと出会った、という話らしい。


「見ても?」

「読めるかねえ。記憶喪失の女に」


 きひひ、と笑ってサンは羊皮紙を手渡す。


 リーファの事情も、サンには伝えてある。

 大罪人らしいという事も話してあるが、そこはあんまり気にしていないようだった。だがその話をした後、『顔見えねー方がエキゾチックじゃね?』と、ステージでヴェールを被ろうと提案してくれたり、一応気にかけてはくれたようだ。


 羊皮紙の文字に目を落とす。言葉はラッフレナンドで使われている文字ではなさそうだったが───


「…読め、そう」

「あ?」


 サンがポテトを口に運ぼうとして取りこぼす。読めて困惑しているリーファを、まじまじと見つめてくる。


「え、嘘、マジ?」

「うん…何でか、分からないけど。…読む?」

「お、おう」


 サンの声音に緊張の色が籠る。フォークを置いて、背筋を正してリーファを見据えた。

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