第四章 藍色のジェラシー

第1話 偏屈な王の異変

 ラッフレナンド城内が慌ただしくなっていくのを肌で感じる。

 どこか遠くで、歓呼の声や喚声が聞こえてくる。

 何度行われても、こういう事に慣れる事はないのだろう。

 冬の季節に春風を求めるように、孤独な王に良き伴侶あれと、この城にいる者なら誰もが思う事だ。


 そう、今日はアランのお見合いの日だった。


(今頃、正妃候補の人と会ってる頃かな…)


 リーファはベッドに寝そべり、外の賑やかさで想像を働かせる。


 以前のリーファだったら、アランの見合い相手がどんな女性なのかどきどきしながら見に行っていただろう。

 見に行きたい気持ちはあるのだが、今回ばかりは側女の部屋でのんびりする事にした。


 というのも、ここに来てからアランの見合い話は七件を超え、『金髪女は苦手』『足が太い』『胸が小さい』『性格が気に食わない』『家柄が嫌』などのどうでもいい理由で破談となっていたのだ。

 その度に側女というだけで、見合い相手の女性に睨まれたり罵倒されたりしていた為、さすがのリーファもちょっとだけ堪えていた。


 だから、たまには部屋を出ないで事の成り行きを人伝いに聞いてみようかな、と思った訳だ。

 だが、今回は少々勝手が違うらしい。


「リーファ!大変───だ、って…何してるの?」


 ここの男性陣はノックもせずに入ってくる事が多い。

 ヘルムートもまた例に漏れず、いきなり部屋に飛び込んできた。

 珍しいのは、いつもにこにこ笑顔なのに今日は血相変えてきている事だ。


「…何かあったんですか?」

「僕が聞きたいんだけど」


 ヘルムートに呆れられて、リーファはげんなりした顔を彼に向けた。

 ベッドの上のリーファは、寝巻き姿のままロープでぐるぐる巻きにされていたのだ。


 首にかかったロープは足首に繋がっていてえびぞり状態で仰け反っている。

 首とロープの間には手を差し込んでいるから窒息の心配はないが、かと言ってえびぞり状態から抜け出せる訳ではない。


 ぐったりしたリーファの体から抜け出たグリムリーパーは、半べそをかきながら体に絡まるロープを解いていた。

 幾つか解く事は出来たが、肝心の首に繋がるロープはかなり複雑に結わえているようでなかなか解けずにいた。


 扉を閉めてベッドに近づいてくるヘルムートに、リーファは項垂れて答えた。


「陛下にやられましたー…」

「…ナイフで切れば?」

「『切ったらどうなるか分かっているな?』って脅されてます…」


 アランの子供っぽい悪戯に、ヘルムートも呆れている。溜息を吐き、赤紅色のベストの内側に忍ばせていた護身用の短剣を引き抜いた。


「いいよ。僕が助けたという事にしておこう。

 どの道、今のアランはそれどころじゃないんだし」

「はあ…?」


 怪訝な顔をしているリーファの横で、ヘルムートが体を縛るロープを切り落としていく。


 ロープを外しきってようやく、リーファは人間の体へと戻っていった。

 人間のリーファの目がぱちりと開くが、体はえびぞりのままベッドに転がったままだ。無理に正そうとすると激痛が走る。


「か…固まりましたぁ…」

「…まあ、ゆっくり体を戻してくれていいよ」

「ありがとうございます………いてて………。

 そ、それで、何かあったんですか…?」

「ああ、そうだったんだ。

 一大事なんだよ。アランの正妃が決まりそうなんだ!」

「わあ、すごい」


 抑揚のないリーファの相槌に、ヘルムートはちょっと面白くなさそうに唇を尖らせた。


「…あんまり感動がないね」

「いや、同じ言葉を前々回も聞いた気がしたので」

「そんなもんじゃないんだ。いいから来て、見れば分かる」

「…?」


 珍しい事をすると、珍しい事があるものなんだろうか。

 そんな事を思いながら、リーファは悲鳴を上げる体を無理矢理起こした。


 ◇◇◇


 着替えをすませて移動した先は、2階北側に二ヶ所ある階段だった。

 ここは謁見の間の玉座に繋がっている階段で、本来ならば王であるアランと一部の者しか立ち入りが許されていない。


 階段を見張る衛兵に頭を下げ、リーファとヘルムートは階段の影に隠れながら音を立てずに降りていく。


 踊り場からそっと見下ろすと、玉座に座るアランが膝の上に女性をはべらせているのが見えた。

 アランの顔は今までに見た事もない程惚けていて、とても幸せそうだ。


 二十歳代だろうか。赤みがかった金色の髪が美しく、長身でグラマラスな体型を赤いドレスで隠した蠱惑的な美女だった。


 声が響かないよう口元を押さえ、リーファは後ろにいるヘルムートに声をかけた。


「あの方、ですか?ええと、ヴェルナ=ハーパライネンさん、でしたっけ?」

「旧姓に戻ったからカイヤライネン、かな。

 四ヶ月前ハーパライネン卿が亡くなって、実家のガルバートに戻ったそうだから」

「何ですか?あの陛下のくたびれた顔」

「だろう?僕も気になってたんだ。広間の方も見てよ」


 促され、玉座のふたりに気取られないようワインレッドの緞帳を押しのけて広間の方を見下ろす。

 十人程いるのだろうか、何やら賑やかだ。


「ああ、ヴェルナ様はなんと美しい方なのだ」

「全くだ。まるで荒野に咲く一輪のバラのよう…」

「王陛下と並ばれると、まさに美男美女!」

「正妃様に相応しい、品のある女性ですわ…」


 近衛兵・大臣・役人や、ちょうど来ていた貴族方が、こぞってヴェルナを賞賛している。

 いつも穏やかで感情を顔に出さないメイド長のシェリーまでも、頬を赤らめて目を潤ませている。


 露骨に嫌な顔をして、リーファはこそっと階段を上がる。やはり似たような顔をしているヘルムートの側に戻る。


「何か、ちょっと、気持ち悪い光景ですね」

「彼女が来てから、急に騒ぎ立ててね。こんなのは初めてだよ。

 確かに美人だけど…シェリーまであんな状態だし。一体何が───」

「ああ、ヴェルナ。貴女はなんて罪作りな人だ」


 色気すら含んだ声が耳に入り、リーファが総毛立つ。

 再び見下ろすと、アランがヴェルナの手の甲に口付けて、頬すら赤らめて見つめている。


「一目見た時から、貴女の姿は私を捕らえて離さない。

 どうやら私は、貴女と言う檻に捕らわれてしまったようだ」

「まあ陛下…素敵な事を仰るのですね。でもそれは本当に本心でしょうか?

 檻に捕らわれてしまうのは、わたくしの方ではありませんの?」

「そんな冷たい事を言わないでくれないか。

 どうすれば、この思いは貴女に伝わるのか、教えてくれ」

「わたくしを想ってそう仰るのなら、どうかそのまま、わたくしの事をお側において下さいませ。

 陛下と触れ合う時が長ければ長い程、わたくし達の絆はより強くなる事でしょう」

「ああ、ヴェルナ」

「陛下…」


 などと甘い言葉を語らいながら寄り添っている。

 広間の方の人間も、ふたりの仲睦まじさを誉めそやす。


(うわ…っ)


 聞いた事もない声音で聞いた事もない殺し文句を囁いているアランを見て、リーファの気持ちがざわめいた。手先を見ると、ぽつぽつと蕁麻疹が出てきている。


 同じ感情を共有しているのだろうか。ヘルムートを見ると、顔が真っ青で脂汗がこぼれていた。


 どうやら本能が危険を察知したようだ。

 喉がひっくり返ったような珍妙な声音で、ヘルムートに訊ねた。


「と、とりあえず部屋まで戻りましょうか…?」

「そ、そうだね」


 リーファの意見にヘルムートも賛同してくれて、ふたりは逃げるようにその場を後にしたのだった。

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