第5話 旅の始まりは歌と共に

 ニークは手綱を上手に操って、荷馬車を前進させていく。最初はゆっくりと動き出した馬だったが、徐々にその速さを上げていく。


(っとと…)


 慣れない動きにぐらつき、リーファは椅子にしがみついた。初めての感覚に狼狽うろたえている内に、荷馬車は中通りを左へ曲がり、大通りへと入っていく。


 振り返ると、荷馬車の荷物の向こうに城が見えた。

 湖に囲まれた、きれいな青い屋根の建物。さっきまでいた、白亜の城。


『私は、ここから出なければいけません………必ず』


 不意に脳裏をよぎった言葉に、リーファは一瞬何かを思い出したような気がした。


(………?)


 しかしその何かが分からず、幾ら考えても何も思いつかない。

 でも。


(出なくちゃダメなんだ…きっと)


 そう思う事にした。これが正しいのだと思いたい。


 荷馬車が大通りを進んでいく。城下の入り口から城まで続いている道だけあって、とても賑やかだ。

 どこかで歌が聞こえてきた。楽器の音に合わせて、たくさんの声が曲に彩りを添えている。


 声の聞こえる東の方角を眺めていたら、ニークがリーファに教えてくれた。


「ふむ、学校があるんだねえ」

「学校?」

「ああ、勉強を教えてくれる場所だよ。この城下は人が多いから、きっと子供も多いんだろう」


 へえ、と相槌を打って、リーファは再び歌の聞こえてきた方角を見やる。


「ああいう歌も、教えてくれるんですね…」

「そりゃあもちろん。

 歌は人生の肥やしだよ。歌で各地の伝承や歴史を伝える、吟遊詩人なんて連中もいる。

 どこの国にこんな英雄がいて、こういう偉業を成したんだよ、ってのを歌にして話してくれるのさ。

 …かくいうわたしも、詩人に憧れたもんだがねぇ。

 歌には自信はあるんだが、如何いかんせん楽器の才能がなくて。

 結局諦めちゃったっけなあ」


 苦笑いを浮かべるニークの方に向き直り、リーファは食い入るように訊ねた。


「ニークさんは、どんな歌を知ってるんですか?」

「あーそうだなあ…この国で定番だと、さっきの”救国の聖女”の歌だね。

 恋歌だと”エバーグリーンオークガーデン”が有名かな。”橙の蜂起”って革命歌とかもあるねえ。

 ”救国の聖女”の歌だと…そうだねぇ」


 ごほんと一つ咳払いをしたニークは、すっ、と息を吸い吐息と共に歌いだした。


「”ああ、誰か教えて───”」


 男性特有の低く良く通る声に、周りを歩く人達が一斉に振り返る。

 賑わいが静まって行き、荷馬車を引く男の歌を聞き入っている。


 ニークはそんな大衆の視線を物ともせずに、高らかに歌い上げる。


「”風の鎧を身にまとい、真っ赤な髪を靡かせた、あの尊き人の名を───”」


 リーファもまた、その歌声の美しさに体が震えた。

 心の奥にまで響き渡るような歌声だ。こんな良い声なのに吟遊詩人の道を諦めるなんて、勿体ないとすら思えた。


 そうして曲をひとしきり歌い終えた頃には、馬車は街道へ抜ける外壁まで差し掛かっていた。


 声が届いていたようで、外壁を守っていた番兵達が拍手を送っている。


「あんた、いい声してんねえ」

「いやあ、どうもどうも」


 ニークが照れ恥ずかしそうに番兵らに手を振って、馬車はそのまま街道へと進んでいく。


 リーファもまた顔を綻ばせ、ニークに拍手を送った。


「すてき…!」

「ははっ、ありがとう」

「私もこんな風に歌えますかね?」

「ああ、きっと歌えるよ。

 わたしの声部はテノールだが、もっと高い、女性の声部もあるはずだよ。

 リーファさんなら、ソプラノでも行けるんじゃないかな。歌ってごらんよ」


 ちょっと戸惑って、リーファは周囲を見回した。


 もう城下を抜けているから、街道を通る人がちらほらいる程度だ。ニークの時のように人の目線が集中したらどうしようかと思ったが、その心配はなさそうだ。


 大きく息を吸って顎を上げ、リーファも声を上げた。


「ああ───」

「もうちょっと声高めに」


 即座にニークから指摘が入る。気を取り直してもう一度息を吸う。今度はもっと声を高く。


「あー」

「もっともっと」

「”ああ───”」

「そうそう、その音ね。それから次は…」


 日がゆっくりと落ちていく中、のどかな街道を彩った歌のレッスンは、次の村へ到着する少し前まで続いたのだった。

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