チャプター5 「一度死んだ僕」
前のチャプターで僕の彼氏が自殺したことを話した。
しかもそれを知ったのが亡くなってから3か月半後であった。
気づくのが遅すぎた。僕は一日中後悔が止まらなかった。
「あの時酒なんて飲まずにきちんと起きていれば」
「強がりなのはわかっていたのになぜ話を聞ききれなかったのか」
像やって後悔が募っていく。
そして自分を必要としてくれる人を失ったという喪失感。
僕は生きて死んでいるような感覚にこれ以降襲われるようになった。
11月14日。僕は人生でなかなか遭わないことに遭う。
「自殺企図」である。
ちょうどこの日、僕はコロナウイルスの濃厚接触者として下宿に隔離されていた。
テキスト、ノート類は全部置き勉していて、遠隔授業が展開されているにも関わらず、まったく集中できなかった。最も、集中できないのは亡くなってしまった彼のことが頭から離れないからなのだが。
そして迎えた昼休み。
ぼーっとしながら布団に座り込む。
「死んだらもしかしたら会えるかも」
名案だ。ひらめいたぞ!僕の頭は死にたいで染まった。
とりあえずやばい状況なのは自分でもわかっていた。
厚生労働省が行っている「いのちの電話」これにかけてみた。
どうせ綺麗ごとしか言われないのはわかっていたが、ダメ押しでかけてみた。
案の定、10コール以上しても出ることはなかった。なぜこの時に病院のカウンセラーさんに電話しなかったのか謎である。
「もういいや。やってしまえ」
心のストッパーがプチっと外れてしまったというか切れてしまった。
手元にあった精神安定剤を100錠、アレルギーの薬を300錠、頭痛薬を10錠
ザバスのシェイカーに麦茶をたっぷり入れて、一気に流し込んだ。
飲んでいる途中に「あーやっちゃったーw」みたいな感じで現実に戻され、精神安定剤のシートから薬を取り出しながらかかりつけの病院のカウンセラーさんに繋いでもらった。何を話していたのか覚えてはいないが、泣きじゃくりながら「彼が亡くなったんです...」的なのを話していたのを覚えている。
ふと思い返してみると、この部屋で死ぬのはまずい。と考えた。そこで僕は自分か好きでもあり、彼も好きだった海岸線に向かうことにした。この時、だいぶ薬でやられていたので、足元はおぼつかず、ふらふらしながら歩いて行った。この途中でカウンセラーさんから電話がかかってきて、「一人で帰れそう?」と聞かれたのを覚えている。もちろん死ぬ気でいるからウソついて「帰りますよー」と言ったが。
海岸線に到着してからはほぼ覚えていない。通りすがりの通行人に話しかけられたが、その人が幻覚なのかそうでないのかは覚えていない。
意識がもういよいよ薄れてきていよいよヤバいと感じた僕は、生存本能で119通報した。救急車のサイレンが近づいてくる。自分で向かおうと思って歩いていこうとするが歩けなくなってしまう。肩を担がれて救急車に乗せられ、どんな薬を飲んで、どれくらい経ったのかを聞かれた。たまたまカバンの中に保険証などの身分証明書、飲んだ薬の空シート、空瓶、さらには僕が大切にしていたポケモンセンターオリジナルのボーマンダのぬいぐるみがなぜか入っていた。(入れた覚えがない)
飲んだ睡眠薬がかなりきついものだったため、眠気がひどい。そのまま眠気に任せて眠ると、起きたのは見知らぬ病院の保護室であった。窓から1メートルのところに直径30センチの鉄格子が並び、同じ部屋にトイレ。胸部に3つの心電図用パッチ、病衣という完全に入院生活が待っていることの表れだった。
この病院での生活はある意味めんどくさかった。
総合病院併設の精神科急性期病棟ということもあり、認知症や統合失調症の患者さんが多く、大声や視線を気にするようになった。おまけに何も持ってきていないので着替えることもできないしで普通に面倒くさかった。
ちなみに入院時に意識はなく、せん妄状態にあり、ほぼ意思疎通ができていなかったのだそう。きっと胃洗浄、活性炭投与も行われていたんだろう。
14、15、16日の記憶はほぼなく、まともに会話ができるようになったのは17日からだった。
臨死体験みたいなものも経験した
彼が暗闇の中にいる。体は動かない。だが声は聞こえる。そんなにはっきり聞こえないが、だんだんと鮮明になってくる。
「僕の分も生きてほしい」
やっと会えた,,,!そう思ったがすぐに現実に引き戻された。
あれほど悲しいものはない。そう思った。
21日。退院日となった。親とどうやって話してよいのかわからない。
正直気まずいが一番の思いだった。
その日のうちにかかりつけの病院へ行き、主治医に話を聞いてもらった。
そこで進められたのが入院だ。今度は任意入院でとのことだった。
死にたいという気持ちをコントロールするための入院ということで1か月ほど入院することとなった。だが、病床がすぐにあくわけでなかったので、25日からの入院ということになった。
25日。入院当日。
入院当日~3日間は全くと言っていいほど自室から出られなかった。気まずさと諸々で何もできなかった。入院生活はそれなりに壮絶だった。一応閉鎖病棟であるため、スマホ類の持ち込みは禁止。さらには紐類のある衣服の禁止など。そして移動可能なのは病棟のワンフロアだけ。やることもないのでただひたすらデイルームと呼ばれる集合場所で友達を作って話すしかないのだ。そこは男子率より女子率のほうが高いため、性別というところでつまらなさを感じた。さらには、今まで向き合ってなかった親という存在へ本心を語るという機会。この病棟で得たものは大きかった。
12月24日~
解放病棟に移ることになった。そうなってからは自由な生活を送っている。
しかし、12月13日の授業に出席しなければ留年してしまうこととなっていたため、進路を変えることとした。憧れの通信制高校転入である。が、しかし金銭面で親に迷惑をかけまくっていたため、学費と進学が良い点をピックアップして考えるようになった。そうして今生活している。
自殺企図は自己肯定感をガクッと落とす。生き残ってしまった罪悪感と、自分が周りにかけてしまった迷惑の数々。それに嫌気がさす。
もし、これを読んでいる人がいるなら自殺を止めることはしません。
ただ、失敗することが無いように。
そして、周りの人を気にかけてあげてほしいなと思います。
自殺は連鎖します。それだけは覚えておいて欲しいなと思います。
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