第9話 美しい淑女の正体

 アランは朝食を済ませ、気晴らしに城の外庭を散策していた。

 食堂に行けば、ヴェルナか側女と鉢合わせる事が多いのだが、今日はどちらの姿も見ていない。


 通りがかった演習場を遠巻きに眺める。そちらでは朝早くから兵士達が剣の稽古に励んでいる。

 掛け声に合わせて重り付きの木刀を振り下ろす様子に、自身が一兵卒だった頃の事を思い出した。


 ───王の子供として生まれても、貴族然と悠々自適に過ごしていられた訳ではない。

 他国はどうか知らないが、ラッフレナンドでは適性を見定められた瞬間、偽名を使い適した場所へ下っ端として放り込まれる。


 長兄ゲーアノートとアランは兵士、ヘルムートは役人が適しているとされた。

 末弟アロイスも、おいおいはどちらかの職に就く事になる。


 職に就けば、王子達は王族である事を忘れなければならない。

 自分よりもずっと身分の低い者達に付き従って、時に酔狂な真似すらしなければならない。


 そこまで苦労しても国王になれるとは限らず、また出自が明らかになれば無一文で国を追い出されると脅されていたから、後ろ盾のないアランは何とかついていこうと必死だった。


 まあ追い出される、というのは極端な話だ。

 大体が村の領主などに納まったり、他国との政略結婚などに利用されたりするらしい。


 王位継承者だった長兄が病で亡くなり、初めて王子の一人として認められて将軍職に就いた際、『王族などに生まれるものではないな』と、先王が笑いながら言っていたのが無性に腹が立ったものだ───


(ちっ…)


 稽古自体は嫌いではないが、あの頃の嫌な出来事をまざまざと思い出してしまう為、見ているのが苦手だ。


 アランは苦虫を噛み潰したような顔をして、早々にその場を後にした。


 ◇◇◇


 謁見の間へと続く廊下と役所フロアを横切る廊下の交わる十字路で、城門の方から誰かの足音が聞こえた。

 足音で人を見分ける術などないが、彼の音だけはよく分かる。ヘルムートだった。


「やあ、アラン」

「ヘルムート、今戻ったのか。随分早かったな」


 彼には、ヴェルナ=カイヤライネンの素性の調査を頼んでいたのだ。


 ガルバートまでの道のりは片道でも五日はかかる。

 馬で夜通し駆ければもう少し早く着くだろうが、調査など一朝一夕で終わるものではないから、もう少し時間が要るものと思っていたのだ。


 ヘルムートの疲労ぶりは目に見えて明らかだったが、半ば興奮した様子で休憩を挟むつもりはないようだ。


「ああ、さすがにガルバートまで往復はしんどかったよ。

 でも、出来るだけ早く知らせておきたかったからさ」

「…何か分かったのか」

「ああ、もうとんでもない事が分かったよ。

 歩きながらでも話したいんだけどさ、ちょっと込み入った話でね。

 …リーファは?」

「今日は見ていない。食堂にはいなかったから、恐らく部屋にいるはずだが」

「…ちょっと待って」


 アランを手で制して、ヘルムートが目を閉じて耳を澄ませる。

 幾ばくかして、彼の才である”山彦の耳”が、城内の数多くある声の中からヴェルナの声を捉えたようだ。


 ◇◇◇


 朝食を済ませてから行った方がいいのか悩んだが、こちらの物音を聞いているだろうし、部屋にいる事を見越して手紙を寄越してきたのだろう。

 すぐに来て欲しいという事かとそう解釈して、リーファは隣の部屋の扉を叩いた。


 ───コンコン


 程なく扉が開かれ、部屋の入り口でヴェルナの従者が恭しく頭を下げた。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」


 従者に促され久しぶりに入った側女の部屋は、自分が使っていた頃と家具に変化はないはずなのに、何だか居心地が悪い。空気の悪さに胸焼けを起こしそうだ。


(…そういえば、ヴェルナさんの付き人って何で男性なんだろう…?

 身の回りの世話をさせるなら、普通は女性よね…?)


 不意に思いついた疑問に、リーファは扉を閉めている従者を見やる。


 背は高く燕尾服を着こなした立ち振る舞いは執事らしさを感じさせるが、顎は細く見ようによっては女性にも見えなくもない。


(実は女性とか…?いや、でも声は男性っぽかったしなあ…)


 結局ただの妄想の域を出ない事に気付き、改めてリーファはヴェルナに向き直った。


 ヴェルナはソファで紅茶を嗜んでいた。彼女の微笑はとても柔らかいものだったが、ほんの少し翳りも見える。


「一度貴女と、ふたりきりで話をしたいと思っていましたの。リーファさん」

「…私に、どういった御用ですか?ヴェルナさん」

「立ち話もなんですから、どうぞおかけになって」


 促され、向かいのソファに腰をかける。

 すると、何故かヴェルナが席を立って、リーファのすぐ横に座り直してきた。


(ん?なんで?)


 まさか隣に座られるとは思わなかったので、彼女から少しだけ距離を置くようリーファも座り直す羽目になってしまう。


 いきなりな事に戸惑っていると、従者は気にした素振りも見せずにテーブルに紅茶を差し出した。


 従者が一礼して部屋を出て行くと、ヴェルナが細い手で紅茶を勧めてくる。


 小さく頷いて、紅茶を一口飲んだ。すきっ腹に熱く甘い香りが広がっていく。


 ソーサーにカップを置いた頃合になって、ヴェルナは口を開いた。


「貴女は、今の生活に満足されていますか?」

「…どういう、事ですか?」


 そういえば、部屋に初めてきたあの日以降、あまり顔を見なかったかもしれない。そう思い、まじまじとヴェルナを見つめてしまう。


 色白で、すっと通った鼻筋。穏やかそうでありながら蠱惑的な瞳。艶やかな金髪。ほんのり香る、甘い香水の香り。ドレスに隠れてはいるが、体型も女性らしくて色っぽい。


 王の妻として、これほど目を惹く女性はいないのだろう。才の力などなくても、十二分に魅力的な女性だ。


「わたくしは、貴女がとても素敵な女性だと思っているのです。

 可愛らしくて、料理もお上手、人を惹きつける魅力すら持ち合わせていらっしゃる。

 しかし、貴女は無理をしようとしていませんか?

 陛下の想いに応えようと、辛い仕打ちを胸に仕舞い込んでいませんか?」


 ヴェルナの手の平が、リーファの頬を優しく撫でる。彼女の目が、ほんの少し潤んでいるように見える。


「…私は陛下の側にいるに値しないと、そう言いたいんですか?」

「人には各々、相応の器量があります。

 しかし貴女に、陛下の全てを受け止められるのでしょうか。わたくしは不安でなりません」

「私の気持ちは私が決めます。ヴェルナさんに言われる筋合いはありませんよ?」

「皆そう言って目を逸らすのです。自分が受けている辛い思いを」


(これは…一体…?)


 彼女が何を言っているのか、リーファにはいまいち理解し兼ねた。いつもの候補者とは、まるで勝手が違いすぎたからだ。


 側女という立場上、当然嫌われていると思っていたし、ここに呼び出されたのも難癖つけて酷い仕打ちをするのではないかと、良からぬ期待もしていた。

 彼女の失態がアランの耳に届けば、対処をする口実が出来るからだ。


 しかし彼女の表情から読み取れるそれは、悲しみ、哀れみ、悲痛。そんなもののような気がする。

 これが演技であれば、芸達者な人だとも思えるが。


「わたくしは、貴女を救って差し上げる事ができるのです。貴女はもう苦しまなくても良いのです。

 わたくしが陛下のお側に参ります。貴女はどうか───」


 ───ガチャン!


 そこまで言われて、派手な音を立てて唐突に部屋の扉が開いた。


「そこまでにしてもらおうかな」


 扉を開けたのはヘルムートだった。後ろにアランもいるが、何故か顔が真っ青だ。


 外で控えていた従者が慌てて部屋へ入り、ふたりの前に立ちふさがる。


「お、お待ちください。

 王陛下ご自身の王城とは言え、レディ達の歓談中にノックもなしに入るのは些か失礼ではありませんか」

「僕もね。レディだったらちょっとは遠慮してみせるんだけどさ。ねえ」


 ヘルムートはにやりと意地の悪い笑みを見せ、従者の先の人物を呼ぶ。


「───ヴェルナ=カイヤライネン”男爵令息”」


 リーファが目を瞬いた。

 目の前にいる人物は、見目麗しい女性のように見えるのに。


「男の、人…?」


 ヴェルナは怯えに唇を震わせて、ヘルムートを見上げた。


「何故…?」

「戸籍上は二十五年前、カイヤライネン男爵の下に女児が誕生、となってはいたけどね。

 でも、当時を知る助産師に話を聞く事が出来たんだ。生まれたのは、男児だったんだってね。

 …さあ、事情を説明してもらえるよね?」


 間に挟まれていた従者が、狼狽した様子でヴェルナを見下ろす。


「ヴェルナ様…」


 ヴェルナは額に手を当て、大きく溜息を吐いて従者に告げた。


「エディー、席を外して下さい。

 ───皆さんに、お話を致します」

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