第2話 部屋に眠っていた過去

 見知らぬ場所、見知らぬ人、見知らぬ自分。

 とりあえず自分が、”リーファ=プラウズ”という名前である事は分かったが、それ以上は何も分からない。


『国に仇をなした極悪人だ』


 あの金髪男の言葉が耳にこびりついて離れない。女の人は嘘だと言ったが、それすらも正しいのかどうか。


 とりあえず何か分かる事はないか、リーファは部屋を一通り見て回った。


 クローゼットからは、何着もの服が出てきた。フリルのついたワンピースばかりで、どれも可愛らしい、という気持ちになる。


(…何も分からなくても、これは”可愛らしい”のね…)


 先程着せてもらった服も同じ雰囲気だ。着ている服を見て、その感情を再認識する。

 これが『可愛い』と思ったという事は、そう思うような場所にいたという事なのだろう。


 ふと、クローゼットの下の方できらりと光る物を見つけ、それを取り出した。


 小振りな杖のようだ。先端に透き通った球体がついていて、側には赤い宝石がペンダントになって括り付けられている。


「きれいな石…」


 その美しさに惹かれ、赤い宝石をそっと撫でると、球体の方が見る見る内に真っ黒に染まっていく。


「ひっ?!」


 驚いて杖を取りこぼしてしまった。ふかふかの絨毯の上に杖が転がる。その拍子に、括り付けていた宝石が杖から外れてしまった。


(何、今の…?)


 恐る恐る杖を覗き込むと、球体は透き通った状態になっていた。じっと見つめても、触っても、色は変わる事はない。


(気のせい…かな?)


 でも何だか怖くなって、杖をクローゼットの中へと放り込んで戸を閉めた。赤い宝石のペンダントはしまうのが惜しくなり、とりあえずベッドの上に置いておく。


 クローゼットの隣にある戸棚を開いてみると、革製の輪っか状の物や鎖、ボールのような物に紐がくくりつけられた物などが入っていた。

 下の方に置いてある小さな箱を開けて見ると、カラフルな小瓶が何本も出てくる。ラベルに文字が書いてあるようだが、何と書いてあるかは分からない。


「………………?」


 この部屋の物にしては、何故だか不釣り合いに感じた。用途がさっぱり分からない。


(手掛かりになりそうなものじゃない…かな?)


 あまり見ない方がいいような気がして、リーファはそっと戸棚を閉じた。


 他に何かないかと辺りを見回す。

 見ていないのは、ベッド側にある膝上程の高さのキャビネットと、ベランダへ続くガラス戸の側にある引き出し付き机と椅子のセットだ。


 机の上には何も置いていない。引き出しを開けてみると、使っていない便箋に混じって何通かの手紙が入っていた。


 宛名は、全て”親愛なるリーファ=プラウズ様”と。裏を返すと、差出人は全て同じ人からのようだった。


(何か手掛かりになるかも………でも)


 不思議な気持ちになる。

 自分の名前に憶えがないのに、自分の名前宛ての手紙が目の前にある。それは果たして、今の自分に対する手紙なのだろうか?


『お前の処刑は明日だ』


 また、あの男の言葉が脳裏に響いた。

 頭を揺さぶる恐ろしい言葉。手紙を持つ手が震える。恐怖で歯が噛み合わない。


(何でもいい。何でもいいから、知りたい)


 意を決して、リーファは手紙を開いた。


 ◇◇◇


 時間は昼頃に差し掛かる。

 そろそろ腹も空いてきてはいるが、今食堂へ行くと人がごった返している為、少し時間を遅らせようか何とも悩ましい、そんな時間だ。


 アランは物静かな3階の廊下を歩き、側女の部屋の扉をノックもなしに開けた。


「自分の罪深さを噛みしめ、しおらしくしているか?───」


 きっとベッドで大人しくしているだろう。そう思っていたのだが、部屋を見回してもリーファの姿はない。

 ベランダに続くガラス戸は開け放たれたまま、側のテーブルとソファには何も置かれてはおらず、人の気配はない。


「陛下。如何いかがなさいました?」


 ふんわりと美味しそうな匂いが漂っていると廊下を見やると、シェリーが立っていた。ハンバーグセットを揃えたトレイを手にしている。


「…それは?」


 部屋の中へ入ってきて、シェリーはアランの目の前でトレイを上げて見せた。


「リーファ様に食堂へ行って頂くのは酷かと思い、お持ちしたのですけど。

 ………リーファ様、席を外しているのですか?」

「私が聞きたい。お前が見ていたのではないのか、シェリー」

「わたしも、そうリーファ様の為にお時間は割けませんの。ご存じでしょう?

 着替えをお手伝いして、城の見取り図をお渡しした後は、お見かけしておりません」

「…アラン?」


 名前を呼ばれてシェリーと共に扉の方を見やると、ヘルムートが立っていた。

 彼は手に持っていた書類の束をアランに押し付けて、不満そうに口を尖らせた。


「ほら、言われてた資料。見つかったよ。

 全く…リーファが気になるからって執務室抜けないでよね」


 不愉快な誤解に眉根を寄せて、アランは書類を受け取る。


「そんなんじゃない。

 …ところでリーファを見かけなかったか?」

「え?見てないよ。

 ………そういえば、今日は音も聞いてないなあ?」


 耳に手を添え、ヘルムートは体をゆっくり旋回して音を探っている。


 ヘルムートの”山彦の耳”なら、城内のあらゆる音を捉える事が出来る。

 リーファの声はヘルムートからしても独特なようで、物音でも立てようものならすぐに捕捉が出来るはずなのだが。


 不思議そうに首を傾げ、ヘルムートは頭を掻いた。


「おかしいな。城にいないみたいだけど」

「…あんな状態でどこに行くというのだ」

「僕に言われても知らないよ、そんな事。

 ………え?あんな状態って?」


 持っていたトレイをテーブルに降ろし、シェリーは状況を理解していないヘルムートに向き直る。


「そういえば、ヘルムート様は朝、外へ出ておりましたね。

 …実は、昨日の”ペーパーウェイト投擲事件”がきっかけで、リーファ様が今朝方から記憶喪失の状態になってしまわれまして」

「待てシェリー。勝手に事件にするな。それにまだそれが原因と決まった訳では」

「お黙り下さい。ほぼほぼ決まったようなものです。

 …それで何を血迷ったのか、陛下はリーファ様に対して『お前は大罪人で明日処刑だ』とのたまって怖がらせたのです。

 全く…何という外道」

「そして一言多い」


 王を王とも思わない発言にアランは突っ込みを入れるが、頬に手を当てて溜息をつくシェリーは素知らぬ顔だ。


 ヘルムートは頭が痛そうな表情でこめかみを撫で、アランに問いかけた。


「ごめん、理解があんまり追い付いていないんだけど…。

 つまりリーファは、記憶が全くない状態でアランの言葉を真に受けて、城を飛び出したって事?」


 アランとシェリーが顔を見合わせる。うつむいてしばらく考えこみ、アランがぼそっと呟いた。


「…そういう事に、なるのか?」

「いや、しかし、何故城下におひとりで?」


 アランとシェリーが本当に分からないでいる様に、ヘルムートは少なからずショックを受けたようだ。やや苛立たし気に告げる。


「だってそうだろう。

 自分は罪人で余命あと一日弱。鎖に繋がれている訳でもないこの状況で、彼女が取りそうな行動は?

 僕だったら隙を見計らって城を出るよ?おめおめと死ぬ理由はないもの」


 そう言われればと、アランも一応は納得する。


 記憶はないし脅されるしでは、少なくともこの城に留まる理由はない。シェリーから多少の働きかけはあっただろうが、気休めになったかすらも疑問だ。


「…しかし、どこへ逃げようというのだ。自分の名前も分からないのだ。

 恐らく自分の正体も気づくまい。家の在り処も分からないのではないか?」

「それに、城を出たのなら衛兵が気付くのでは?」


 ふむ、とヘルムートは唸って再び推理を開始する。

 少なくとも自身の”耳”に届いていないのは確かなのだろう。ヘルムートの”耳”について、『聞こえすぎてうんざりする』とはよく聞くが、『聞こえなくて困る』という話はアランも聞いた事がない。


「城から城下へ抜ける道は、正面の一ヶ所しかないけど…。

 ここの警備は入りのチェックは厳重だけど、出のチェックはざっくりだ。抜けられない事はないんじゃない?

 記憶がおぼろげにあれば、城下にいるかもしれないけど…。

 …アラン、どうするの?」


 話を振られ、アランは何とはなしに部屋をぐるっと見回す。


 女の身一つで城下の外に出られるとは、記憶がなくてもさすがに考えないだろう。夜になれば街道でも夜盗や獣の類は出るし、人気も少なくなる。処刑が嫌だからと、死を覚悟して城下外に出る事はないはずだ。


「…記憶障害は一時的なものなのだろう?

 その内正気を取り戻し、城へ戻ってくるのではないか?放っておいて問題はないだろう」

「…だと、いいけどね」

「わたしは不安ですわ…何事もないといいのですけど…」


 責任を感じて肩を落とすシェリーに、ヘルムートはなだめるように声をかけた。


「一応、城下門と、城下の外壁門の衛兵達には伝えておくよ。

『リーファを見つけたら、丁重に部屋まで連れ戻すように』って。それでいいだろう?」

「そう、ですわね…」


 開けっ放しのガラス戸から、心地よい風が入ってきた。その拍子に、奥の机に置いてあった一枚の封筒がはらりと床に落ちた。

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