第3話 久しぶりの実家で・1
リーファの家は、城下の入り口の側にある一軒家だ。
かつては『城下の外側にある家は貧乏な家だ』と同級生から揶揄われたものだが、建物に貧乏と思わせる雰囲気はない。新築の家よりは落ち着いており、古民家よりは真新しい、まさにどこにでもあるような家と言える。
単身者向けの住まいとして作られているらしく、ダイニングキッチン、寝室、トイレ、薪焚きの浴室が揃っている。平屋だが屋根裏部屋があるので家族暮らしも可能で、 物置小屋も備わっている。
独りで住むには少々勿体ない物件、と言えなくもないのだが。
「──────」
久しぶりに帰ってきた我が家の惨状を目の当たりにして、リーファの顎が外れそうになった。
薬を届けに城に来てから、一度も家へ戻る事はなかったから仕方はないのだが。
「パンが!
トマトが!!
キャベツが!!!
ミルクが!!!!
卵がー!!!!!」
買い置きしておいた食べ物の殆どが、ここ五ヶ月でほぼ腐食していた。
腐った卵の異様な臭いが家中に漂い、窓を全開にしないと侵入も躊躇われるほどだ。
黒い半液状の物体と化した元食べ物達には、どこから入ったのかアリやハエやウジがたかっていて、その光景に吐き気がこみ上げてくる。
唯一腐っていないのはジャガイモだが、芽を出してすくすく成長し始めてしまっているので食用にはなりそうもない。
ふと思い出し、リーファは流し台の横に置かれた木箱の扉を開いた。
「買っておいたケーキが…!ショートケーキが…!」
名状しがたき何かに変わり果てたそれを見て、リーファはがっくりうな垂れた。ひざまずいた拍子に埃がばさっと広がる。
キッチンの酷い有様に打ちひしがれていると、同行していたアランが鼻と口をハンカチで押さえながら嫌そうに入ってきた。
「何をしている。必要な物を持ったらさっさと戻るぞ」
リーファはバッタのように飛び跳ねて、アランの胸倉を掴んだ。
「後生です!どうか掃除させて下さい!こんな状態でここから出られません!
どうか…どうか…!」
ぽろぽろと泣き崩れるリーファを見て、アランが改めて家の中を見回している。見れば見るほど、彼の眉間にしわが寄っていく。
寄ったしわをもみほぐしながら、珍しく悩ましげに唸り声を上げて、ぼそっと訊ねてきた。
「…まずどこから片付ける?」
「…は?そ、そうですね。とりあえず生ごみの処分を…って。
へ、陛下にそんな事させる訳には…!
掃除が終わったらお城へ戻りますから、どうか先に戻っていて下さい!」
「抜かせ、誰が手伝うなどと言った。どれほど時間がかかるかと聞いているのだ」
アランはダイニングキッチンにあった椅子をばたばた叩いて埃を落とし、そこに座ってふんぞり返った。
「待っててやる。さっさと済ませろ」
「え…でも。埃まみれになりますよ…?」
「埃を立てずにやれ」
「せ、せめて、馬車に戻ってて…」
「くどい」
そう言ったら、つんとそっぽを向いてしまった。こうなると、もう何を聞いても返事が来ない。
仕方なく、リーファはネジ巻き式の壁掛け時計を見た。が、すでに動力を失って久しく、止まったままだ。
おやつを食べてからすぐに来たから、今は大体午後四時過ぎか。
そう広い家でもないし、生ものさえ片付けば後はリーファの気持ち次第だから、そう時間はかからないだろうが。
「ゆ、夕餉の時間までには間に合わせます!」
そう宣言して、リーファはその足で奥の寝室へ入った。
キッチン同様に埃だらけのクローゼットからエプロンドレスを引っ張り出して着替え、窓という窓を開けていく。
勇気を振り絞って、ケーキだったものと、うじが湧いた食べ物という食べ物をずた袋に詰め込み、ダイニングキッチンの奥にあるトイレへ走って行って、袋の中身を全て廃棄した。
町の区画ごとに共同になっている井戸から水を汲んできて、キッチン周りを流して洗っていく。
「…おい、これはなんだ」
いつの間にかアランがさっきの木箱の側に立っていた。
箱の大きさはリーファの腰ほどの高さで、前面の取っ手を引けば扉が開ける。中は二つ程仕切りが入っていて、小さな物を収納しやすくなっている。
腰を下ろして興味津々な様子で箱を開け閉めしている彼に、リーファは手を休めず答えた。
「保冷庫ですよ」
「しかし、氷が入っていないではないか」
「風と水の魔力を注いだ石を入れて作ってあるんです。
魔力が切れてるんで、ただの箱になっちゃってますけどね」
「…あちら側の道具か」
目ざとく見つけたらしい。保冷庫の上に置いていたグラスホルダーを押しのけて、上面についている焼印の紋章に指を滑らせている。
その紋章が魔物製の製品である意味を知っているとは思えないが、リーファの出自を考えれば答えは自ずと出るという事だろうか。
「怒らないで下さいよ。湿気しにくいし日持ちもするんで便利で」
「没収」
「えー!いやちょ、持ってってどうするつもりですか?!使い道なんてないですって!」
アランは早速グラスホルダーを流し台に移し、保冷庫を乱暴に持ち上げようとしている。
両手が泡だらけのリーファは流し台から動けない。
「菓子が食いきれなかった時にしまえるだろう?」
「いつも完食してるじゃないですか!」
「そもそも、こんな物がこの城下にある事が問題なのだ。
時代が時代なら、魔女裁判で火あぶりものだ」
「そ、それは、そうかもしれませんけど…」
「ふん、他にもありそうだな。
さっさと片付けんと、家を中をどんどん暴いていってやるぞ」
「ひええ」
保冷庫の移動は一旦諦めたらしい。厭味と好奇心が混じったようないい笑顔で、アランはキッチン周りを探り始めた。
流し台を洗い落としたリーファは、アランの行き先を気にしながらも足元を見下ろした。花柄模様の廊下敷きをひっくり返し、床下収納の取っ手に手をかける。
予期せぬ来客が開けっ放しの玄関から顔を出したのは、そんな頃だった。
「おやリーファ、家に帰ってたのかい?」
「エリナ」
キッチン上の戸棚を粗探ししていたアランが反応する。
顔を上げて玄関を見ると、くるみ色の癖っ毛をポニーテールに結い上げた中年のおばさんが立っていた。城勤めをしていて、近所付き合いをしてくれてるエリナだ。
まさか一国の王がこんな所にいるとは思わなかったのだろう。アランを見るなりぎょっとした。
「陛下?何でまたこんなところに」
「野暮用だ。付いて来たくて来たのではない」
「はあ…そうですか」
機嫌悪そうにぼやくアランを見て、エリナはにやにやしながら相槌を返す。
「エリナさんいい所に!
これ!捨てちゃうんで!欲しいの、持って、行って、下さい!」
言いながら力を振り絞って床下収納を開き、中に入っていたガラス瓶を取り出す。
液体、固形、両方が混ざったものがいくつも出てくる。
スリッパラックからスリッパに履き替えて入ってきたエリナが、ガラス瓶を見て目を輝かせた。
「おやまあ果実酒じゃないかい。乾物も溜め込んでるねえ。
こっちはチーズのオイル漬けかい?なんでまた」
「次いつ帰ってこれるか分かりませんし。腐らせる方がもったいないですから。
…多分、まだ、食べれると思いますけど」
「じゃあ、ありがたく貰っていくよ。何か手伝えるかい?」
止まっているのについつい壁掛け時計を見てしまう。時間の目算は諦めて、リーファは愛想笑いを浮かべた。
「だ、大丈夫です…。夕飯の支度時だし、エリナさんも忙しいでしょうから…」
「アタシの事は気にしなくていいんだよ。
夜から入城するし、夕飯の支度は子供達に任せてあるからさ」
そう言って、エリナは一度玄関の方に戻っていく。
何事かと思って首を傾げていると。
「ビーチェさん、ブラジェナさん、ピエダドさん、ロルモーさんも!
ちょっと手伝ってよ!好きなもん持ってていいってさ!」
どうやらこの家が賑やかしいのを、近所の人たちが遠巻きに見ていたらしい。程無く、ぞろぞろと中年のおばさん達が家に入ってきた。
皆、近所に住んでいる顔なじみだ。気のいい人たちであると同時に、かなりの噂好きでもある。
「こんにちわー、お邪魔しまーす」
「あらー。リーファちゃんお久しぶりー」
「今までどこに行ってたのー?」
「あ、えと。お城で小間使いしてるんですけどね。なかなか帰ってこれなくて」
「あらやだ大出世じゃないかい」
「子供の頃からちょおっとのんびりさんだったリーファちゃんがねえ。
お母さんもきっと喜んでるよー」
「そうだといいですねー。
あ、そうだ。薬草もあるんで持っていって下さい。食べすぎに良く効くの、あるんですよ」
「あら、助かるわー。うちの子たち食べ盛りでねえ。食いすぎでしょっちゅう寝込んでるから」
「最近腰が痛くてねえ。効く薬ないかい?」
「湿布薬ならありますよ。後で出しておきますね」
「あらやだこれザワークラウトじゃないの?欲しかったのよねー」
「作ったの半年前ですから。まずかったら捨てて下さいね」
「こっちのラム酒漬けの中身は何ー?」
「確かクランベリーだったと思いますよ。ケーキ用に作ったので」
「あたしクランベリー駄目なのよねー」
「じゃあアタシにちょうだいよ」
「どうぞどうぞ」
「ねえねえ。この廊下敷き刺繍がきれいねえ」
「学校で教わったんですよー。作るの苦労したんですから。あげませんよ?」
「だよねー」
会話に花を咲かせながら彼女らは部屋の中を見て回って、ついでにたじろいでいるアランの顔もじろじろ見つつ、後々の戦利品を見て大喜びしている。
和気藹々している中、エリナは両手を叩いて彼女らの気を引く。
「さあさ、良いもんもらおうっていうのにタダで帰っちゃ女が廃るだろう?
ピエダドさんとブラジェナさんは埃を落として床を掃いておくれ。
ビーチェさんは窓拭き、ロルモーさんとアタシは洗濯だ。
皆でやりゃあ、一時間もかからないだろうさ。リーファ、掃除用具どこだい?」
「あ、そこのロッカーの中です」
「あいよ。あんたは必要な荷物を持っていく準備だけしな。
あとは…見られたくないもんとか、処分しときなよ」
「わ、分かりました。あの、屋根裏部屋は触らないでおいて下さい」
「だそうだよ。さあ!頼んだ!」
「「「「いえっさー!」」」」
「『イエスマム』だよ、こういう時は!」
指示を与えられれば反応は早い。ケラケラ笑いながらおばさん達はロッカーからはたきやほうきや雑巾を取り出し、思い思いに動き始める。
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