第23話 契約


 気が付くと知らない部屋だった。


「あー、そういえば王宮で倒れたんだっけ」


しかし窓の外はもう暗い。


あれから何時間経ったのか。


体調が良いのは、無意識にそこら辺に溜まってた瘴気を吸収したのかも知れない。




 僕は身体を起こす。


「イーブリス様、お目覚めになりましたか?」


スミスさんがベッドの脇の椅子に座っていた。


っていうか、今、寝てたよね。


「もしかして真夜中?」


「はい」


はあ、しまったなあ。 そんなに長居するつもりはなかったんだが。


「今から帰るわけには」


「いきません」


ですよねえ。


 おとなしく寝るにも中途半端に目が冴えている。


「何か食べ物をいただいて来ます」


そうだね、人間の身体には何か入れたほうが良いな。


僕が頷くとスミスさんは部屋を出て行く。




 聖獣フェンリルは思ったより魔獣嫌いではなかった。


「良かったな、無事で」


僕は密かに胸を撫で下ろす。


問答無用で消される事も予想していた。


その場合、後始末を書き留めていた鍵付き日記を既に託してある。


ほとんどがアーリーに関してだけど、必要なかったかも。


「僕は今日も生き延びたのか」


ポロリと言葉が零れる。


え?、なんだろう、この心の奥のわだかまりは。


可笑しい。


「戻りました」


音もなくスミスさんが入って来る。


暖かいミルクと柔かいビスケットのような菓子。


「ありがとう」


ぐうっとお腹が鳴る。


僕は思ったよりお腹が空いていたみたいだ。




 モソモソと食べていたら廊下に人の気配がした。


「スミス」


「はい」


騎士服のスミスさんが扉の側に立ち、耳を澄ます。


小さく扉が開き、スミスさんが扉に掛かっていた手を掴んで部屋の中に引き込む。


「何をするっ」


「それはこちらが言いたいですって、殿下」


ダヴィーズ王子だった。


「はあ、いくら王宮内とはいえ、夜中に一人で出歩く王子なんていませんよ」


スミスさんが小さな声で呆れている。


「厨房に明かりが見えたから、もしかしたらと思って」


王子は肩を落とす。


いやいや、厨房の明かりを気にする王子もダメだろ。


 僕はベッドから降りて礼を取る。


「デヴィ殿下、ご心配をおかけしました」


「あー、うん、大丈夫なら良いんだ。 座ってくれ」


とにかく二人でベッドに腰掛ける。




「リブ、すまない。 私の我が儘で無理をさせた」


申し訳なさと、僕のことが心配で眠れなかったんだろう。


王子は疲れた顔をしている。


「ふふ、ありがとうございます。 そんなに気にされなくても良かったのに。


申し訳ありませんが、僕の目的は聖獣様に一目会いたいと、それだけだったんです」


逆に王子の方が利用されたのだから怒っても良いくらいだ。


そして、湖に落ちた馬鹿を笑えば良かったのに。


「そんなこと!」


僕の手を握った、険しい顔の王子に微笑む。


「デヴィ王子殿下、僕は念願だったフェンリル様に会えて、最高に幸せです。 あなたに会えて良かった」


「リブ、まるでお別れみたいだ」


ふっ、さすがに王子は馬鹿ではないな。


「そんなことはありません。 ですが」


僕は王子の手を握り返す。


「僕はもう二度と王宮を訪れることはありません。 どうか、お元気で」


明日、決行することにしたんだ。


もう少し先の予定だったけど、今、ここにいることが最大の機会なんじゃないかと思う。


何しろ、全てが揃っていて、今なら出来る環境だ。


 スミスさんが唖然とする王子を促し、立たせる。


「リブ、どうして?」


僕はニコリと微笑む。


「明日になれば分かります」


ただそう言って、手を振った。




 夜が明けた。


昨夜のうちに公爵家から届いていた服に着替え、身支度する。


僕は足りなかった瘴気を廊下を歩きながら補充した。


生気は夜中にわざわざ王子が自ら届けてくれたからな。


「手配は」


「終わっております、イーブリス様」


「ありがとう、スミスは馬車で待機してて」


スミスさんは不満気に無言で頷く。


それで良い。


間違っても側に来てはいけない。


アーリー、僕はやるよ。


これから魔物の復讐劇が始まるのだ。




 一つの扉の前で立ち止まる。


案内して来たメイドが下がって行った。


「失礼します」


扉が開くと、そこは国王陛下の執務室である。


部屋に入って僕は礼を取った。


「陛下、昨日は大変失礼いたしました。


一晩、泊めていただいたお蔭で体調も戻りましたので、帰宅いたします」


頭を下げたまま、陛下の言葉を待つ。


「おお、イーブリス。 昨日は本当に大変だったな。 もう大丈夫なら良かった、また来るが良い」


僕は顔を上げる。


真っ直ぐに陛下を見つめて、小さく呟く。


「闇の精霊よ、この部屋を閉ざせ」


部屋が暗くなり、騒ぎ出す文官たちを精霊が眠らせていく。


「な、なんだ?」


訳が分からずキョロキョロする陛下の目の前へと歩み寄る。




 部屋が消え、真っ暗な中に二人だけになる。


「申し訳ありません、少しだけお話しをさせて下さい」


「これは?、いったいどういうことだ!、イーブリス」


僕は慌てふためく国王を見ながら、口元を歪めて笑う。


「イーブリス、その意味をご存知ですか?、陛下」


「し、知らない」


「イブリースは『悪魔』という意味です」


陛下は腰を抜かしたように床に座り込んだ。


「分かります?。


僕は南の辺境地の、またその向こうの島で命を落とした男女に頼まれてやって来た」


「ヒ、ヒィ」


「あの場所で産まれた公爵家の孫は、たったひとりだったんですよ」


ガタガタと震える男の前に立ち、見下ろす。




「ねえ、どうして彼らがそんなところに行かなければならなかったのか。


どうして、アーリーはあんな場所で産まれなければならなかったのか。


あなたに分かる?」


「わ、わたしは、知らなかったんだ!」


「そうでしょうね。 その時、あなたは妻を娶り、子供を作っていたのだもの」


「だ、誰か、来てくれ!」


「あーはっはっは、誰か助けに来ると思うの?。 本当に助けが必要だった人たちを救わなかったくせに」


ズリズリと暗闇の中、座ったまま後ずさる男を追い詰めていく。




「許してくれ!、もう遅いだろうが、何か出来ることがあるなら何でも言うことを聞く!」


全く、この男は簡単過ぎてつまらない。


ピラリと一枚の紙を見せる。


「これさ、僕たち魔物との契約書なんだ」


これからは僕ら魔物や魔獣に手出ししないと書いてある。


もちろん、聖獣様に頼むのもダメ。


「どうする?。 署名するかい?」


「そ、そんなことをしたら民が危険に晒されてしまう」


そうだね。 だけど、そこは自分たちで何とかしてもらえば良いんじゃないかな。


「これ、僕たちとあなただけなんだよ」


他の人たちは関係ない。


「僕たちに手出し出来ないのは、あなた一人だけってこと」


それならって思ったんだろうね。 男は震える手で署名した。


「ふふふふ」


契約が成立した証に、男の腕にシェイプシフターの紋章が浮かび上がる。




「その紙はあげる。 よく読むんだな。 じゃ」


僕が部屋を出ると同時に闇の精霊の術が解ける。


眠っていた人たちも目を覚まし、さっきまでのことが悪夢か何かだったと思うだろう。


ふふふ、笑いが止まらない。


「お帰りなさいませ」


馬車で待っていたスミスさんに迎えられ、僕は公爵家に帰った。


さよなら王宮、もう用は無いよ。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 第一王子ダヴィーズは眠れなかった。


友人であるイーブリスを王宮に招き、彼が望んでいた聖獣との面会が叶う。


彼の喜ぶ姿を見て、ダヴィーズも嬉しくなる。


しかし、彼が湖に落ちたと知って驚いた。


「あはは、はしゃぎ過ぎちゃって湖に落ちたんだ」


子供っぽい笑顔で笑うイーブリスだったが、元々身体が弱い彼はすぐに倒れる。


その夜は王宮に泊まってもらうことになり、真夜中に彼の部屋へ行くと元気そうだった。




 翌朝、ダヴィーズは王宮内の喧騒に気付く。


「何かあったの?」


部屋を訪れた侍従は厳しい顔をしている。


「イーブリス様が陛下に」


信じられないことが起こっていた。


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