第7話 その姿を聖女と重ねて

 提供された食事は美味しかったが、あまり喉には通らなかった。

 その後、大浴場で湯は使わせて貰う事は出来たから、心の慰めにはなったが。

 パジャマ姿で宛がわれた部屋へ戻ってくると、もう何もする気が起きず、リーファは早々に床についた。


 城の西側にある貴賓室らしき部屋は、調度品は最高級のものばかりで、寝ているベッドは天蓋つきで装飾も美しい。布団はふかふかで、体が大きく沈む。


(ねむれない…)


 居心地はいいのかもしれない。が、リーファは何だか寝付けずにいた。


 明日になったら、どうなるのだろうか。

 生かされるのか、殺されるのか。


(殺されるのは…嫌…!)


 言うまでもない事だ。

 痛いのも苦しいのも嫌だし、痛くも苦しくもなくても、自分の生が終わってしまうだなんて考えたくもない。


 以前父は、『グリムリーパーのハーフは、肉体が死んでもグリムリーパーとして生きていける…事もあるらしい』なんて言っていたが、さすがに試したいとは思わない。

 死刑宣告でもされたら、何とか全力で逃げる事を考えないといけないだろう。


(でも、生かされる事なんて、あるの…?)


 もしお咎めなく明日外に出されたとして、何事もなく生きていけるのか。

 診療所に通って仕事をして、給料を貰って欲しいものを買って、家でのんびり過ごす。

 それが果たして可能なのか。


 あれだけの事を言ったのだ。今までの暮らしがどれほど戻るのか、見当がつかない。

 想像だけがぐるぐると巡って、肩の力が抜けていかない。部屋の、城全体の空気が酷く重い。


(…いっその事、ここから逃げ出した方が───)


 ───かちゃん


 ベランダに続くガラス戸を眺めて一つの案が頭を駆け抜けた時、部屋の扉が静かに開く音がした。


「──────」


 急に空気が張り詰める。

 心臓がバクバクする。

 落ち着こうと無意識に深呼吸を繰り返す。

 ブーツの足音はまっすぐベッドの方へ近づいてくる。

 背中を向けているので、相手の姿は分からない。


(まさか、ここで───?)


 ついに殺されるのだろうか。剣で胸をぶすりと。

 もしくは斧で首を一思いに。もしくは毒殺か。

 ベッドが汚れてしまうけど、それはいいのか。

 というか、『明日』と言っていたあれはなんだったのか。

 国の王子が嘘をついていいのか。


 動けぬまま思考を巡らしていると、ベッドの縁に相手が座る。ベッド越しに、相手の重みが伝わる。

 そして。


 リーファの頭に、大きな手が乗ってきた。

 わしわしと、髪が乱暴にかき乱される。


「………………………」

「………………………」


 リーファは、固まって動けない。

 相手は、髪をかき回し続けている。


 しばらくそんな状態が続いたが、根が尽きたのか相手が先に口を開いた。


「私に嘘は通じない。知っているはずだな?」


 アランの声だった。


 狸寝入りを決め込もうかと一瞬考えたが、リーファは諦めてバツが悪そうに体を起こした。


「すっ…すみません………こういう時どうしたらいいか分からなくて」

「酷い頭だな」

「だ、誰がしたと思ってるんですかっ」


 すっかりぐしゃぐしゃになった髪を解き、手櫛で戻す。

 照明が消された暗い室内で、手さぐりで崩れた三つ編みおさげを結いなおしながら、アランに訊ねる。


「…その、それで、何か御用でしょうか…?」

「用がなければ来てはいけないのか。ここは私の城だ」


 暗くて顔はよく見えないが、とても不満そうな物言いだ。


(部屋を用意するように言ったのは殿下よね…?)


 一般庶民且つ犯罪者以下なリーファを待機させるには、あまりにも豪華な部屋だと思ったが、もしかしたらあのヘルムートという従者と考えの相違があったのかもしれない。

 だとしたら完全な八つ当たりだが、逆らうのは得策ではなさそうだ。


「そ、そうですね………で、では、どうぞ、おくつろぎください…」

「言われるまでもない」


 尊大に応えると、それからしばらく沈黙が続いた。


 アランはリーファをじっと見下ろしていて、リーファは居心地悪く下を見ながらおさげを結い上げる。


(殺しに来た訳じゃなさそうだけど………何か話したらいいのかな…?

 お茶?お茶用意する?

 あ、でも、キッチンなんてどこにあるか分かんないし…)


 結局何も出来そうになくて落ち込んでいると、ぼそりとアランが呟いた。


「あの絵を知っているか?」


 顎で指し示したのは、ベッドの反対側の壁を大きく陣取った絵画だった。

 今は薄暗くてよく見えないが、灯りがついている時に良く見ていたから覚えている。


 おおよそ貴賓室に似つかわしくない絵だ。

 戦場で多くの旗が立っている。

 遠くの城は煙を帯び、手前の草原には夥しい戦士達が倒れ伏している。

 そんな中、左手前にいる一人の女戦士。

 紅い長髪と青色の甲冑に身を包んだ彼女は、剣を片手に戦士達を鼓舞し戦いを勝利に導こうとしている。


 ◇◇◇


 このラッフレナンドには、建国にまつわる伝説がある。


 かつてこの周辺を支配していたのは、魔術師達だった。

 魔術師達は、このラルジュ湖に魔術師の為の王国を作り上げ、魔術の才能が無い者達を虐げていった。


 荒廃していく国を憂えた青年の前に、突如一人の女戦士が現れる。

 女戦士は青年に、不思議な剣と魔術師を打倒する知恵を授けた。


 青年は女戦士と共に人を集め、王国を襲撃。

 苦闘の末、魔術師達の王を殺害。革命は成功した。


 青年は新たな時代の王に、女戦士は聖女と呼ばれ、ラッフレナンドという国が誕生した。


 ◇◇◇


「”死の道を舞う乙女”………でしたか?

 ラッフレナンド建国に貢献した女性をモチーフにした…」


 学生時代に美術の授業で紹介されていた絵画の名を答えると、アランは静かに頷いた。


「その後、彼女は魔女と恐れられ、裁判にかけられ死罪となった」

「何十年か前に聖女認定の裁判があったそうですね。

 …何百年も経って今更?って思いましたが…」

「信奉する者が多すぎたのだ。

 彼女の存在を王が認め、正当なものにしておけば、国の平定もしやすくなる」

「生かされたり殺されたり崇められたり…どう転がっても、国の玩具になっちゃうんですね」

「彼女も、出しゃばらなければ生きていられたやもしれんがな」


 一瞬、リーファの息が詰まる。

 何で絵の話を急にするのかと思ったら、そういう事か、と気付かされた。


「…あの、殿下」

「なんだ」

「私は、あの女性ではないですよ?

 確かに見た目はグリムリーパーの私っぽいし、出しゃばったりとかしたかもしれないですけど」

「知っている」

「で、ですよね?」

「だが」

「だ、だが?」

「お前が来た時、お前になら殺されてもいいと思った」


 思わぬ言葉に、リーファの瑪瑙色の瞳が瞬く。


「───何故、ですか?」


 暗い闇の中、絵を眺めるアランは物憂げだ。絵を見つめながら、更にその向こうを見ているような。

 王子という立場なら、ラッフレナンドという国の歴史のようなものを見ているのかもしれない。


「あの時は、彼女が化けて出たのだと思っていた。

 王族に散々弄ばれた女の怨念が末裔を滅ぼす。

 これは因果なのだと。殺されるべきなのだと。

 そう思っていた、が───」

「にっ!?」


 アランは不意にリーファの頬を鷲づかみにして、目一杯引っ張った。

 痛みに顔をしかめていると、アランが顔を近づけてきた。

 暗がりの中でもはっきり分かる、端正だが意地悪な笑みだった。


「フタを開ければなんて事はない。

 こんな、気品も度胸も色気もない小娘だ。これが笑わずにいられるか」

「いい、いたい、れす」

「当たり前だ。痛くしている」

「ふにぃいいいぃぃ~」


 悲鳴を上げ痛みに涙目になってきた頃合になって、アランはその手を離した。

 頬を押さえているリーファを余所に、再び例の絵画を見やる。


「思えば、私が恨まれる謂れなど微塵もない訳だ。

 そう思えば、今まで考えていた事が馬鹿らしくてな。

 お前には感謝せねばなるまい。

 そう思って来たのだが…何か、言う事があるか?」


 痛みがじんわりと広がっている頬をさすりつつ、リーファは自分でも何だかよく分からない相槌を打った。


「うう…お役に立てて何よりです…」

「そうだな。それでいい」


 しおらしくしているリーファを見下ろし、満足そうにアランは頷いた。


 こんこん、かちゃ


 唐突に部屋の扉が叩かれ、返事をする間もなく扉が開かれた。


「アラン、いるね?」


 廊下の照明で逆光になってはいるが、どうやらアランの従者のヘルムートのようだ。

 温和そうな雰囲気に見える彼だが、声からはやや焦りが感じられる。


(…何で殿下がここにいるって分かったんだろう…?)


 不意に湧いた疑問に首を傾げた。

 部屋の外から声が漏れていたのか、それともここにアランが出入りする事が多いのか。


「ヘルムートか、何か用か」

「地下の様子がおかしいんだ。医師達が騒いでる。

 何が起こったか、よく分からないんだけど…」

「分かった。今行く。

 …リーファとか言ったな。お前もついてこい」

「───へ?は、はい」


 あちらの事情は分からないが、リーファには覚えのある嫌な予感がしていた。

 毛布の上に広げていたガウンを引っ掛け、リーファはアラン達の後を追いかけた。

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