第8話 ”リリスの瞳”妨害作戦

「陛下ー!」


 日が西の空に傾き始めた頃の執務室に、ノックもしないでリーファは飛び込んだ。左手には銀のクロッシュをかぶせた皿が乗せられている。


 アランは執務机に書類をほったらかしたまま椅子に座って、その膝にヴェルナをはべらせていた。

 光景だけなら普段のアランとリーファのようだが、ヴェルナは背が高いので色々とアンバランスに見える。


 テンションの高さに呆気に取られているアランとヴェルナの側に、リーファは近づいた。


「そろそろおやつにしませんか?

 今日は私が腕によりをかけてアップルパイを作ってきましたー!」


 意気揚々とクロッシュを開け、小ぶりのアップルパイをお披露目する。開けた途端、リンゴとパイの香ばしく焼けた匂いがふわっと広がって行く。


 菓子を目で追いながら、怪訝そうにアランは訊ねてきた。


「…どういう風の吹き回しだ?」

「私も陛下の側女ですもの。陛下の為に色々お手伝いをさせて下さいませ」


 と言いながら、出来るだけヴェルナに気付かれないようにアランの足を蹴る。


 アランはそれでようやく気が付いたらしい。ヴェルナにほだされていた自分が我に返った事に。


「………そうか、ご苦労だったな」

「陛下のお口に合うように、カスタードクリーム入りにしてみました。

 ヴェルナさんの分もありますよ♪」


 満面の笑顔でヴェルナを見ると、何故か彼女は青ざめてアランとリーファを交互に見てきた。何とか笑顔を取り繕っている、という風だ。


「い、いえ。わたくし、甘いものは苦手で…。

 そういえば、用事がございましたの。申し訳ありませんが、一旦失礼致しますわ」


 ヴェルナはそう告げて、アランの肩に手を置いて膝の上から降りていた。

 どこか余裕のない表情を浮かべたヴェルナは、アランとリーファにそれぞれお辞儀をしてみせ、呼び止める暇もなく執務室を出て行ってしまった。


 彼女を見送って、リーファはきょとんと皿を見下ろす。


「…甘いものが苦手なんて、女性にしては珍しいですね」

「気付いたのだろう。自分の力が及ばない者が現れたという事に」


 淹れてから一度も口をつけていなかったらしいミルク入りのコーヒーを飲んで、アランが渋い顔をしている。


 何かやらかしてしまったような気がして、リーファは口元に手を置いて訊ねた。


「…もしかして、先走りました?私」

「ああ。…だが、どの道分かる事だ。放っておけ」

「はあ…。あ、アップルパイ、余ってしまいましたね。どうします?」

「食べていけ。私一人じゃ食い切れん」

「はい。相伴、失礼します。今お茶、淹れますね」


 そう言ってリーファは一度部屋を出ると、廊下に置いてあったティーセット一式を揃えたワゴンを押して入り直した。


 アップルパイは既に四等分に切り分けてある。

 アランとリーファの分を小皿に移しフォークを添え、ソファに移動したアランの目の前のテーブルに差し出した。残った二つはクロッシュを被せワゴンに残しておく。


 紅茶の色が染まるのを待っているリーファに、アランは早速アップルパイを頬張りながら訊ねてきた。


「それで?結局何の才だったのだ」

「はい。”リリスの瞳”という、人を魅了する瞳の才だそうです」

「瞳か…なら、目を潰せば効果は現れないな」


 真顔でそう言い切ったアランに、リーファは苦笑いした。


「へ、陛下、顔が怖いんですが…」

「正気を保っていられたのが一体いつからだと思っている。

 今朝方、朝食を取る直前だ」

「わあ…それから今までずっと、意識が飛んだままだったんですか。

 それは深刻ですね………」


 淹れた紅茶をアランに差し出す。シュガーポットをアランのすぐ側に置いておき、向かいのソファにリーファも腰掛けた。


 アランが紅茶に角砂糖を何個も投入してかき混ぜ一口含み、大きく溜息を吐いた。


「それで、さっきのは何だったのだ。何故突然意識が覚醒した?」

「私の才なら、ヴェルナさんの才を打ち消せるんじゃないかと、爺様が」

「…他に方法はないのか」

「ない事もないみたいですが、材料をそろえるのは骨が折れるみたいで…。

 ───陛下?」


 アップルパイを食べながら顔を上げると、アランがフォークを止め窓の外を物憂げに見ていた。


「どう思う」

「?」

「ヴェルナの瞳に心奪われる事と、お前の声に心揺さぶられる事、一体どれほどの差があるのか」

「私は陛下を縛り付けたりしませんよ?

 嫌なら、どうぞ追い出すなり喉を潰すなりして下さいね」


 間髪入れずに返って来た答えに、アランはリーファの方を向いて満足げに口の端を吊り上げた。


「…そうだな。お前はそういう女だったな」


 どこか小馬鹿にしたアランの物言いに、リーファは眉をひそめた。


(そういう女って…どういう女なんだろ?)


 リーファも紅茶に角砂糖を一つだけ入れ、カップの内をかき混ぜながらリーファなりの意見を述べた。


「私にとっては、ヴェルナさんが居ようが居まいがどちらでもいいんです。

 ただ、陛下とヘルムート様が好ましくないと考えているみたいなので、付き合っているだけですよ」

「国の為、か。大した愛国心だ」


 卑屈っぽくぼやくアランに、紅茶を飲もうとしていたリーファの目が瞬いた。


 確かに国が傾く事を心配はしていたのだから”愛国心”という言葉は正しいのかもしれないが、リーファ自身にその自覚は全くない。


「国…って、そこまで高尚なモノじゃないと思いますけど。

 ああ、うん…どっちかというと、親切心?」

「私に親切した所で何も出ないぞ」

「何でもいいじゃないですか。

 じゃあこの間発動体を買って貰って、今更ながらに『高いものをねだっちゃったな』って思ってるって言えばいいですか?」


 発動体というのは、先日やったゲームの賞品として買ってもらったルビーの装飾具の事だ。

 涙を模し周囲に小さな宝石を散りばめたもので、かねてより『お金が貯まったら買いたいな』と考えていたものだ。

 アランから貰う事が出来たのは嬉しかったのだが、魔術の発動体として使う機会が今の所なく、セルリアンブルーの宝石箱を見る度に『過ぎた物を貰ってしまったかも…』と申し訳なく思う日々が続いていた。


「それほど高いものでもなかっただろうが」


 しかし王族からしたら大したものではないらしい。

 分かり切っていた事だが、金銭感覚にこうも差があると何だかもやもやしてしまう。


「一年以上コツコツ貯金しないと買えない額なんですよ。庶民は」

「…不憫なものだな、庶民は」

「その想いは、どうぞ他の庶民に返してあげて下さいね。

 …それで、この後はどうするんですか?私もずっと、陛下の側にはいられませんよ?」


 ぺろっとアップルパイを平らげたアランが、不思議な物を見るような目でリーファを見やった。


「何を言っている。側にいればいいではないか」

「え、でも…あの」


 アランの言に戸惑いを見せていると、彼は側女の在り方を説いてくる。


「お前は私の側女だ。側にいて何が悪い。他の女を気にする必要がどこにある。

 そもそも側女とは、王の寵愛を得る為にどんな汚い手段を取っても他の女を蹴落とす女だ」

「け、蹴落とす…ですか」


 ”目は口ほどに物を言う”という言葉があるが、今のアランはまさにそれが当てはまった。

 口元は機嫌が悪そうにへの字に歪めているが、その双眸はとても輝いて見える。

 あれは新しい玩具を見つけた時の、子供の目だ。


「お前はもっと積極的に来るべきだ。

 残念顔だろうが色気が無かろうが胸がまな板だろうが、男を落とす術など幾らでもある。

 シェリーに相談してみろ。喜んで動くはずだ」

「はあ…」


 曖昧な返事を返している内に、リーファのアップルパイの小皿がアランの手の平に納まっている事に気がついた。


 ◇◇◇


 ───それからというもの、リーファはアランに何かある度について回った。


 朝早く挨拶に行き、食事や入浴を共にし、菓子を作って執務室を訪れ、他愛ない話に花を咲かせた。

 南方の町で流行っているらしい踊り子の服を着て、アランにしな垂れかかったりもしてみせた。


 ヴェルナに関わる催事にも積極的に関わり、城内の案内はアランのサポートにも回ってみた。

 さすがに引見中に乱入した際は、シェリーに叱られてしまったが。


 それでも努力の甲斐あって、アランは勿論の事、城内の者達が惚ける光景は大分減っているようだった。


 だが、普段大人しくしているリーファが露骨に動き回るようになった為、

『今まで動かなかった側女殿が、珍しく焼き餅を焼いておられる。ヴェルナ様はそれ程の方なのだ』

 と、ヴェルナの魅了が解けてもそう評価する者はいると聞く。


 一方ヴェルナは、リーファによってアランへの接近が阻まれている為、面白くはないようだ。

 リーファが視界に入るとそそくさを逃げて行ってしまうので、今の所面と向かって話す機会はない。


 だが、何日か経つとアランが調子に乗り出し、


「バニースーツを着て給仕に来い」


 とか、


「夜はシースルーのネグリジェで。

 私はヴェルナの部屋へ行くから、お前はすぐに入ってきて私を連れ戻せ」


 とか、


「東方では花魁浴衣なるものが流行っているらしい…。

 言いたい事は、分かるな?」


 とか、非常に面倒な事を言い始めた為、さすがのリーファもうんざりしていた。


 ◇◇◇


 そしてヴェルナが来城してから八日程が経ったある日。


 朝、リーファが部屋で着替えをしていると、扉の下の隙間から一通の手紙が滑り込んできた。


 女性らしい達筆な字で、ただ一文。

 何とはなしに、リーファは文面を読み上げていた。


「『ふたりきりでお話がしたいので、どうぞ部屋へ───ヴェルナ』」

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