第10話 始まり。WALK ON THE WILD SIDE
食事を済ました2人は、公園でベンチに座り缶ビールを楽しみながら古着屋GBでもらったモノを取り出した。
「えッ、これ年代違いますが両方共ルー・リードの20万円位するツアーTシャツですよ」
Tシャツを広げて驚くリエ。
「これが健吉さんが言ってたフォーダイトのTOY指輪ですね。2020年頃なら5000円ぐらいですが、現在なら供給が全くないので3万円から5万円位には跳ね上がってますね」
アレクは、サイケ色のマーブル様な人工メノウ石を触りながら話す。
「アレクさん、仕事柄かその石について詳しいんですね」
「ええ僕ね、昔の戦争で、ウクライナから逃げてきて現在の養父母に引き取られたんですよ。まだ17歳ですが子供だったんでしょうね、父が持ってたフォーダイトの置物にプラモデルの溶剤をかけて溶かしてしまったんですよ。それで父から凄く怒られましてね」
「えっ、この指輪石って解けるんですか?」
「はい、このフォーダイトはアメリカの自動車工場の塗料の塗装が何十年も重なってできた人工石なんですよ。基本は塗料だからベンジンやプラモの溶剤なんかで溶けるんですよ」
「へえー、勉強になりますね。アレクさんは、ウクライナ戦争に遭われたんですか、苦労されたんですね」
「いいええ、戦争で本当の両親は無くしましたが養父母に立派に育ててもらいました。感謝してますよ。養父母の恩に報いる為にも、一生懸命勉強して家業を継いで頑張ってる途中ですね。大学の勉強と仕事に必死ですから、恋愛も遊びもやってこなかったですね」
へえ~アレクさん彼女なしなんだと思うが口には出さないリエ。
「それで、アパレルの研修の為にイタリアから日本に来てるんですね」
本当はイタリアのアパレルではなく、シベリアの石油屋さんなんだよ、と言いたいが言えないアレクだった。
「でも、アレクさんは日本語が流暢ですが他の言語もそんなに話せるんですか?」
「ええ、語学に関してだけは努力なしですぐにマスターする事ができますね。少し聴いたら話せて、ちょっと勉強したら完璧に会話できます。これだけは胸を張って言える能力ですね」
「すっごい羨ましい」
アレクはリエからTシャツを受け取り
「リエさんはそのロックTシャツ詳しかったですが、音楽好きなんですね。この前の飲み会で、リエさんがプロの歌手を目指してるって若山さんが言ってましたね」
「はい、現在は契約社員で働いてますが、本当はプロの歌手になりたくてオーディション受けたりテープ審査に送ったりしますがダメですね」
「ライブハウスとか路上ライブとかはした事あるんですか?」
「いいえ、スタジオで作ってオーディションに送るだけで、人前で歌った事はないんです」
「そうですか、一度歌ってるとこ見たいですね。それと、今日の昼にお母さんをお見舞いされてましたが大丈夫ですか」
「いいえ、原因不明の難病で2年前から昏睡状態なんです」
「OH」
「他に家族がいませんから、私が母を見なくちゃいけないんです。入院費はお金かかるし、歌手のオーディション活動もお金と時間がかかるし、効率よくお金を稼ぐために商社で契約社員で働いてるんですよ。大学在学中からバイトで入社しまして、給料がすごくいいからそのまま続けてる感じですね」
「ハッ、ついついセンシティブな事を聞いてしまいました。すいません」
「いいんですよ、私もアレクさんの戦争の事聞いてしまいコチラもすいません」
リエとアレクに沈黙が訪れる。だが、どちらからともなく互いに見合い笑ってしまう。
「みんな色々ありますよねアレクさん」
「ええ、ぼちぼち行きましょうよ」
「アレクさん、大阪弁もいけるんですね」
「そうでっせ、はは」
2人はまた黙ってしまった。
しかし、アレクの手をリエがそっと触り、リエのその手をアレクはそっと包み込む。
アレクとリエはどちらからともなく顔を近づける。
「リエさん」
アレクがリエの唇にそっと唇を重ねた。
「ああ」リエは小刻みに震えた。まるで氷の海に飛び込んだと思ったら、陽春の日差しに包まれたような温かみが全身に広がった。
アレクは唇をリエから離すと、リエを抱きしめた。リエは初めてのキスに顔が真っ赤になりドギマギしている。
「リエさん、好きです」
「アレクさん・・・」
二人は抱き合いながら見つめ合う。
どれぐらい時間が経ったろうか、長いような短いような二人だけの世界が訪れた。
リエがアレクに軽くキスをして
「じゃあ帰りましょうか」
「ええ、リエさん」
2人が帰ろうとした時、アレクが突然リエに言う
「リエさん、そうだ今からここで一曲歌って下さい」
「えっ、今ここ公園でですか?」
「そうです」
「ええっ、恥ずかしいですよ」
「だめです。いずれプロに成りたい人が、人前で歌うのが恥ずかしいなんて冗談言わないでください」
「他にも見てる人がいますし、恥ずかしいですよ~」
「じゃあ僕の為にだけ歌って下さい。他の人は草や木と思えば良いんです」
「はい、アレクさんの為にだけ歌ってみます」
アレクは再度ベンチに座り、リエはアレクから少し離れて立っている。
「アーアー、アーアー、では行きます」
「はい」
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「ビートルズ「ノルウェイの森」」
リエがアカペラで歌い出す。
♬ I once ~ ♬
リエのビロードの様な温かみのある声が、歌い出しからアレクの心を包んでいく。
歌声に気付いた公園の通行人が、リエを見に近づいて来る。
リエは一瞬、他の観客に怯むがアレクの為にだけ歌い続ける。
歌に感動した1人の観客が、遠巻きからリエの歌っている姿をスマホで録りだす。
♬ We talked ~ ♬
アレクを含めた公園に居た人全員、20人位がリエの観客となって、歌の表現力、声質、ヴォーカルテクニックに引き込まれていく。
♬And when ~ ♬
歌も終盤に差し掛かり、観客は「ノルウェイの森」の歌の世界に引き込まれていく。
♬ ~wood? ♬
歌が終わり、アレクは自然と涙を流して拍手してた。
「感動した!」「歌、良かったよ」他の観客も自然とリエに拍手を送っていた。
「ありがとうございます」
観客にお礼を述べるリエ。
「リエさん、素晴らしかったです」
ベンチから立ち上がったアレクの胸に飛び込んだリエ。
「アレクさん、ありがとう。歌ってて楽しかった!」
歓喜に抱き合うリエとアレクだった。
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リエが初めて外で歌った日の真夜中。
誰かがSNSで、リエが公園で歌ってる映像をひっそりと公開していた。
映像の内容が良かったからかビートルズのカバーだからか、再生回数も単発にしては一晩で1万回再生を叩き出した。
この映像の視聴者の大半は興味ないが、リエが歌ってる映像の片隅には、東京で隠遁生活を送っているアレクの姿が映っていた。
「ビンゴ!ボストークガスCEOアレクセイ・フローロヴィチ、見~つけた」
ロシア語で呟く1人の男の影。
「菱菱商事のリエさん歌ってる?あっ、アレク映ってるじゃん!モー、あいつ何してるんだよっ!アレク殴るっ」真夜中に憤慨してる沖田。
この映像情報の重要性に気付いた人が世界中で数人はいた様である。
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翌日、菱菱商事繊維課のオフィス。
「♬~♬~♬~♬~」鼻歌を弾ませ仕事に集中するリエ。
「リエちゃん、ご機嫌そうじゃない」若山が話しかける。
「はい、色々と楽しくて」アレクとの恋が始まり、人前での歌唱が成功して超ご機嫌なリエだった。
「何よー、教えなさいよー、アレクくんの件~?」
「リエくん、楽しそうですね。仕事頑張ってくださいよ」
リエをおだててる秋山部長。
「部長、今日はアレクさんは来てないんですか?」
「ああ、アレクくんは用事があるみたいで今日は出社しないみたいだな」
「ふーん、そうなんですか」
その頃、アレクは健吉の古着屋GBを訪れていた。
「健吉さん、トオル君どうも!」
「アレク兄貴、お疲れっす」
「アレクさん、どうしたんですか?」
「頼みがあるんですが、健吉さん達の力を貸して下さい」
iPADの画面を見せるアレク。
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