正人との出会い-4

 保志は、窓際のテーブルで一心不乱に文字を書いている、正人の姿を思い出した。


***


 リフォームをするのなら、家に似合う家具も揃えてして欲しい。


 そういう要望がたまにあった。そんなことを言うのは大抵金持ちで、質の良い家具を要望する。良い家具屋を探していると、亜麻を栽培している農家が知人の家具屋を紹介してくれた。その家具屋は亜麻の油で家具の塗料を作っているのだという。


 旭川の永山家具は、職人が手作りする家具を販売する会社だった。立派な髭の社長は皆から親しみを込めて「髭親父」と呼ばれていた。年に数回の取引だが、髭親父とは気が合い、会えば酒を酌み交わす仲になった。


 ある日髭親父を訪ねると、驚くほど憔悴しきっていた。理由を聞くと、一人娘が自殺をし、孫を引き取ったのだという。娘の事は心配していたが、本人が「元気だから大丈夫」だと言い張り、様子を見るため訪ねようとするのを頑なに拒んでいたそうだ。蓋を開けてみると娘の鬱病は重症化していた。それにも関わらず学者である夫は研究と称してアメリカに行ったきり帰ってこなかった。


 「あの子が、引き取った孫だよ。」


 社員食堂の窓際の席で、そいつは一心不乱にノートに文字を書いていた。髭親父の口ぶりから小さな子供を想像していたが、孫は立派な青年だった。端正な顔立ちをしていたが、過度に集中する姿は奇異に映った。


 「なんか、勉強してんの?」

 思わず問いかけると、髭親父は苦笑した。


 「ここ数日の会話を全て書き出して、敬語に変換しているんだよ。」

 「何のために?」

 「正人は敬語を上手く使えなくて、先輩から生意気だと怒られたらしい。今日から全ての言葉を敬語に換えるため、頭に叩き込んでいる最中なのさ。」


 「はあ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。この子は、ちょっと足らんのかも知れない。気の毒に。


 「正人は、去年の秋まで東大の物理工学部に籍を置いていたんだよ。」


 心の声を見透かしたように髭親父が言った。しかし、その声には誇らしさのかけらも無かった。


 「素晴しい知能指数を持ってはいるが、生きていくための術は全く身につけていない。敬語という概念は理解し、敬語の語彙も知識としてある。だけどそれを、どのような人に対してどのようなシチュエーションで使えば良いのか分からない。だから、使い分ける必要がないように話す言葉全てを敬語にしなければならない。」


 髭親父は哀しそうに首を振った。


 「子供の頃から様子がおかしいと思っていたが、大人になった姿を見て確信したよ。あの子は発達障害だ。その上、いじめられっ子だったから、友人関係の中で学ぶべき事を学んで来なかった。」


 髭親父の言葉は保志の心をすっと冷やした。


 ――輝季が幼稚園に通い出した頃の事だった。


 『幼稚園の先生が、輝季は発達障害かもしれへんと言わはるねん。診断を受けて、療育っていうのをできるだけ早く受けた方がええって。……どないしよう?』

 『俺らの子供が障害者な訳あるか!しょうも無いこと言うな!』

 狼狽する嫁の言葉を撥ね付けた。


 だが、一心不乱にノートに文字を書き付けている男の姿は、執着と呼べるほど無我夢中で電車のおもちゃを集めて並べていた姿と重なる。


 「あの子は、歳はなんぼなん?」

 保志は正人を凝視したまま髭親父に尋ねた。


 「十九歳。……もうすぐ二十歳になる。」


 保志は思わず固く目を閉じた。


 輝季と同じ歳だった。


 「あの子はきっと、一人で生きていくことは出来ないだろう。幸い、家具職人としての才能がある。この会社で働かせてやろうと思うんだ。職人達に嫌われないように、守ってやらなければ。」


 そう言って愛おしそうに孫を見る髭親父の過保護ぶりに呆れた。


 「周りにおる奴が独り立ちできんと決めつけたら、立つもんも立たんわ。」

 髭親父の耳には、保志の言葉は響かないようだった。

 

 

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