第八章 つかまれた”なにか”

第1話 王様の無茶振り

「───リーファ」


 長雨の季節が過ぎ、ゆっくりと夏の暑さが迫ってくるような、そんな日の午後。


 いつも通り休憩時間に合わせて執務室へ赴き、いつも通り執務机に飲み物とお菓子を配していると、ラッフレナンド国王アラン=ラッフレナンドに呼び止められた。


「はい、アラン様」


 背筋を正してアランの方を向く。

 名前を呼ばれ、呼び返す事で背中がもぞもぞしてしまう感覚は、だいぶ慣れてきたような気がするが。


(出来ればやめてもらいたいんだけどなぁ…)


 目上の方から名前を覚えられる事は、大変な名誉ではある。

 しかし、王の御子を産む為だけで城にいる庶民のリーファにとっては、大変な重荷であった。

 逆に、一国の王を名前で呼ぶのは誰から見ても不敬な行いだ。

 その為、急にアランからどちらの許可も下りて、正直かなり困惑している。


「一ヶ月ほど前、南の国ヴィグリューズで新王が即位した」

「は、はい」


 ヴィグリューズはラッフレナンドの倍以上の国面積を誇る国だ。

 広い範囲で砂漠が広がっている国だが、地域によっては雨量が多く、一部の緑豊かな土地で人々が暮らしている。

 北方が海に面している為、水産業が発達しており、主要穀物は小麦。

 昨今は地下資源の重要性が指摘され、研究が進められてる。

 ───と、城の公文書館で見つけた本に載っていた。


「新王となった人物とは個人的に親交があったのだが、こちらが王になり側女を迎えたと手紙にしたため送ったところ、『お前のような唐変木とうへんぼくが見初めた女を見たい』と返事がきた」


 なんとも口の悪い王様だ。

 だが、このアランという王様の性格を思えば、そのくらい豪胆でないと親交には至らないのではないか、とも思う。


「そこでだ。

 こちらは、『そんなに気になるならば、そちらが自慢する美女をこちらに寄越せ。互いに見せあって、互いに気に入ったら交換しよう』と、返事をしていたのだ」

「ええ…」


 リーファが心底嫌そうに渋面じゅうめんを作ると、アランの顔に愉悦が満ちる。


「という訳で、明日。

 ヴィグリューズの新王が周辺各国に挨拶という名目で来るから、お前も立ち会うように」

「………あの、アラン様」


 おずおずと、顔の高さまで手を挙げて意見を述べようとしたが、


「行事が一通り終わったら立食パーティーを行うから、メイドと一緒に謁見の間に入れ。

 そこで私みずから、新王に紹介してやろう。光栄に思うがいい」


 どうやらアランは聞く耳を持たないようだ。


「あちらは褐色の巨乳美人が多いし、楽しみだなあ。

 お前もせいぜい頑張るといい。新王は側に女をたくさん抱えているが未だ未婚だ。

 楽しませる事が出来れば、妃の座も夢ではないぞ。───出来ればな」


 アランは優美に、しかし何か悪い意味で楽しむかのような眼差しでリーファを見上げる。


(私なんかが、王族の目に留まるなんてありえないのに…。

 恥を掻け、って事なのかな…)


 アランの無茶振りに、リーファは思わず溜息を吐いてしまった。


 リーファには、何の取り柄もない。

 容姿は庶民の中でも普通だと思っているし、せいぜい茜色の髪がこの近隣では珍しい程度だ。

 学生時代、勉強は中の下くらいだったし、運動はむしろ苦手な方だった。

 魔術だって、使えるものは護身術程度でしかない。ラッフレナンドなら目を引くかもしれないが、他国では鼻で嗤われるだろう。


 要は出来ない事を言っているのだ、アランは。

 あるいは、件の新王にアプローチをして玉砕し、話のネタを作って来いと言う事か。


 断りたい気持ちでいっぱいだが、ここで『無理です参加しません』とは言えない。

 リーファが御眼鏡に適わなかったとしても、相手の美女の事をアランが気に入るかもしれない。

 相変わらず縁談が決まる様子がないこの状況で、可能性の芽は潰せない。


「そう…ですね。アラン様の好みの女性に巡り合う機会は、逃してはいけません、よね。

 努力はしますけど、交換については、どうかあまり期待しないでおいてもらえると助かります」


 そう返事をしてみせると、アランは少しむっとした。何故だか拗ねて見える。


「?…何か?」

「…つまらん女だと思っただけだ」

「はあ…」


 元より面白い話をした訳ではないので、そう言われても困るのだが。


 話が終わったようなので、ワゴンに戻る。もう少しでヘルムートが戻ってくるはずなので、それまでは待機しないといけない。


 仏頂面でしばらくイチゴのショートケーキを頬張っていたアランだが、ふと閃いたらしい。

 執務机に肘を立てて口の端を歪め、リーファを睨みつけた。


「ああそうそう。先に行っておこう。

 私は他の者に股を開いた女など、触りたくもないからな。

 ここに留まりたいというのなら、せいぜい貞操だけは死守しておけ。

 新王は忙しい身だが、一晩はこちらに留まってもらう予定だ。

 その間、部屋に連れ込まれなければ良いがなぁ?」


(…ヘルムート様が『側女がいないと困るから』って言うから戻ってきたのに…。

 この仕打ちは何なんだろう…?)


 こちらをちらちら見ながら反応を待っているアランに顔を向け、リーファは、はあ、と返答するだけで精一杯だった。


 ◇◇◇


 城でイベント事がある日は、出来るだけ人目につかないよう、リーファは側女の部屋にいる事が多い。

 次の日となり、朝から城内で賑やかな催しが行われていたが、今回も例に漏れず、リーファは食事とトイレ以外は極力部屋にいた。


 あっという間に時間は過ぎ、日が傾き始めた頃になって二人のメイドが部屋を来てくれた。てきぱきと、リーファの身支度を整えてくれる。


 着させられたのは、黄色い袖付きのエンパイアラインという形のドレスだ。ハイウエストで直線的なラインのスカートで何とも可愛らしい。袖は薄手の布地を使っていて腕が少し透けて見える。


「胃がキリキリしてきた…」


 お腹が痛いのは、締められたコルセットの所為せいではないのだろう。リーファは眉間にしわを寄せ、悲鳴を上げているお腹をさする。


「そんな大げさな。ただのご挨拶じゃないですかぁ」


 サンドリーヌがクスクス笑う。レモンイエロー色の髪をかっちり巻いてツインテールにしている、ほんわかした雰囲気のメイドだ。


「実質初めてのパーティー参加ですもの。緊張する気持ちは分かりますよ」


 マルタが、リーファの短い髪に髪飾りを差しながらフォローしてくれる。こちらのメイドは銀糸に近い金髪で、ストレートの髪を編みこんでメイドキャップで丁寧にまとめている。


 ふたりとも、タイプは違えど甲乙つけがたいレベルの美女だ。特にキラキラ煌めいている金髪が良い。


「…なんで私なんでしょう」


 ぼそっと、リーファはぼやいた。


「ん?」と首を傾げるメイド二人の間で顔をそっと覆い、首を横に振る。


「私なんかじゃなくて、サンドリーヌさんとかマルタさんみたいな美人でいいと思うんですよぅ。

 私なんかが挨拶に行ったって、笑われるのが関の山でしょうし。

 ここには美人の女性がいっぱいいるんですから、もっと魅力的な方に代役頼めばいいと思うんです。

 玉の輿狙ってる人結構多いって聞いてますし。

 …別に御伽噺おとぎばなしよろしく、見初められる夢がないわけじゃないですケド…」


 小声ながら早口で愚痴をこぼすリーファを見下ろし、何か齟齬そごが生じていると思ったらしい。サンドリーヌとマルタが交互に訊ねてくる。


「あの…?」

「ただのご挨拶、ですよね?」


 ふたりの不思議な反応に、リーファは顔を上げた。何か、会話の行き違いが起こっている。


「それが…なんかあちらが美人の女性を連れてくるらしくて、お互い気に入ればじゃあ交換しましょう、って話になってるらしいんですよ…。

 陛下は『ついでにあちらで妃にしてもらえ』とか言ってるし…。あ、ダメだ。いがいたい。つらい」


 キリキリしてきたお腹をさすって顔を青くしているリーファの頭上で、ふたりのメイドが顔を見合わせた。


「それは…」

「おかしいですね」

「…ふぇ?」

「だって───」


 サンドリーヌが話してくれた衝撃の事実に、リーファは只々素っ頓狂すっとんきょうな声を上げる事しか出来なかった。

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