第7話 グリムリーパー王の居城へ

 体中を突き刺すような極寒に、アランの覚醒は否応なく訪れた。


 実際、それほど長い間眠っていたわけではないはずだった。

 不思議な瑠璃るり色の光のようなものが体を這った感触。

 舞った風で乱暴に開かれたガラス戸。

 早馬よりもずっと早い速さで空を突っ切り、ころころと変わっていく風景。

 途中、光に触れて吹っ飛んでいった青い鳥。

 そして、視界いっぱいに広がった白亜の山に飛び込んだ自分。

 何もかも、覚えている。


 そして今。目を見開き体を起こせば、そこは白銀の世界だった。

 斜めに降り落ちる猛烈な吹雪が、視界一切を遮る。

 かなりの強風は、標高が高いからだろうか。風景の所々で黒い地表が見えるが、木々や草花などは一切見られない。

 人はおろか、動物も魔物も生きる事が許されない、そんな土地なのだろう。


 無論、アラン本人も例外ではない。

 寒さを堪えてここで惰眠を貪っていれば、あっという間に凍死してしまうだろう。いや、雪に埋もれるなら窒息が先だろうか。


「陛下ー!!」


 馴染んだ声色も、この吹雪の音色に霞んですら聞こえた。

 振り返ると、リーファが雪に足を取られそうになりながらも慌てた様子で近づいてきた。


「目を覚ましたんですね。良かった…」

「これのどこが良いものか」


 当然の事を言われ、彼女がたじろいだ。申し訳無さそうな顔で、深々と頭を下げる。


「あ、う…すみません………巻き込みました…」

「謝る前に状況を説明しろ。何がどうなっている」

「は、はい。説明します。

 ですが、ここはとても寒いのでこちらに来て下さい。暖がとれる場所がありますので…」

「何…?」


 湧いた疑問は一瞬で瓦解した。

 リーファの背後に、黒塗りの巨大な建造物が鎮座していた。


 正面にあるのは無駄に大きい錆色の大扉。その左右に巨大な柱が居座っている。恐らく外壁なのだろうが、吹雪に隠れて頂上が見えないほどの高さだ。

 この土地に埋もれるように建てられているようで、この壁のすぐ手前には吹雪に埋もれた岩肌が見える。それ故、この建物はより一層違和感を際立たせていた。銀世界にありながら、まるで雪の白さを寄せ付けない建物。魔術の作用によるものなのか、門外漢のアランには分からない事だが。


「さあ、こちらへ」


 ───ぱしんっ


 差し出してきたリーファの手を払いのけ、アランは立ち上がる。

 体にまとわりつく雪を払いながら、アランは城壁へと歩き出した。


「こっちだな」

「は、はい」


 叩かれた手が痛かったのか、手をさすりながらリーファが慌てて追いかけてくる。

 歩幅の広いアランに小走りで追いつき、歩きながら彼女は説明を始めた。リャナという小娘に渡されていた金色の腕輪を見せてくる。


「この腕輪は”橋渡しの腕輪”という魔術のアクセサリーでして。

 宝石に目的地を設定しておく事で、瞬時にそちらまで飛ぶ事が出来る力があるんです。

 …瞬時っていうのは語弊がありますかね。歩いていくよりは遥かに早く飛んでいける、という話です。

 リャナはこの腕輪を私に持たせて、強引にグリムリーパーの城へ移動させたようでして。

 陛下も、この力に巻き込まれてしまったんです」


 アランは改めて状況を整理した。先に見た光景の全ては、夢でも幻でもなくただの現実で、アランはその現実に巻き込まれたという事だ。


『そんなに一緒にいたいなら一緒に行けばいいじゃん?』


 リャナという小娘が言っていた言葉がよぎった。リーファを押し付けられた事で術の被害を被ったわけだが、アランならば彼女を突き放す事が出来たはずだ。

 出来なかったのは、それを望んでいたからか。


(馬鹿な)


 即否定した。そんな事より、現実を見る事が先決だ。


「…では、ここが…」

「はい。グリムリーパーの王、ラダマス様の居城です」


 錆色の扉は二枚開きだが、巨人でもなければ開くことは出来ないだろう。もっとも、幽霊みたいな存在であるグリムリーパーに、扉を開けて入るなどという礼儀があるかどうかは不明だ。もしかしたら扉も飾りかもしれない。


 リーファは扉の横に設えた勝手口の方へと歩いていく。赤銅しゃくどうの扉を重たそうに引き開けて、アランを招いた。


「さあどうぞ」

「…待て」

「はい?」


 赤銅しゃくどうの扉の前で足を止めたアランを、リーファは不思議そうな表情で見つめ返している。


「以前お前は言っていたな。この城の主が、私の魂を欲していると」


 リーファは瞬時に顔を強張らせた。まさに今思い出したと言わんばかりだ。


「だ───大丈夫ですよ。きっと。

 あ、あの時私ちゃんと断りましたし、ラダマス様も乗り気じゃなさそうな感じでしたし。

 本当に必要なら、陛下はとうの昔に死んでるはずですから…きっと話もご破算に…」

「言い切れるか?」


 リーファは心底困った顔で目を逸らした。


 彼女を困らせる事は、アランにとってささやかな楽しみの一つではあるのだが、こんな切羽詰った状況でそんな余裕は全くない。


 腹を決めたのか、リーファは決然と言い放った。


「な…何かがあったら、死んで償います…!」

「お前の命ごときであがなえると思うな。

 ───だがここは寒いから仕方がない。

 お前の後をついて行ってやる。お前は死ぬ気で私を守れ。いいな」

「は、はい!」


 まるで頭の悪い新米兵士を激励している気分だ。眉間にしわを寄せ、アランは渋々扉を抜けた。

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