大人になったら

冴木花霞

第1話


『早くおとなになりたいな』



 これが最近の七美なみの悩みだった。七美が子どもであることは、自他共に認めるところで、悩んでもどうしようもないけれどそれでも一人になるとふうと息を吐いてしまっていた。

 カバンの肩ベルトを両手で握りしめて、すこし離れた光景を目に写している。

 七美の朝の時間はけっこうゆっくりしていて、いろいろなものを目にすることができる。けれど集団登校なのであまりよそ見をし続けるわけにもいかなかった。


「なっちゃん! 前!」


 同じ班の友人にせっつかされ、足が止まっていたことに気付かされた。


「どうしたの?」

「ううん、なんでもないの」


 彼女はクラスの違う同学年だが、同じマンションの子だ。考えていたことがバレてしまうのはつらい。子どもたちの噂が親たちの耳に入ることを、そして内容が自分であることを親に知られたくはなかった。

 子どもでも親世代でも、女性は噂が大好きだ。きっとあっという間に広がり、ヒソヒソと話されるのだろうと思うと怖くなった。


「なっちゃんが今見てたのって、あの私立の人?」

「え!?」


 まさかドンピシャで話しかけられるとは思わなかったので、大きな声が出てしまった。

 前を歩く低学年の子たちが振り向くも、興味がないのか足を動かすことに必死なのか、また前を向いて歩き始めた。しかし後ろの少女はそうはいかない。必死で隠したくても、彼女が前を向けば七美の背中を見ることになるし、思い切り動揺してしまったのだ。ここから隠すのは難しい。残念ながら七美にはできない。


「なっちゃんて素直なんだね。で、あの学生見てたの?」


 今からでも隠したいという気持ちと、必死に隠すのはカッコ悪いのかな? という気持ちが一緒に湧き上がる。

 けれど変に追及をかわそうとしても墓穴を掘りそうな気もするので、七美はおとなしくあたり差し障りのない話をすることにした。


「うん。あの制服を着てみたいなってちょっと思ってたの」

「あそこってそれなりに頭いいところだよね。うちの学校からも行けるみたいだけど、私は私立は嫌だな。友達とはなれちゃう」

「そうだよね……わたしもそうだけど、わたしは頭も足りてないからダメそう。せめてと思って制服を見てた」


 七美はこれでごまかされてくれないだろうか、と必死に願う。制服を着てみたいというのは嘘ではないが、もちろんそれが第一ではない。

 七美の願いは通り、彼女は笑いながら話を終わりにしてくれた。そして仲良しの子と会えたのか、そのままその子と話を始めた。


「…………」


 ふっと息を吐いて、今度は油断しないようにして前を見てひたすら足を動かした。

 教室に着いても、油断しないようにと動いていたために、肩にへんてこな力が入っておかしな動きをしていたが、怪しすぎて逆にツッコまれることはなかった。周りは一日生暖かい目で七美を見守っていた。


 放課後、帰宅途中の七美の視界に飛びこんできたのは、朝見かけた学生だった。友達と笑いながら話をしている。


「なっちゃん、それ本当!?」

「朝見たの! 本当なの!!」


 あの人もなっちゃんと呼ばれているのか……。そう思いながら、七美は名残惜しくも学生たちを見送る。

 家に帰ってからも、あの学生の姿が目に浮かぶ。


(きれいな人だった……。わたしも、あんなふうになれたらいいな。そうしたら、きっと……)


 何年生の人だろうか。今の自分があの人と同じ年齢になったとき、自分はあんなきれいな大人になれているのだろうかと、七美は自問自答する。決して答えは出てこないけれど、それでも考えずにはいられなかった。




 朝。七美は慌ただしくご飯を食べて、鞄をつかんで家を飛び出した。


(もー! 母さんもちゃんと起こしてくれればいいのに!)


 とりあえず寝坊を母のせいにして、七美は待ち合わせまで急ぐ。いつも自分が彼女のどちらかが遅れて、約束の時間に出発できた試しはない。遅刻するほど遅れてはいないが、油断はできない。


(なんだかずっと油断しないようにって考えてる気がする……成長してないってことかなぁ)


 早く大人になりたいのに、中身が大人に近づいてる気がしない。七美の想像する大人は、以前見たあの人。きれいで、友達もいて。それと間違いなどせずに、幸せに生きることだ。

 これでも昔より具体的に目標を定めている。けれど身長が伸びても歳を重ねても、そこに近づいている確信が持てない。


「おはよー! ごめん、遅れた!」

「おはよう! 大丈夫! 私も今来たところ」


 もはや腐れ縁となっている友人と一緒に駅に向かう。通う学校は電車に乗って三駅。自転車でも行けなくはないが、自転車に乗るには許可を取らなければならなかった。


「あ」

「え? なぁに?」

「ううん。なんでもない!」


 七美の視線の先には可愛らしい小さな女の子たち。一人がじっとこちらを見ていて、後ろの友達と話をしている。なんだか急に懐かしいという感情にのまれる。これは既視感というやつなのか。そんな光景を夢で見たのだろうかと思いながらも深く考えたりせずに足を進める。


 いつからか『大人になりたい』ということを意識していた。毎日を過ごしていれば、いつかは大人になるはず。


「なっちゃんは相変わらずぼーっとしてるね」

「うーん。色々考えて入るんだけどね……」

「色々って?」

「……それは秘密。いつか話せそうなときに話す……かも」


 えへへと笑いながら話をする。「あ」と言ったのは『あの頃から』と言いそうになった。

 学校に着いても友人とはクラスも部活も一緒だ。他の友人も交えて会話をする。年頃の娘の会話は、噂話や恋話だ。


「サッカー部の石橋先輩、やっぱりマネージャーさんと付き合ってるみたいよ! 目撃した人がいるって!!」

「えー、ショック!!」

「でもまだ噂でしょ? 結子ゆいこが見たわけじゃないんでしょ?」

「あたしが見てたら写真撮ってるわよ!」

「だよね」

「もー! なんで七美はそんなにさっぱりしてるのよ!」


 それから話の中身は七美のことになってしまった。自分が主役みたいな立ち位置にいるのはどうにも落ち着かないが、ここをきちんと乗り越えなければこの先に道はない。


万嬉まき、七美って昔からこんな?」

「そうねぇ、自分が見たことを信じるってタイプかな。あんまり噂に食いつく感じしないかな」

「でもわたし芸能人の話ししてるのは好きだよ?」

「もっと身近なところに食いつかないの?」

「うーん。学生ってつまり子どもでしょ? 結婚とかなら興味あるけど……」

「おっ! なんかすごい発言!」

「そういえば七美は大人になりたいってずっと言ってるよね」


 そこから大人とは? というような内容を話していた。案外これが続いて、昼休みも放課後も三人で物議を醸していた。当然明確な答えは出ないが、それぞれの考えを知ったりして楽しく話をしていた。


「まさか結子があんなにしっかりした考え持ってるとはなぁ」

「本当、まさかだったね。いつでも子どもになれるし大人になれる、なんて」

「万嬉ちゃんは大人びてるところあるけどね……そういえば朝、昔のわたしたちみたいな小学生を見かけたよ」

「えー? なに、顔?」

「違うよ、行動。なんかすごいデジャヴュみたいなの」

「それ本当?」

「朝見たの! 本当なの!」

「あはは! なっちゃんすごい必死じゃん。どしたの?」

「いやいや必死にもなりますって!」



 そうだ。七美は必死になって繋ぎ止めている。進路を変えてでも、ついていきたいと願った。学校を卒業して就職して、恋人をつくって結婚して。



 大人になったその時に、どんな形でもいい。わたしのとなりにあなたが居てくれますように。

 どちらかがいなくなることはなく、一緒に大人になりたい。置いていくのも、置いていかれるのも嫌だから。一緒にいられれば、いつか話せる。ずっと明かさなかったわたしの心。


 ──その時まで、わたしの心は秘密なの。

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大人になったら 冴木花霞 @saekikasumi

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