6:エンカウントしました。
『嘘だろ…たかが素材一つに570万とか、ありえねぇ…』
『そもそも、廃人の皆さんに競り勝とうってのが、無謀な話よね』
その夜、「私」はホームの一室で両膝を抱えて床に座り込み、膝の上に顔を伏せて蹲っていた。「私」の隣にはガーネットが腰を下ろし、自分の「いべんとり」の整理をしながら
結局あの後、オークションで競り負けたマスターはその場で即座に「ろぐあうと」し、いつもの支度部屋へと飛ばされた私は急いで着替えを済ませ、繁華街へと駆け付けた。でも其処で目にしたのは、「くえすとくりあ」を諦め、繁華街から立ち去ろうとする赤兎の後姿。私は、
私はどうしたら、この過ちを償う事ができるのだろう。これが引き金となって、彼のマスターが引退したら、悔やんでも悔やみきれない。
『…にしても、先生、来るの遅いな。もう30分も経っちまった』
『イリス、貴方、自分のパンツに執着しすぎ』
私の懊悩を余所に
『多分、クエストの手伝いで時間かかっているんじゃないかな。先生、顔が広いからね』
「先生」とはキャラクター名ではなく、マスター達の間で彼を指すニックネームだ。「先生」の本当のキャラクター名は、「姜尚」という。「りある」では結構有名な名前だそうでトレードマークは釣り竿らしく、先生も持ち歩いていた。ガーネットの発言を受け、ヤマトが言葉を引き継いだ。
『野良を探しても、丁度いいヒーラーが見つからないな…。今日はヒーラー無しで行くか…』
『もう時間ねぇから、それで好いよ。ヒーラー無しだと、何処がある?』
『うーん…レブナントの森、とか?』
『あそこ、ドロップが不味いんだけど、しゃぁねぇか…』
ガーネット達との会話を受け、
『あ、やっべぇ!ポーション積んでねぇ!ヤマト、スマン!先行ってて!すぐに合流する!』
『わかった。狩場押さえておくよ』
『まったねぇ』
ミニスカートのまま床に胡坐をかいた「私」を
『…あら?貴方、そんな所で何しているの?寝落ちかしら?…あ、動いた』
『オブジェクトに引っ掛かって、脱出できないんじゃないか?ガーネット、間にキャラ割り込ませてみ?』
『こう?…あ、出てきた出てきた。…げ、今度は私が引っ掛かった。ヤマト、私を此処から出してぇー』
『全く、しょうがないなぁ、もう』
『リア充どもがっ!家の前で
玄関先で立ち昇る桃色の空気に、
『二人ともお待たせ!さっさと行こうぜ!…ん?何やってんの?二人で』
「私」が目を向けた先には、こちらに振り返っているヤマトとガーネットの二人と、二人と対面する形で棒立ちしている、一人の赤髪のヒューマンの男が居た。硬直する私を余所に、
『誰?そいつ。二人の知り合い?』
『うぅん、知らない人。初心者かな?何か、上手く操作できないっぽいんだよね。…ねぇ、貴方、私の声聞こえる?』
『もしかしたら、小学生とかで、コンソールの文字配列が分からないのかも。…君、俺達の話、わかる?”あ”とかでも好いから、文字打てる?』
『 あ 』
ヤマトとガーネットのマスターが交互に赤兎に声を掛けるが、赤兎は相変わらず要領の得ない言葉を返す。彼の存在は「えぬぴーしー」の中では広く知られているが、「ぷれいやー」の間では全く知られておらず、「しんきぷれいやー」と思われているようだ。ちなみに、この「げーむ」の会話は音声入力と文字入力の2種類があり、「私」達三人は音声入力、赤兎だけが文字入力だった。
『…なぁ、狩り、どうすんの?行かんの?』
『ゴメンね、イリス。もう少し待ってもらってもいいかな』
赤兎を気遣うガーネット達に対し、
お願い、マスター!それ以上、酷い事を言わないでっ!赤兎は、赤兎のマスターは、何か問題があって上手く動けないのっ!
私は、マスターの放つ心無い発言を聞いてショックを受け、決して届かない事を知りながらも、必死にマスターへと訴える。
彼は、もうずっと一人で居るんだよ?上手く体も動かず、言葉も話せず、マスター達のような仲間も作れずに、ただひたすら独りぼっちでこの世界を彷徨っている。そんなの、嫌じゃない!彼にもこの世界を楽しんで欲しいじゃない!幸せになって欲しいじゃない!マスター、何であなたは、それに気づいてくれないの!?
『…うーん。貴方、私の所まで移動できる?左手のコントローラの矢印押せば好いだけなんだけど…』
『 d え 』
『ひょっとしたら、コントローラが壊れているんじゃないか?コレ』
操作のままならない赤兎に対し、ガーネットとヤマトの二人が思い思いに意見を述べる。そんな三人の姿を「私」が腕を組み、貧乏ゆすりを繰り返しながら睨みつけていると、赤兎が時間を掛けてゆっくり言葉を絞り出した。
『 て う
ご
k あ な 』
『…え?貴方、もしかして手が動かないの!?』
『…』
『…』
ガーネットが驚きの声を上げ、ヤマトが痛まし気に顔を歪める。赤兎が再び動きを止め、硬直している三人の姿を睨みつける「私」の片眉が跳ね上がった。数拍の間を経てガーネットのマスターが我に返り、慌てて取り繕う。
『…ぁ、えっと、ごめんなさいね?変な事聞いちゃって。え、えっと、手が動かないとなると…ええと…』
『 ――― おい』
『…イリス?』
驚きの表情を浮かべて振り返ったガーネットを押し退け、
『…どっちの手だ?』
『 え 』
『右と左、動かない手がどっちか、聞いてんの』
『 ひ d 』
『ああ、もういいよ、喋んなくて』
『お、おい、イリス…』
マスター!お願い、もう喋らないで!
有無を言わさぬ
マスター!お願い!私に後悔させないで!あなたの下に生まれた事を!あなたがマスターである事を、後悔させないで!私は、マスターと共にこの世界で楽しく暮らしたいの!この世界で幸せになりたいの!だけど、だけど…これ以上マスターの言葉を聞いていたら、私はきっとマスターを嫌いになってしまう。マスターの下に生まれた事を後悔してしまう。…だから、お願い!これ以上、もう喋らないで!
『 ご め 』
『だから、喋んなって』
マスターぁぁぁぁっ!
赤兎が「私」の剣幕に恐れをなし必死に紡ぎ出した言葉を、
『――― ”歯車”』
『 え 』
え?
突然飛び出してきた脈絡のない単語に、私は勿論の事、赤兎もガーネットもヤマトも静まり返る。硬直する三人を前に、
『画面の左下に、”歯車”のマーク、ねぇか?…ああ、喋んなくていいから。はい、か、いいえ、ジェスチャーで構わない』
…こくこく。
『”歯車”のマークを押したら、”設定”が出んだろ?そしたら、”操作”を選んでくれ』
こくこく。
『下に向かって矢印をずっと動かしていくと、一番下の方に”操作を右コントローラに集約する”、”文字入力を右コントローラに集約する”って、二つのチェック欄があんだろ?それ、両方チェック入れて』
こくこく。
『そしたら、”更新”を押してみろ。…どうだ?』
途端、変化は劇的だった。それまで直進と自己回転、不器用な2種類の行動しか取れなかった赤兎の移動が急に滑らかになり、緩やかなカーブを描いて自在に方向転換した。歩きながらジャンプもでき、文字入力の速度も向上し、文章を形作る。
『 す ご い す ご い 。 ち ゃ ん と 動 く 』
『そうか。そりゃ良かったな。右コントローラだけだから操作できるスキルが半減しちまうけど、大分マシになんだろ』
『 う ん 。 あ り が と う 』
『…凄いじゃないの、イリス。驚いたわ。こんな細かい設定、よく知ってたわね?』
…ぁぁぁ…マスターぁぁ…マスターぁぁぁぁっ!
私はマスターが示した予想外の気遣いに感極まり、体の中で再び泣き喚いた。後悔の代わりに歓びを籠め、マスターの下に生まれた事に感謝し、とめどもなく涙を流す。ガーネットが感嘆の声を上げ、
ガーネットの賞賛に、
『…俺さ、妹が居るんだ。――― 寝たきりの』
『『…え?』』
『 え 』
え?マスター、私、知らなかったよ?マスターに妹さんが居るだなんて、寝たきりだなんて、一言も聞いた事ないよ?
『…意思疎通は問題ないんだけど、首から下が駄目でさ。いつも暇そうにしているんだよね』
『『『…』』』
『…で、アイツが何か暇潰しできるものがないかって探してて、たまたまこのゲームの事知ってさ。身障者向け機能があるって聞いて、調べたんだ。…結局、最低片手が動かないと無理だってわかったから、意味なかったけどな。…このゲームにハマったのも、それが切っ掛けなんだ』
『…イリス、パンツ見せなくて好いから』
『父ちゃんと母ちゃんは仕事と家事と介護に追われててさ、俺も学校から帰ってきたら妹の面倒見て、アイツが寝静まってからこのゲームやってるんだよね。…このゲーム面白いけど、アイツが出来ないと思うと、少し後ろめたくもある』
『…そんな事ないよ、イリス。貴方、十分に頑張ってるし、立派だと思うよ』
『 う ん 。 そ れ に 私 も イ リ ス さ ん に 救 わ れ た 』
唇を尖らせる
『 私 、 1 年 近 く 独 り ぼ っ ち だ っ た 。 で も 今 日 イ リ ス さ ん と 出 会 え て 、 こ の ゲ ー ム や っ て い て 良 か っ た と 思 う 。 ――― イ リ ス さ ん 、 私 と 友 達 に な っ て く れ ま せ ん か ? 』
『…別に好いけど…』
赤兎の告白を受けた
『…ああ、もう!ガラじゃねぇんだよ、こういうの!…っと、今日はもう、狩り行ってる時間ねぇな…』
そう答えながら一瞬明後日の方向を向いた「私」は、再び赤兎へと目を向ける。
『あんた、ええと、…あかうさぎ、って読むのか?』
『 せ き と 』
『赤兎、今レベル幾つだ?』
『 3 』
『低っ!』
『もう小一時間くらいしか時間ねぇけど、つき合ってやるよ。この辺で行きたいトコ、あるか?』
『 あ り が と う 。 ど こ も 行 っ た 事 な い 』
『どんだけ引き籠もってんだよ』
赤兎の答えを聞いた
『声聞こえてんぞっ!リア充どもっ!』
『今日は貴方もリア充しているじゃない』
『俺は男なんだよ!その俺が、何で男と手を繋がなきゃなんねぇんだよ!』
『 イ リ ス 、 私 女 だ よ ? 』
『あら、丁度良かったじゃない、イリス』
『五月蝿ぇ!』
――― マスター、あなたが私のマスターで、本当に良かった。
――― ぶっきらぼうだし、助平だし、ところ構わずパンツ見せびらかす変態だけど。
――― それでも、私はマスターの事が、大好きです!
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