せんせい、あのね、看護師は最強のお仕事なんです(看護学校受験編)

志道正宗(まめじぃ)

第1話 はじまりは、三者面談。

 三重県神都市。二千年前から鎮座する「神宮」には、全国から毎年二百万人を超える観光客が押し寄せてくる。


 住人よりも観光客の方が多いまち、神都市。パワースポットとして有名なそのまちに「まめじゅく」は、ある。


 一般的な学習塾というのは、小学生から高校生を対象として、主に学校の成績を上げて志望校に合格させることをサービスとして提供している。


 しかし「まめじゅく」は違う。老若男女誰でも「学びたい」人が、「学びたい」ことを学ぶ場所として、一般に解放されている。


 神都市内ではよく見かける古民家だが、一軒丸ごと教室になっている。有料のコースもあるようだが、ほとんどの人は、無料の一般開放のクラスに通っている。


 そこに、海野七海のひとり息子である晴斗、今年で九歳になる彼は、通い始めた。


 七海は晴斗を産んですぐに離婚し、シングルマザーとなった。


 彼女のわずかな収入では、晴斗を普通の塾に通わせることができなかった。しかし晴斗はとにかく勉強が大好きで、学校の勉強だけでは飽き足らず、毎日、何だか難しい本を借りてきては熟読している。学校の図書館の本はカンタンすぎるからと、わざわざ片道二十分かけて、市立の図書館に足しげく通う。将来の夢は科学者だという。


 七海は、正直、勉強に魅力を感じたことは一度もなかった。得意科目もない。ただ何となく高校まではギリギリ卒業したけれど、特にやりたいこともなく、就職先も決まらず、フリーターしか経験してこなかった。何かを学びたいとか、何かを目指したいとか、そういう気持ちで生きている人たちを、心底うらやましく思った。でも、しょせんは他人事だった。


 それが、息子の勉強熱がとんでもなくて、学校の授業もつまらないし、もう独学だけでは満足できないレベルに来て、やむなくご近所の「まめじゅく」には無料のコースがあると聞いて、そちらを利用することにした。無料のコースというのは、授業は行わないが、自由に勉強をしに来て良い、勉強する内容は自由、わからないところは講師の先生たちがサポートしてくれる、というものだった。


 晴斗は嬉々として通塾していた。そんなある日、塾長である通称「まめじぃ」から、保護者を交えた三者面談をしたいという連絡があった。晴斗が何かをやらかしたのか、それとも有料コースへの勧誘が始まるのか。少し迷ったが、日時を打ち合わせ、七海は三者面談に参加することにした。


 約束の日時に、教室へ向かう。晴斗のお迎えの時間に合わせてもらった。葬儀屋のバイト終わりで、ちょうどよいタイミングだった。


 玄関から教室に入ると、晴斗は親友の「しおりん」と一緒にいた。「しおりん」こと、片山志桜里は高校三年生。晴斗とは九歳も年齢差があるのに、なぜか二人はマブダチだといって、仲が良い。学校では友だちのいない晴斗にとって、この塾で過ごす時間は、とても大切な時間だった。


 ふたりはいつも、隣同士の席に座って、それぞれ自分の好きなことを学んでいる。晴斗は主に科学のこと、しおりんは主に、学校の宿題をメインに取り組んでいた。


 七海は、しおりんに笑顔で会釈をして、それから教室の奥に座っている初老の男に、元気よく挨拶をした。元気のいいことが、自分の唯一の取柄だと思っている。


「海野です。失礼します。晴斗がいつもお世話になってます」


 七海が挨拶した相手は、まめじゅく塾長、通称「まめじぃ」。サザエさんの浪平さんにそっくりで、丸い大きなメガネが特徴的。いつも作務衣や甚兵衛を着て、街中をウロウロしているので、地元でもちょっと変わった人扱いをされている。でも今日はワイシャツにネクタイ姿だ。


「やあやあ、こんにちは。今日はすみません」


 そう言って、まめじぃは七海に面談用に用意した椅子に座るように促した。七海が座ると、その隣の席に晴斗もちょこんと座った。


 結局、まめじぃが伝えたかったのは、晴斗がよくがんばっている、という事だった。これでもかというくらいに、晴斗を褒め称えていた。


 そんなことは七海だって、知っている。大学にだって行かせてあげたい。成績優秀者は無料で大学へ行けると聞いていたから、そういう制度を利用すればいいと思っていた。どうせわたしは大して稼げないんだから、仕方ないと。


 でも、まめじぃの話を聞いていると、まめじぃの優しい声を聴いていると、ここ最近、ずっと想っていたことが、つい口に出そうになるのを、七海はガマンできなかった。とうとう口に出してしまった。


「先生、わたし、看護師になります」


 まめじぃは、ぽかんとした顔をしていた。普段は表情がまったくわからない男だが、明らかに、虚を突かれたような顔をしていた。無理もない。看護師?なぜ急に?晴斗もいっしょにぽかんとした表情で母親を見つめていた。


 ここ最近、七海は看護師になることばかりを考えていた。別に看護の世界に憧れていたことは一度もないし、仕事に魅力を感じているわけでもない。


 しかし、どうしたら晴斗を大学まで行かせてあげて、科学者になれるまでサポートし続けられるかを考えたとき、消去法で、これしかないと辿り着いた、七海なりの結論だった。


 女性ひとりで、稼げる仕事。もちろん他にもある。水商売だって考えたが、やっぱりそれは、晴斗のためにならないと思った。夜も遅い。


 それに結局は、これまで通り、オトコの財布をあてにしないと生きていけないじゃないか。これまでも付き合う相手をコロコロ変えて、経済的な支援を受けてきた。


 でももう、三十二歳。おでこのシワも化粧で隠せなくなってきた。いつまでもオトコの財布をあてにして生きていくのには、限界があると、七海は考えた。両手をテーブルに置いて、立ち上がって、元気よく宣言した。


「せんせい、あのね、オンナがオトコの財布をあてにせず生きていくには、看護師は最強のお仕事なんです!」


 七海は、根拠が無く言っているわけではなかった。そのことは、まめじぃもよく理解できた。実は、まめじぃの有料クラスの月謝は高い。月三万円代からとなっている。それでもわが子を通わせているのは、経済的に、ある程度裕福な家庭のみである。


 そんな中、シングルマザーの家庭で、月三万円代の月謝を苦も無く払えていたのは、母親が経営者をしている家庭と、看護師の家庭だけだった。


 まめじぃは一瞬、虚を突かれた形になったが、七海の言いたいことは理解できた。息子の晴斗に、思う存分、やりたい勉強をする環境を与えてあげたい。そのためには、高額の費用がかかる。必要なお金は、大学の学費だけではないのだ。塾の月謝に教材費、夏期講習に冬期講習、模試だって無料じゃない。どうするか。


 かかる費用と、そのあとで得られる収入を比較したとき、確かに看護師という仕事は、とてもコスパがいい。当然、そんな理由だけで看護師を目指すなんて、と叱られることはあるだろう。

 しかしわが子の夢を叶えるために、七海が全力を出したら、そんな叱責などまるで気にしない。そういう強さが、彼女にはある、とまめじぃは知っていた。


 なぜなら長年の経験から、子どもを見れば、親がどんな人物かを、ある程度予想できるようになっていたからだ。彼女は、やるといったらやる人だと。


 七海にとって、実は晴斗は、二人目の子どもである。その前に一度、当時付き合っていた整体師の彼氏の子どもを妊娠し、それを彼氏に告げたところ連絡が取れなくなって、遠距離だったために、どうにもできなくなり、中絶したことがあった。高校を卒業した翌月のことだった。


 幸い、学校にも、唯一の肉親だった母親(七海に対して無関心を貫いている)にも、バレることは無かった。


 わたしは、わが子を殺したことがある。その負い目は、七海は決して表には出さない。しかしその負い目が、晴斗への愛情をより強く、深いものにしていた。


 もう、わが子を辛い目に合わせたくない。どんなに痛かっただろう。どんなに苦しかっただろう。まだ産まれてくる前に、わたしの子どもは、わたしのお腹の中で、わけもわからず、金属の器具でひねり殺されたのだ。わたしが殺したんだ。晴斗はあの子の生まれ変わり。何があっても、ゼッタイに幸せにしてみせる。


「だから先生、わたしに勉強を教えて下さい!」


 まめじぃに、迷いは無かった。七海の目を見て、やっぱり彼女はやれる人だと思った。晴斗の夢を叶えるための、タッグがここに結成されたのだった。


「いいですよ。お母さん。やりましょう」


「先生、七海って呼んで下さい。わたし、ななみっていいます」


 七海のまっすぐな瞳に、まめじぃは危うく、彼女を好きになってしまうところだった。


 ここから、あの最下位ギャルも裸足で逃げ出してしまうかも知れない、七海の受験勉強がスタートする。


 七海の精神的な救いはどこにあるのか。それは結末までわからない。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る