5:初めてのお使い
『貴様のような未熟者が儂の武器を使うなんぞ、百年早いわ!帰れ帰れ!』
一緒に遊んでいたガーネットが恒例の「誘拐」に遭い、手持無沙汰となって家路へと就いていた私は、横合いから飛び出してきた怒声に、目を向けた。
路地の奥に1軒の石造りの家が建っており、その出入口に二人の男が佇んでいた。一人はこの家の主と思しき、豊かな髭を湛える老ドワーフ。彼は太く逞しい腕を組み、目を剥いて長身の男を怒鳴りつけている。私は、ドワーフの竦み上がるような叱責を大人しく聞く男の頭部に見覚えのある赤髪を認め、嬉しくなった。
あ、
私が何度も彼に話し掛けた事が、実を結んだのかも知れない。私は、これまで棒立ちと直進しかしていなかった赤兎の大きな進歩を喜び、路地の陰から顔を覗かせ、二人の様子を見守る。老ドワーフは赤兎を一喝すると大きな鼻息を放ち、不機嫌そうに答えた。
『…だが、貴様には見どころがある。これから儂が課す試練を貴様が乗り越えられたら、儂の作った武器をやろう』
秒で前言を翻した老ドワーフは、彼に何を見い出したのだろうか。或いは、これがマスター達の会話でよく耳にする「つんでれ」というものなのかも知れない。私はそう推察しながら彼の後を追い、「くえすと」を見守る事にした。
【頑固オヤジ】はチュートリアル的な意味合いを持つ「くえすと」で、「ぷれいやー」は様々な試練を通じて操作方法を学び、最後に「くえすとほうしゅう」としてドワーフ製の武器を受け取れる。ただし、その武器の性能は初期装備よりマシという程度で、「くえすと」の面倒さも手伝って、「せかんど」や「さーど」になると見向きもされない。ちなみに赤兎のようなアーチャーには、鉄を一切使わない「堅い木の弓」が渡される。彼は本当に鍛冶屋なのだろうか、私は疑問に思った。
***
『はぁぁぁ…やれやれ、採っても採っても終わらないのぉ…。誰か手伝ってくれんかのぉ…』
赤兎が向かった先には畑が広がり、一人の老婆が佇んでいた。畑には大きな
『おぉ、其処の若いの。すまないが、南瓜の収穫を手伝ってくれんか。この年では些かしんどくてのぉ』
第1の試練だ。…念のため繰り返すけど、これが第1の試練だ。
赤兎は畑の前で少しの間立ち止まっていたが、やがて彼特有のぎこちない動きで畑へと向かう。そして南瓜の前に立つと片膝をつき、採取を始めた。
実はこの試練は、採取の練習だったりする。流石にこの辺りは私の「くえすと」で何度も経験したせいか、彼は緩慢な動きながらも無難に南瓜を採取していく。やがて南瓜はなくなり、畑にはただ青々とした葉だけが残された。
『おぉ若いの、ありがとうね。助かったよ』
赤兎は老婆の御礼を無表情で受け取ると、次の試練に挑むために畑を後にする。隠れて様子を見ていた私も彼を追い、畑の脇を横切る。
――― ぽん。ぽん、ぽぽぽん。
軽やかな音に釣られて目を向けると、そこには畑に幾つも転がる、たわわに実った南瓜達。
『はぁぁぁ…やれやれ、採っても採っても終わらないのぉ…。誰か手伝ってくれんかのぉ…』
無限ループだった。確かに試練だと思う…主に老婆にとってだけど。
***
『うわぁぁぁぁん!僕の風船が飛んでっちゃったぁ!誰か取ってぇぇぇ!』
赤兎の後を追って角を曲がると、家の前で泣き喚く一人の男児が見えた。男児は屋根に引っ掛かった風船を指差し、繰り返し助けを呼ぶが、道行く人々は誰一人足を止めるどころか振り向く事さえもせず、素知らぬ顔で男児の前を素通りしていく。薄情なご近所さん達である。
赤兎が近づくと男児は彼の手を取り、風船を指差して助けを求めた。
『お願い、お兄ちゃん!あの風船を取って!』
第2の試練だ。…確かにあれだけ泣き喚く子供の頼みを無下に振り切るのは、それなりに試練かも知れない。
赤兎は子供の頼みを呑み風船に手を伸ばすが、届きそうで届かない。足元には木箱が転がっている。――― 第2の試練は、物の上り下りと、ジャンプの練習。
赤兎、足元見て、足元!
私が物陰から応援していると、彼は木箱に気づき、その上に登る。その後も彼は何度が箱から落ちては登るを繰り返していたが、ようやくジャンプする事を覚え、風船を取る事ができた。それを見た私は喜びのあまり、小さなガッツポーズを取った。
やったぁ!
『ありがとう、お兄ちゃん!』
風船を受け取った男児は泣き止み、笑顔を見せる。赤兎は男児の笑顔に無表情で頷くと、次の試練に向かって歩き始めた。赤兎が角を曲がるのを見計らって、私も後を追う。
すると、彼の後姿を見送っていた男児が、風船を持って屋根の下へと戻った。そして、その場で風船から手を離し、宙を舞った風船は再び屋根に引っ掛かる。
『うわぁぁぁぁん!僕の風船が飛んでっちゃったぁ!誰か取ってぇぇぇ!』
…常習犯だった。ご近所さん達が薄情になるのも、やむを得ないと思う私だった。
***
その後も赤兎は幾つかの試練に立ち向かい、時間を掛けながらも順調にクリアしていった。その間私は彼の後を追い、見守り続ける。私の視線の先で彼が再び角を曲がり、繁華街へと出た。
繁華街は人通りが多く、賑わっている。その中にある1軒の食堂の前に差し掛かったところで、彼を呼ぶ声が聞こえた。
『ああ、忙しい忙しい!注文が多すぎて、捌ききれねぇぞ!…お、其処のアンちゃん、すまねぇが出前を手伝ってくれねぇか!?じきに定食が出来上がるから、お客さんトコに持って行って欲しいんだ!』
「くえすとくりあ」に必要な最後の試練。そして、この「くえすと」が「面倒臭い」と言われる所以で、私が此処まで彼を見守り続けた理由でもある。
此処で「ぷれいやー」は店主から山盛りのご飯と器に並々と入ったスープを受け取り、3ブロック先まで運んで行かなければならない。その際「ぷれいやー」にはバランスゲージが表示され、バランスを崩すと定食が零れて失敗になってしまう。繁華街を行き交う「えぬぴーしー」や「ぷれいやー」との衝突判定もあり、しかも其処にタイムリミットまで加わるという、無駄に高いハードルまで設けられている。店主との会話を聞いた私は密かに店の裏口へと回り、厨房へと滑り込んだ。
「…おじさん」
「おお!イリスじゃねぇか!いつもの料理か?ちっと待っててくれ、今『くえすと』の定食を作っているところ…」
私は陽気な声を上げる店主へ静かに詰め寄り、「いべんとり」から取り出したナイフの刃を店主の首元に突き付けると、冷え切った小声で頼み込む。
「…その定食の量、減らしてくれないかしら?多すぎるから、お客さんも食べ切れないと思うんだよね」
「…わ、わかった。わかったから、そのナイフを退けてくれ…」
『待たせたな、アンちゃん!当店自慢の山盛り定食だ!』
山盛りとは名ばかりの、下手をすれば器の底が透けて見えかねない誇大広告の塊のような定食を受け取った赤兎は、ぎこちない方向転換を行った後、届け先へと歩き始めた。人通りは多く、不器用な彼は行き交う「えぬぴーしー」を避け切れずに何度も接触するが、目減りした定食はこゆるぎもしない。私は安堵の息をつきながら彼の脇をすり抜け、追い抜いた。
此処までは順調に進めることができた。だけど、まだ最大の試練が残されている。私は背後を歩く赤兎との距離感を計りながら先行し、2ブロック抜けた所で大通りを右に曲がる。
『わーい!あははははっ!』
10歳にも満たない男の子が周囲に注意を払おうともせず、全速力で大通りを駆け抜け、交差点に飛び出そうとしていた。試練だ。
私は男の子の許へ駆け寄り、背後から捕まえて抱え込むと男の子の口を手で塞ぐ。
『もごっ!?んむむむむむぅ!?』
「ゴメンね。少しの間で良いから、大人しくしてくれない?」
「くえすと」の遂行を邪魔され、口を塞がれたまま抗議の声を上げる男の子に小声で謝ると、私は視線を前方へと向ける。対向から、木箱を四段重ねで抱え、よたよたと交差点へと踏み出そうとする男の姿が見える。
『…お?お?おおおおおぉっ!?』
男が
私は片手で男の子の口を塞いだまま、もう片方の手でナイフを振り上げ、男に向けて投擲する。ナイフは交差点を横切り、崩れ落ちようとしている最上段の木箱へと突き刺さった。すかさずナイフに仕込まれたエンチャント・エクスプロージョンが発動し、木箱が爆発四散する。
『おわあぁぁぁっ!?』
爆風を浴び、男が残りの木箱と共に後方へと吹き飛ばされた。だが、試練はまだ終わっていない。
『どうどう!退け退け!みんな退いてくれ!』
後方から、御者の命令を聞かない馬が鼻息を荒げ、荷馬車ごと全速力で交差点へと突入しようとしていた。試練だ。たかが出前一つのために用意されたとは思えないほど、理不尽な試練だ。
私は男の子を抱え道端に屈みこんだまま、背後から押し寄せて来る荷馬車に向けてスキルを放つ。
「≪フィアー≫」
『ぐわっ!』
『きゅぅぅぅ…』
交差点にレベル76ソードマスターの状態異常スキルが広がり、馬が硬直して荷馬車が急停止した。荷馬車から投げ出された御者が地面に叩きつけられ、至近で私の殺気をまともに浴びた男の子が失禁し、白目を剥く。男の子のその後の人生に決して拭い去る事の出来ない汚点を付けた私は、その犠牲を他人事として甘んじて受け入れ、道端に屈みこんだまま、悠然と交差点を横切る赤兎の姿を見守る。
なお、此処までやらかしておきながら、相変わらず「うんえい」のお咎めはなし。「『ぷれいやー』を想っての行為」の大義の前には、もはや大目どころかザルの目である。
最大の試練を無事乗り切る事ができた私は安堵の息をつき、白目を剥き泡を吹いたままの男の子を放置して、赤兎の後を追った。目的地は、3ブロック目の角を曲がってすぐ先にある。制限時間も何とか足りそうだ。角を曲がるために一時停止した彼の後ろ姿を眺めながら、私は張り詰めていた緊張をほぐし、肩の荷を下ろす。
その時、私の頭の片隅で、鐘の音が鳴った。
///// ―――【イリス】が、ログインしました ――― /////
次に私の目に飛び込んできたのは、繁華街に佇む赤兎の後姿ではなく、ギルドホームの壁に備え付けられた鏡に映る、自分の姿だった。すでに「私」は「えぬぴーしー」の種族衣装ではなく、ミスリル製の軽鎧とミニスカートを身に着け、金色に輝く髪と紫の瞳へと変化している。「私」は、突然の変化に戸惑う私を余所にホームを飛び出し、大通りを駆け抜ける。頭の中で、マスターとガーネットの「うぃすぱー」が飛び交った。
『よっしゃぁぁぁっ!間に合ったぁぁぁっ!ガーネット、SNSで知らせてくれて、サンキューな!”呪われたユニコーンの角”なんてレア、滅多な事じゃオークションに出ねぇかんな!』
『どういたしまして。オークション、頑張ってね』
『おぅよ!任せとけっ!――― ≪スプリント≫!≪ウィンド・ウォーク≫!』
マスター!駄目!止まって!赤兎!お願い、
――― トン。
正面衝突とは思えないほど軽やかな音が聞こえ、赤兎が一歩よろめいた。風のように流れる視界の隅に、一瞬、宙を舞う食器が映り込む。
マスター!待って!お願い、止まって!赤兎が、赤兎がぁぁぁぁぁっ!
『うひょぉぉぉっ!ギリセーフ!』
「私」は突き飛ばした赤兎には振り返ろうともせず繁華街を駆け抜け、オークション会場へと飛び込んだ。すぐさま欄干から身を乗り出し、勢いよく手を挙げる。
『82万!…88万!…95万!』
「私」は大勢の「ぷれいやー」と共に喧騒の中で熱狂し、夢中で声を張り上げ、嬉しそうに値を釣り上げながら、―――
『112万!…118万!…ええいっ、130万!』
――― マスターなんて、オークションに負けてしまえばいい。
…そう心の中で、呟いていた。
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