3-4 ブレない勇気

「本当にすみませんでした。」

 再び美術室。さっきはここにいなかった喜衣乃きいの先輩と国木田くにきだ先生もいる。さっきいなかったのはそれぞれ文化祭に向けた部長会議と職員会議に出席していたからであった。

 そして、その喜衣乃先輩がわたしとあおいの前に腕組みしたまま立っている。

 今までに見た事のない、冷ややか過ぎて視線で人が殺せそうなくらいの怖い怖い表情だった。これは本当に怒っている。

 そう、これは子供の頃に何度も経験した、いわゆる「お説教タイム」というやつである。

 罪状は(ってこの場合も言うのかな?)私は図書室で大騒ぎをした事で、藍は完成間近の作品を捨てようとした事。郷田ごうださんたちと喧嘩したことに関しては一切責められなかった。

 なんでですかって聞いたら、「詳しい事情を藍が話したがらないし、あまり触れて欲しくなさそうだから責めようがない」と返された。

「まあ、沙輝さきの方はTPOを考えて行動しろ、の一言に尽きるからこれ以上何も言う事はない」

 喜衣乃先輩がそう言っている背後で、ミッチー先輩が「大将がそれを言うか」と小声で言っていたようだが、それはスルーされた。

「問題は藍の方だ」

「は、はい。その、本当に迷惑かけてすみませんでした」

 藍はひとしきり泣いたせいか、今は落ち着いていた。まだ声は暗いから落ち込んだままだろうけど。

「しかし、人にアドバイスを求めることは悪い事ではないが、九割完成している状態でそれをやるのは個人的にはお勧めしない。ボロクソ言われても軌道修正が難しいし、完成までのモチベーションがダダ下がりになるしな」

 そう言ったのは国木田先生だ。

「あ、それはわたしのせいでした。私が藍にいらん事を言っちゃったから」

「違うの。違うんです!」

 私の言葉を遮って藍が叫んだ。不意打ちだったので心臓が止まるかと思った。

 他の人たちも私と同じようにびっくりしていたので、藍は我に返った途端小さく縮こまった。

「あ、あの、沙輝は悪くないんです。良かれと思っての事だったし。元はと言えば私がいろいろ不安がって自信が無いみたいな、いえ本当に自身が無くてしっかりしないのが悪いんです」

 最後の方はぼそぼそになっていて、何とか聞き取れるレベルといった感じだった。これは相当落ち込んでいる。重症だ。

「出来が悪いわけではないからもっと堂々としていればよいのに」

 わたしと同じことを喜衣乃先輩が言うと、横からあかり先輩が口を出した。

「ダメだよ、喜衣乃ちゃん。みんながみんな喜衣乃ちゃんみたいに堂々とできる訳じゃないし、不安になるって気持ちを抱えるのは自然な事なんだよ」

「成程。それは配慮が足りなかった」

 そして喜衣乃先輩は藍の方に向き直ると、

「藍、武道はいいぞ。道という文字の入っている稽古事は全て心の鍛錬になる。心を鍛えれば自ずと自信も付いてくるだろう」

「なんでそうなる!」

 間髪入れずにミッチー先輩のツッコミが飛んだ。

「つか何その脳筋発想! 何でそっちに飛んじゃうわけ? 僕、もう斬新すぎて気絶しそうなんだけど!」

 それも斬新すぎる切り返し方だなあ、ミッチー先輩。

「ダメか?」

「ダメじゃないけど、明らかにベストアンサーじゃない事は確か!」

 ああ、ミッチー先輩そういうの苦手そうだもんね。わたしもそうだけど、藍もなんかイメージ的に何か違う気がする。

「あー、みやこ道ノ倉みちのくらもとりあえず落ち着こうか。まあ、とにかくだ。部で作った作品を捨てるのは絶対禁止。出来上がって色々言われるのは仕方ないけどそれは次回の課題になるし、作品を残していくことで自分の成長過程も分かるからな」

 国木田先生がいつになく優しい口調で語り出した。

「だが、捨ててしまえば、それまでの労力もなかったことになる。それは本当に無駄な努力になってしまう。分かるな?」

 先生の言葉に、藍は頷く。

「うわ、先生がこんなにまともな事言ってるの見るの初めて!」

「茶化すな、志村しむら。俺はいつでもまっとうな事しか言ってない」

「めっちゃ言い切った! わたしには毒しか吐かないのに!」

「人をバブルスライムみたいに言うな! 失敬な!」

 みんなから笑い声が上がった。

 みんなでひとしきり笑った後、ミッチー先輩が口を開いた。

「ま、美術部なんざ我が道を貫いて何ぼだからね。たとえ万人受けしなくても誰か一人でも良いって言ってくれればそれで満足だね、僕は」

「道ノ倉の割には謙虚な意見だな」

「ヤマさん、世の中謙虚なスタイルで行くことが結果的に良く見られるんだぜ?」

「逆にあざといだろう、それは。しかもお前の場合、全然実践してないだろう」

 ヤマさん先輩のツッコミに、また笑い声が上がる。基本、この部は笑いに緩い。

 だから好きなんだけどね、この部は。

 でも、藍の顔に笑顔はまだ戻っていないようだった。ぼんやりと呆然を混ぜたような顔で、みんなを見ている。

 そうだ、藍を立ち直らせなきゃいけなかった。

「ほーらー藍。先生も先輩たちも心配してるんだから、そろそろ元気出さないと。あの訳分からない感想なんか忘れちゃってさ」

「……小春こはる、何か言ってた?」

「言ってる意味は分からないけどなんか腹立ったのは確か!」

「そ、そう」

 藍は微妙に複雑そうな表情で目を伏せると、再び顔を上げてみんなの方を見た。

 それから一度目をつぶって頷くと、覚悟を決めたように目を開けて語りかけた。

「自分でもいろいろ欠点多いのは分かってます。でも、これだけは教えて下さい」

 周囲に緊張が走る。みんな黙って藍の方を見た。

「あの、私の漫画、ちゃんと少年漫画に見えますか?」

 一瞬、緊張とは違う意味で空気が凍りついた気がした。

 と言うより、質問の意味が分からない。

「い、いや、どう見ても少年マンガじゃないの?」

「本当に? 本当にそう思う、沙輝?」

「それ以外の何に見えるのさ……あ」

 言ってから気付いた。郷田さんみたいな訳の分からない漫画の読み方をする人がいるからややこしいんだ。

「私には少年漫画の明確な定義は分からないが、ちゃんと戦いのシーンはそれっぽく見えると思うぞ。ポーズのデッサンとか頑張っていたからな」

 喜衣乃先輩が言った。

「充分少年漫画だよ。ヒーローがヒロインを助けるのは基本だしね。大体これをどう見たら少年漫画以外に見えるんだ?」

 と、ミッチー先輩。

 あかり先輩も「ヒロイン可愛いよね」と言い、ヤマさん先輩も「ちゃんと完成させたところを見てみたい」と続き、ナリ君がこくこくと頷いた。

「じゃ、満場一致でこれはちゃんとした少年漫画だな。納得したか、市原?」

 最後に先生が「しょうがない子だなぁ」と言いたげなニヤニヤ笑いを浮かべながら藍に問いかけた。

「! はいっ」

 そして藍はまた泣き出した。

 ああ、本当に泣き虫だなあ、この子は。

 もちろん、さっきまでの涙と今の涙の理由が全然違うってのは知ってるけどさ。




 私の風景画を国木田先輩が腐海だと言い放ったように、自分が見て欲しい表現が他人に伝わらないことは良くある話だって先生は言った。

 でも、世の中には誰が見ても明らかな物を、自分の妄想で歪めてしてしまう人もいる。

 それ自体は悪くないし、むしろそこから新しいものを生み出すこともあるとも先生は言った。

 だけど、今回は何が一番悪かったのかと言うと、心無い言葉で藍の気持ちを踏みにじった事である。

 もうちょっと突っ込めば、描いたものを批判したのではなく、描きたいという思いを否定したのだ、あの子たちは。辛口で毒舌な先生ですらあんなことは言わないのに。




「実はあれから小春たちとは喋ってないの」

 翌日昼休み。偶然見かけた藍がめっちゃ吹っ切れた顔でそう言った。

「だって、向こうは全然謝る気がないどころか、まるでそんなことが無かったかのように原稿とかタカって来るんだもの。結局あの子らにとって私は自分好みの絵を描いてくれるだけの存在なだけだった。」

「うわあ」

 さすがにそれはちょっと引く。もちろん、藍にではなく郷田さんたちに。

「ま、うすうす気づいてたけど、無理矢理そんなことはないって思い込んでいただけ。あ、沙輝が気にすることないよ。私はもう大丈夫だから」

 藍はそう言ってはにかんだ。

 何だろうな。本当に吹っ切れたって感じで、昨日めちゃくちゃ泣いていた姿はどこ行ったのか。

「あの漫画もちゃんと完成させる。そりゃ欠点だっていっぱいあるだろうけど、頑張ったことは嘘にしたくないから」

「うん、それがいいと思う。読者だってあの子たちだけじゃないだろうし。てか、あの子ら何なの? 美術部は「ヲタ?」の集団とか、意味わからなくてもすごく馬鹿にされたんだけど!」

「……ごめん、それは私が代わりに謝っておくわ」

 いや、多分美術部と一括りにされているから藍も被害者だと思うんだけど、被害者に謝られてもなー。

「でもまさか自分でも小春たちと喧嘩になるとは思わなかったかな。多分このままいくと絶交になっちゃうかもね」

「え、仲直りする気は?」

「向こうが謝ってくるなら考え直すかもしれないけど」

 あ、これ本気で怒ってる。もっとも怒っていなくても藍の性格からして自分から謝りに行くような感じでもなさそうだけどね。勇気がなさそう的な意味でも。

 まあ、いきなりそれまでの(一応)友達関係を断ち切っちゃった所はちょっと心配だけど、我慢して付き合うよりはマシだろうし。

「藍がそういうならいいんだけどね。でも、いきなり友達と絶交したら藍がクラスで浮いちゃったりしない?」

「あ、そこは大丈夫。むしろ小春たち自体がクラスで浮いちゃってるから」

「そ、そう」

 つまり郷田さんに付き合う方がクラスで肩身が狭くなっちゃうという訳で。悪意無き困ったちゃんって本当に質が悪い。

「じゃあ、また部活でね」

「うん。あ、そうだ、藍」

「何?」

「困った事や嫌な事があったらこれからはちゃんとうちらに相談するんだよ。美術部はみんな藍の味方だから」

 我ながらくっさいセリフだよなーと思ったけど、まあ気にしない。だって事実なんだから。

 わたし達には頼りになる先輩がいるし、ナリ君もまあ、頼りになるかどうかはともかくそれなりにはやってるし。国木田先生は面白いけどやっぱりいつかはぎゃふんと言わせたい。

「うん!」

 藍が力強く返事して歩き出す。わたしは廊下の窓の外に広がる空を見上げた。

 うん、今日も快晴。気分も好調。ちょっとやそっとの雨風なんかに負ける気なんてしない。

 そう思いながら、わたしは大きく伸びをした。


 第三章 志村沙輝編 絵には毒舌 心に花マルを

 四章に続く

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